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誤植

 僕はどうも変なところで細かいことを気にしてしまう性格のようで、20秒後にはすっかり忘れているときもあれば、5~6年、下手すれば10年経っても未だに思い出してしまうことだってある。それはその細かいことがどこまで印象に残るか、または細かいことまで目が届くほどの余裕が自分にあるかという2つに依っていて、たぶん明確な基準はない。
 ただ、そんな小さな違和感を日常の中に偶然見つけると、少なくともそれが自分の行動が原因となって起こったものでなければ、たいていは面白く思えるものである。

 ある日、夏休みだというのに大学の図書館に来て、いろいろと本を漁っていた。一応これでも物書きで文学部生なので、文学史だったり小説論だったりの本、あるいは全集を頑張って読んでみようというわけだった。それに、休み中とはいえ怠惰に身を任せるだけの生活を続ける自分が、そろそろ嫌になってきていた。
 その日は小説作法の本を読んでいた。文学史にはあまり明るくない僕でも名前を知っているような作家たちが、自分の小説作法について語るというもので、やはりプロの作家が書いている文章だから読むだけでも面白いし、自分で小説を書くうえでも大いに参考になる。
 僕は中学時代に通っていた学習塾での速読トレーニングの賜物で、読む速度が人よりちょっと速いので、内容をさっと読み込んでいってしまうことが多い。だがしっかり内容を頭に叩き込もうとすると、必然的にその速度は落ちる。この本の場合は、自分の身にしたくて、真面目にインプットしようとしていつもよりゆっくり読んでいた。
 そうしてしばらく読み進めていくと、それは突然現れた。

 ある行の一番上の文字が、なぜか横倒しになっている光景が。

 目を疑った。仮に装飾でこうするにしても、まったく意図がわからない。きっちりした評論の本に、そういう装飾は少し場違いな感じもした。とすれば、これはきっと誤植だろう。
 本の奥付を見てみると、1975年に刊行された本だった。おそらく、電子データに落とし込んで新装されたとかでもない、その当時のままの本である。この時代は活版印刷もまだ盛んに行われていたはずだから、この本もきっと電子データではなく、一つ一つ活字の版を並べて刷り、その過程で活字の向きを間違えてしまったのだろうと考えられる。それにしても、こんなミスが見過ごされて大学図書館にそのまま眠るなんてこと、果たしてあるのだろうか。

 この本は40年以上にわたって大学図書館に所蔵されている。古い貸出記録もしっかり残っているから、この誤植も、何人もの学生の目に触れてきたのだと思う。思わぬ発見に、かつての学生たちはどんな反応をしただろうか。気になってにやにやしながら何度か見返す人、見なかったことにした人……この本を前にしていろいろな表情が浮かんだはずだ。
 そして何より、活字を並べる作業をした人のことも考えずにはいられない。自分のミスが48年も経ってからインターネットで掘り返されるなど、想像もしなかっただろう。
 とはいえ、そんなミスも僕の中では笑いと記事のネタに転化されたので、むしろ感謝したいくらいである。

 大学図書館には、他にも古い本がたくさん所蔵されている。もしかしたら、今ではありえないような誤植が、本棚に眠っているかもしれない。

 なんだか面白くなってきて、図書館の閉館時間が迫ってきていたこともあり、僕はその本を借りて持ち帰ったのだった。

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