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父に伝えたい。元うつ病ニート息子の思い|うつ専門のオンラインカウンセリング塩澤順哉

心理カウンセラーの塩澤順哉です。
今回は、僕の家族についてお話しします。


昔は大嫌いだった僕の父は、

どこにでもいる「フツーのおっちゃん」だ


66歳の僕の父。
元学校の先生。
多分、どこにでもいるフツーのおっちゃんだ。

元々学校の先生をしていた父は、定年退職後、別の仕事に就いた。
今では、仕事の関係でいろんな場所に足を運んでいるらしい。
退職後、楽しそうに働いているのが、ひしひしと伝わってくる。
僕はそれがとても嬉しく思う。

今の仕事がどんな内容で、具体的に何をしているのか。詳しくは知らない。
でも、父から聞かされる話だけでも、僕の想像するような「つらくて苦しい仕事」像と大きくかけ離れているということだけは、容易に想像がついた。

琵琶湖の水質調査をしたり。
琵琶湖に船を浮かべたり。
水中で動画を撮って、魚の数を数えたり。

聞いているだけでも「そんな平和な仕事があるの?!」ってビックリするくらい、楽しそうな感じ全開で、ぽんぽんといろんな話を聞かせてくれる。
心の底から仕事を楽しんで、毎日をいきいきと過ごしている父は、輝いて見えた。

そんな父を見ていると忘れてしまいがちだけど。
思えば、父から「楽しい仕事」の話を聞くのは、実はこれが初めてかもしれない。

父は、40年近く中学校で理科の先生として働いていた。
毎年バレンタインの季節になると、生徒から沢山のチョコをもらって帰ってきていたのは、記憶に新しい。
だから多分、生徒からは好かれていたんだと思う。
でも、そのときの父から「楽しい仕事」の話を聞かされたことは、一度もなかった。

とはいえ、なんだかんだで、今は毎日を楽しくまったり過ごしている父の人物像は、大体こんな感じだろう。

  • 普通のおっちゃん!

  • 奥さん(母)と子供が2人(僕と弟)

  • 孫が2人(甥っ子、姪っ子)

  • 退職前は学校の先生

  • 今は、琵琶湖の魚を数えるアルバイト(すごく楽しそう)

……あっ、大事なことを忘れていた。

今、使っているパソコンの充電器は一度壊れたことがあって。
もう買い替えるしかないのかな?と、途方に暮れていたとき、父が修理してくれたのだ。
Macの充電器は高価だから、凄く助かったし、感謝の気持ちでいっぱいになった。
しかも!
ついでだからと言って、壊れたときのための、予備の充電器まで作ってくれたりもして。

なんだかんだ、結構優しくて良い父親なんだとは思う。

ドリルで穴を開けて、車のバックカメラを付けるのを手伝ってくれたこともある。
作業中、内装を父の手で破壊されるというアクシデントもあったけど(笑)
それも良い思い出。

そんな普通のおっちゃんで。
ちょっと優しくて良いところもあって。

だけど。
そんな父が、僕は大嫌いだった。


数年前までの僕にとっては「悪の王様の手下」だった


僕は長らく、父のことを「悪の王様の手下」だと思っていた。
ちなみに「悪の王様」は母だ。

だから僕は、小さい頃からほんの数年前まで、父のことも母のこともずっとずーっと大嫌いだった。

なんで両親のことをそんな風に思っていたのか。
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父のイメージが変わったキッカケ

  • 悪の王様=母

  • 悪の王様の手下=父

悪の王国を築いているような酷い両親に育てられたと思っていた僕だけど。
そういったイメージが変わるキッカケのような出来事があった。


保険の話をやたらとする父の不思議な言動


20代をうつ病ニートとして過ごしてきたから、心配してくれたのか。
それとも、父自身の経験からくる話をしていたのか。
ある日、父は僕に「掛け捨てのがん保険の更新をしないか?」と提案してきたのだ。

保険の話をやたら「ああでもない」「こうでもない」と言ってくる。
僕も一応保険には入っていると話した。
だからそんなに興味はないと、何度も言った。
ちょっと喧嘩になりそうになりつつも。
なかなか引いてくれない父に、僕は嫌な顔をしながら、話を聞いていた。

分かりにくい、オチのない話を長々としてくるのはいつものことだけど、今回はいつもに増してしつこくて長い。
正直なところ、当時の僕は、そんな保険の話ばかりする父のことを鬱陶しく思っていたし、煩わしく感じていた。

そうして話をしているうちに、途中で「あ、これ、”分かった”って言わないと話が終わらないやつだ」と気づいた。

イイ加減長話に付き合うのも疲れてきたし。
金額もそんなに大きくなかったし。
支払は両親がしてくれるとも言ってくれたし。

まあ、そんなこんなで。
これも両親からの愛情だと思って、受け取ることにしたのだった。


うつ病を患っている父は保険に入りたくても入れない


随分、前置きが長くなってしまった。
なんでこんなにも、父が「保険」「保険」とうるさく言うのか。
僕はこのとき、よく分かっていなかった。

だけど、保険の話が一段落してしばらくした頃、ようやくその謎が解けた。
というのも、父がボソッと次のような心情を吐露したのだ。

「だって、自分は新たに保険に入りたくても、入れないから……」

そこで僕はようやく得心がいって、「それでか!」と膝を打った。

なぜ、父は保険に入れないのか。
これには、ちゃんとした訳がある。

実は、父がまだ教職に就いていたとき、うつで休職に追い込まれたことがあるのだ。
合計で何年か休んでいたと思う。
急性期は抜け出したけれど、完治はしていなくて。
今でもクリニックに通っている。
だから保険に入ることができないんだろう。


