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他愛もないけど、きっと愛はある話

 最初に断っておくと、この記事は自分の頭と心の整理を目的としているので、コンテンツとしての面白さや情報の正確性は保証できない。けれど、一応は他人に読まれることを前提とした文章を書くつもりなので、美味しくない拙文でもよければ、咀嚼してもらえると嬉しい。

記憶って多分、レコード盤の溝みたいなもの

 何から書けばいいんだろう。語りたいことが沢山あるので、差し当たり過去でも反芻してみようと思う。僕が観測者になるきっかけみたいなものだ。如何せん記憶力が無いので、かなり曖昧なものだけれど。

 記憶にある範囲で遡るなら、とある少女を辿った先で、DUSTCELLの活動開始に出逢ったことだったと思う。そこで花譜の存在を認知した(休止中だった記憶もあるから、存在自体はもう少し前から知っていたのかもしれない)けれど、チャンネルを開いて動画を聴くところまではいかなかった。
 それから半年ほど月日が経って、2020年の3月頃。小説を書き始めた僕は、筆を執った早々に「自分の表現したいものが分からない」という状態に陥っていた。
 その時再会したのが、『#52「深化」』直後の花譜だった。『糸』や『心臓と絡繰』の印象がやけに強いので、多分その辺りが広告で流れていたのを目撃したんだと思う。僕の海馬はあてにならない。
 表現者として孵化したばかりだった当時の僕にとって、彼女の歌はあまりにも鋭利だった。感情的な歌声に刺された、とでも言い換えればいいのだろうか。僕は心に深い傷を創り、愛すべき呪いに侵されたのだ。
 こういう、精神的・感情的な部分を語り始めると、それをどう表現するかで無限に悩めてしまうので、ここでは取り敢えず『傷』と表現することで満足しようと思う。その傷をなぞることで、その時の痛みとも呼べる強烈な感情を思い出せるのだ。

 そんな経緯で花譜を観測し始めたわけだけれど、僕が明確に観測者を名乗り始めたのは、それから更に一年ほど経った、『不可解弐Q2』からである。  
 それまでは、投稿されている動画を時々聴いていたくらいで、最初に受けた衝撃の割には、意外と浅くゆっくりと観測していた。
 ライブが持つパワーは言うまでも無く、オンラインであったとはいえ、『Q2』で再び心に傷を創った僕は、そこから本格的に彼女の活動を応援するようになり、晴れて観測者を名乗り始めた。V.W.Pデビューのタイミングでもあったから、他のメンバーを追うようになったのも、ちょうどこの頃からだった。

早い段階で書いておきたい、恐らくは些細なこと

 noteでもそうだし、何よりツイートする度に一瞬考えるのが、『花譜のことなんて呼ぶか問題』だ。花譜に限らず、V.W.Pや神椿の他のメンバー。更に言えば、界隈内外問わず、活動者全般に言える話だと思う。
 僕の中の定義(?)では、「コンテンツとしての『花譜』」「一人の少女としての『花譜ちゃん・花譜タロ』」みたいな使い分けをしている。バーチャルとしての割合が強い場合は『花譜』、よりリアルな人格に偏った話題なら『花譜ちゃん』なのだと言った方が、分かりやすいかもしれない。

 自分から見える範囲だと、似たような使い分けをしているか、そもそも一貫して同じ呼び方をしている人が多いように感じる。そんな中で、接尾辞無しに『花譜』と呼ぶことに対して、冷たい印象を与えてしまわないかと考えてしまうのは、僕が心配性だからなのだろうか。まぁ、コンテンツとして俯瞰的に見ようとしているのだから、ある意味で冷たいのは間違いないのかもしれない。

