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出産というライフステージの変化から生まれた「終焉」をやっと受け入れられた

4月に、キャリア(生き方)の移行期には「開始」と「終焉」があり、私は趣味に対しての気持ちが枯渇しているものの、何が「終焉」したのか分からないままでいました。しかし、それがようやく分かりました。


きっかけ〜暴言を吐かれる

趣味として、大学サークルの延長で、独身時代から社会人オーケストラに所属しています。今のオーケストラには所属して12年になりました。この間、コロナや出産により2年休んで、昨年復帰しています。

今年8月に演奏会がありました。9〜12月は仕事のキャリアについて勉強や考えることを集中的にやりたいと思い、この4ヶ月はオケの活動を休むことにしていました。

9月に入った頃、同じパートのメンバー(50代後半の男性)から、以下のようなことをメールで突然言われました。
・オケには、自分たちのパートに不満を持っている人がたくさんいる。その原因は私(ともう一人の女性メンバー)にある
・子育てとの両立ができないなら、辞めてしまえ

感情に任せた書きっぷりで、暴言を吐かれるという表現があっています。

意外な引っかかり

メールを見た時の気持ち

このメールを見て、私は「あ、オケ辞めよう」と即断しました。槍玉に挙げられたもう一人はとても怒っていましたが、私は自分一人のお昼ごはんを作るときに「あ、ご飯炊き忘れた。ラーメンにしよう」くらいの感情の起伏の無さで、決断しました。

8月の演奏会当日に、4ヶ月の休団を撤回して退団しようか迷うくらいだったので、オケに対しての思いはこの程度になっていたようです。

メールの書きっぷりや論理性はひどいものでしたが、出産後はオケへ時間を割くことを減らしており、参加態度に不満を持つ人もいるだろうとは思いました。

私が引っかかった部分

「子育てとの両立ができないなら、辞めてしまえ」というマタハラな発言ではありますが、この枕詞に「人生の中で1、2に大事な育児より優先される趣味なんかあるか!」というような言葉が書かれていました。

私はこの枕詞に引っかかりを感じました。

この枕詞の部分は、私も同意です。なのに引っかかる。

引っかかりから内省する

なぜ引っかかったのか

内省してみると、私はこの枕詞の部分で、「自分が育児より趣味を優先しているひどい人間と言われている」と感じているようです。

なぜそのように捉えているのか、内省を深めてみます。

オケの先輩ママたちは「子供に手がかかる時期は短くて、今だけだよ。私も乗る曲を減らしていた時期があるよ」と言っていて、私はこの言葉を信じて、細々とでもオケ活動を続けようと思っていました。そして、この判断を否定されたように感じたので、引っかかりを感じているようです。

自分の選択は間違っていたのか?

否定されて悲しく思うのであれば、細々とでもオケ活動を続けるのは間違った選択だったのか?と自分に問てみました。

自分の答えとしては、間違っているのではなく、「大好きだったオーケストラの活動を諦めるのに必要な時間だった」という表現がしっくりきました。昨年復帰してからの約1年半がその時間です。

独身時代は、オケの活動は余暇の最優先項目に位置していました。子供が産まれて、オケの活動はひとり時間としてリフレッシュできる一方、時間的負荷が高く、負担になっていました。独身時代はこの時間的負荷を感じないくらいオーケストラの活動に注力していたようです。

そして、ここまで情熱を注げるのは好きだからに他なりません。私は自分の「大好きだった」という気持ちを認識できていませんでした。

終焉したものは何か

出産前に思い描いていた母親像があります。育児をしながら、自分の趣味としてオーケストラで演奏しているお母さんがかっこいい!自分もそうなる!と思い込んでいました。

「終焉」したのは、この母親像へのこだわりです。子育てをしながら、世界観や価値観が変わっていき、趣味も変わってきました。

大好きなオケ活動が多くの趣味の1つに過ぎなくなることが信じがたく、独身時代に抱いた母親像をなかなか手放せませんでした。『ライフシフト』で言うステージ移行をしたのだと受け入れ、「オーケストラで演奏しているお母さん」を目指すの止めました。

「終焉」を受け入れてみて

過去の自分がオケ活動を「大好きだった」こと、価値観が変わり無意識下で既に過去の話になっていたことを認められたら、今無理してオケ活動をしなくてもいいと思えました。とても気持ちが楽になりました。

この価値観が変わった自分を、今は肯定的に受け入れられています。今は、子供と一緒に参加している外国語の活動が楽しく、その活動を思う存分楽しみたいと思っています。


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