保険の話は僕を心配してのことだった


ちなみに、僕も20代の頃、うつで通院と投薬治療を受けていたことがある。
もしも今も通院を続けていたなら、保険に入るのは難しかったかもしれない。

数年前、僕が保険に入ろうとしたときのことだ。
「念のため、最後の受診日はいつだったのか、以前通院していたクリニックに確認してほしい」と言われたことがある。
うつ病が治ってからどれくらい経ったのか、本当にうつ病が治っているのか、証明する必要があったからだ。

こんな風に、うつ病などの精神疾患にかかってしまうと、新たに保険に入るのも一苦労というか。難儀することがある。

きっと父は、自分と同じようにうつ病で通院経験のある僕が「保険に入りたくても入れない状況になる」のを危惧して、あんな話をしてきたんだろう。

ようは、僕のことを心配してくれていたわけだ。

こういったことがあってから、僕の父に対するイメージは少しずつ変わっていったように思う。


父に伝えたい「心」の話

長々と、父の話をしてしまった。
話は変わるけれど、僕はここ数年悩んでいたことがある。

それは「自分のブログをどんな風に運営していくのか」ということだ。
どんな方向性で、どんな風に運営していったら良いのか。
そのことを、ずーっと考えていた。
そんなあるとき、ふと思った。

そうだ、父に向けて書いてみよう。

父は元学校の先生。
元うつ病ニートの長男なんていうのは、彼にとっては頼りない存在で。
なんの仕事をしているのかも、きっとよく分かっていない。
そういう感じがひしひしと伝わってくるものだから、両親に心理の話をするのを、長いこと諦めていた。

でも、これからは。

父にも知ってほしい「心」の話をしていきたいと思う。

ただ、ブログ上でいくら良いことを書いたとしても、父が読んでくれる可能性は限りなく低い。
それもよく分かっている。

だから、とにかく、このブログにアクセスがものすごく集まって、広く認知されるようになって。
それで、ものすごく役に立つブログとして有名になることが、とっても大事だと思っている。
それから、このブログの内容が書籍化されて。
父の手に届く。

これくらいのことがないと、多分、僕の仕事の話なんかに興味を持たないだろうから。

きっと、父は今、楽しく働いているんだと思う。
だから、別に無理に「心理の勉強をしてほしい」とか「薬をやめてほしい」とか、そんなことは思わない。

だけど、ちょっとだけ。

僕がどんな風に元気になっていったのか。
そのことを知ってほしいなあ、とも思うのだ。


うつ病がもたらす家族への影響

父がうつで休職したとき。
うちは、母が専業主婦だったから、その点でもすごく大変だったと思う。
収入源はしばらく絶たれたも同然で、経済的にも先行きは不透明だ。

大黒柱が一本で。
その大黒柱がお休み状態になるというのは、とてもキツいこと。
そんな、精神的にも経済的にも不安定な中、母が大変な思いをしていたのは理解できる。

ただ、胃潰瘍で入院していた息子に対して、心配や労いの言葉よりも先に浴びせられた辛辣なコメントは、あまりにも痛烈に僕の心を抉った。

「こんな大変なときに入院して、一体どれだけお金がかかるんだ!」

病室のベッドで寝ている僕に、般若の様相で食って掛かる母の目は血走っていて、その頭部には黒い角が二本生えているような錯覚さえ覚えた。

この人は本当に母親なのだろうか?

あまりにもあんまりな反応に、僕は目の前が真っ暗になった。
でもきっと、母はそれくらい追い詰められていたんだと思う。

「家族がうつになる」ということは、周りの家族にとっても大変な出来事で、人を鬼にしてしまうほど多大なる影響を与えるのだと、まざまざと実感させられた瞬間だった。

このときの母の発言は多分、僕は一生忘れないと思う。
でも、言った方は覚えていない。

こういうことが、毎日毎日、いろんな家庭で繰り返されているわけだ。

だから、僕は一つでも、そういう家族を減らしたい。
そういう先生を減らしたい。
僕みたいな思いをする人を減らしたい。
そう思っている。


うつを抜け出した僕の目指す道

うつから抜け出す「鍵」のような存在に


幸運なことに、僕は師匠と出会ったことで、うつから抜け出して元気になることができた。
師匠との出会いがなければ、今もうつで悩んでいたと思う。

たった一人の人との出会いで、人生は大きく変わることがある。

偶然なのか。必然なのか。
そういった奇跡的な出会いが、人の人生を180度変えていく。
良い方向にも、もちろん、悪い方向にも。

師匠のような存在になりたいと思って、これまでやってきた。
だからこそ、今の僕がある。

僕の存在が、うつのあなたにとって、そこから抜け出す鍵になる。

そう確信している。

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多くの人がうつで悩まない世の中へ


師匠と出会ってから、とにかくメチャクチャ勉強しまくった。
心理学の本を読んで。
セミナーに行きまくって。
海外まで研修にも行った。

すべては、父や、父と同じように悩む人やそのご家族を、少しでも手助けできるようになるためにやってきたことだ。

学校の先生が心の悩みで休職するというのは、そう珍しい話ではない。
きっと、京都だけでも、たくさんの先生が休職していて。
それを支えるご家族も、大変な思いをしていると思う。

うつは治していける病だと。
このことを、父や、うつで悩む皆さんに知ってほしい。

そして、心理学を知ることで、正しい知識を持ち、一人でも多くの人が、うつで悩まない世の中にしていきたい。

うつで悩んでいる人たちの手助けに少しでもなれば、こんなに嬉しいことはないのだから。


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