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30代を迎えてはじめて、ペット葬をした時の話

※掲載の一部内容において、不快に思われる方がいる可能性があります。ペットロスを抱える方、最近大切な人を亡くされたばかりの方は閲覧にご注意下さい。


実家で両親が飼っていたペットが死んで、火葬場にやってきた。

私の目から見れば、ペットはもう寿命以上に十分過ぎるほど頑張ったと思うけれど、実際にずっと世話をしてきた両親からすると、私以上に割り切れない思いがあること自体は理解できた。ペットは私が家を出た後に両親が飼ったもので、私は一緒に暮らした期間が短かったからだ。

火葬日の前日、実家に帰ると母が「顔を見てあげてよ」と言っていた。その瞬間、私はいいようのないぬるい嫌気がさして、母に「朝にするよ」と言った。けれど母は「かわいそうでしょ、挨拶くらいしなきゃ」と言っていて、結局母と一緒に、花に囲まれていい香りがする、ペットの顔を見た。

今考えると私は、生き物の死からぬるりと現実逃避をしたかったのだと思う。尊顔を見れば、その瞬間死に直面せねばならない気がして、母の前でも妙に明るく振る舞っていた。昔からそういう癖がある。しんみりした空気を変えたくて、何故か痴鈍を演じてみせてしまう時があった。ペットの死は受け入れていたが、両親が弱っているところに、私が追い討ちをかけてしんみりさせるのが嫌だった。

火葬の朝も、実家を出る間際に母は「かわいそうだから〇〇してあげよう」という類のことを何度も言っていた。けれど火葬場までの道は混んでいるらしく、父と私はかなり慌てて用意をしていて、そんな母の情緒をしっかり受け止める暇がなかった。

火葬場ではペット葬でも、しっかりと火葬代車での見送りがあった。代車に吸い込まれていくペットを見て、母も父も泣いていたし、私も泣いた。悲しい気持ちを抑えたい時、私は何故か頭を回転させてしまう。だから、そもそもなぜ、ここまでして「これから故人は焼かれます」という様子を、目に焼き付けなければいけないのだろうと考えていた。そんなことをしなくても、死は受け入れざるを得ないのに。骨をつまみ上げて骨壷にいれる時もそうだった。骨になった状態まで受け入れるべきという考え方が、自分には薄ら寒くすら感じられた。できれば私は、骨になった姿より元気だった頃のペットの記憶を鮮明にしておきたかったし、それは両親も同じ気持ちなのではないかと思った。

でも、父と母は骨になったペットを見て、不思議と火葬前より冷静になっていた。思えば昨夜、父は「やっぱりもう一度同じ種類のペットを飼う」と言い張っていて、私にはその姿も少し不思議に映った。同じ種類のペットを飼っても、今の子が戻ってくるわけではない。けれど父は、寂しさや悲しみの行先を、同じ種類の動物に守ってほしいと言っているようにも見えた。悲しみに暮れていた母すらも少し呆れて「そういう問題じゃないでしょ」と父を諌めていた。

つまり何が言いたいのかというと、私が思うより、父も母もペットの死を受け入れられていなかったのかもしれない、と思ったのだった。骨になった瞬間を見るまで、ペットがもうこの世にいないということを受け入れられなかったのかもしれない。そのことを、変だとは思わない。私も近親の……たとえば自分のペットや両親がそうなる時、受け入れがたさを感じるのかもしれない。

だから、私たちは骨をつまみ上げるのかな……そんなことを考えながら、火葬場から出た。父と母は自然と受け入れがたさを表現しているのに、自分がどうしてこうも冷静に、死を受け入れた上で、悲しみや涙を避けてしまおうとするのか、分からなかった。

結局私は家族の前で涙を見せるのが嫌で、家に着くまで気丈に振舞っていた。帰宅途中、お気に入りのバッグの中で缶のコーンスープをこぼしてしまって、かなりへこんだ。追い討ちをかけるように父が「おまえはいつもそう、先まで考えずに行動するんだから」と小言を言ったのだけれど、なぜかその日じゅう考えすぎて自然に振る舞えていなかった私は、その小言を耳障りに感じてしまった。まるで思春期の子どものように「はいはい、ごめんってば」とぶっきらぼうに言ったまま家を出てきてしまい、今もバツが悪い。こんなことを、インターネットに書き連ねて整理しなければいけない自分の「考えすぎる癖」のことも、時折嫌になる。

私はペットとのお別れをしにきたつもりだったけど、30代を迎えて初めての告別の体験は、私に小難しい死生観をおさらいさせてしまったような気がする。早起きして眠いはずなのに、なぜか帰りの電車は眠れなかった。

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