フードを被った横顔を、今でも時折思い出す

 武道館ライブこと、『不可解参(狂)』については、noteにしたいと思いながら、実に半年近くが経過してしまっている。原因の八割くらいは単なる怠惰で、残りの二割は「どう表現すればいいか分からない」だった。そしてそれは、今も変わらない。
 一曲一曲詳細に語っていくにしては、正直今更感がある気がするし、普通にとんでもない量になるので、ここでは歌以外の部分に触れてみる。気が向いたら、歌についても書くかもしれない。

 そもそも僕は、いわゆる現地ライブが初めてだった。
 それまで観測してきたライブは、『不可解弐Q2』と『僕らため息ひとつで大人になれるんだ。』で、他の界隈に関しても、無料で見れるようなオンラインライブしか経験が無かった。そんな人間が、武道館で初めてライブ現地参加をしたのだから、感情が滅茶苦茶になったことは言うまでもない。
 僕が観測した不可解参において、誇張じゃなく一番記憶に残っているんじゃないかと思うシーンがある。事件の始まり、花譜がステージ右側から現れたその瞬間だ。
(少なくとも自分の記憶では)あまり言及している人が居なかったと思うのだが、僕はあの一瞬が本当に印象強い。
 それまでの僕にとって、彼女は100%バーチャルのキャラクターだった。歌以外をほとんど知らなかった当時の僕は、「花譜ちゃん」の存在を身近に感じる機会がなかったし、V界隈ではしばしばタブー視される部分でもあったから、どこかリアルの彼女に対する意識が薄かった。
 もちろん、僕が武道館で見た花譜は、バーチャルシンガーである。モニターないしはホログラによって投影されたデータで、普段画面で見ているものと大差ないのかもしれない。けれど僕は、一歩一歩踏みしめるように歩むあの姿を目撃した時、漸く彼女を観測したような気がした。
 当然、「現地組以外は観測していない」なんて暴論のつもりは毛頭ない。僕個人の、極めて主観的な話だ。あの時の僕の感覚を、僕という人間が観測したあの事件を、僕は強いて、「鼓動を感じた」と表現しようと思う。

 時間を二時間ほど進めて、ライブ後の話を書いてみる。スタフラが綺麗だったとか、後物販が買えなくて残念だったとか、まぁ色々あるわけだが、未だなお明確に、後悔という形で思い起こされるのは、感情の共有ができなかったことだ。
 観測者垢(をメインとした事実上の雑多垢)を作ったのは、ライブの前日。もちろん関わりのあるフォロワーはいなかった。感想をツイートしても反応らしい反応はないし、誰かと合流してなんやかんや……みたいなことも当然なかった。
 なにも、感想の共有が全てではない。事実、一人でライブをゆっくりと咀嚼できたし、一人でホテルに帰るまでの夜道は良いものだった。とは言え、他の観測者の解釈も直接聞いて見たかったし、感想を語り合って狂感覚に浸りたかった。
 次に現地参加するようなことがあれば。とは思いつつも、今の段階でオフ会はおろか、ネット上でも繋がりは皆無に等しいので、僕の悲しい人間性が露呈してしまっている。

オブラートを剥がせば承認欲求

 僕は本当に物書きなのだろうかと首を傾げたくなるほどに、読みづらい文章を書いてしまった。読みづらいし、ついでに面白くもない。小説って案外書きやすいんじゃないかと感じてしまう。次に記事を書く時は、もっと時間をかけて推敲しよう。
 どこに需要があるんだという疑問は、自分の頭と心の整理が目的だからと言い訳をすることで忘れようと思う。実際、割と整理できたし。

 整理できたからこそ、今後書きたい内容もピックアップできた。また気が向いたら、noteにまとめてみようと思う。具体的に言うと、この拙文が誰かに読まれるようなことがあれば、多分気が向くだろう。

 ここまで読んでくれた人が居れば、土下座して感謝したい。常体で書いたから感謝しづらいなと思いながら頭を下げたい。そして感謝したついでに、感想がもらえると嬉しいですとお願いしてみる。気が向くどころか、一人舞い踊って喜ぶと思うから。


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