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暗黒日記Z #35 「懺悔」 

卯月コウの脱法ロックが本当に脱法レベルのブツで情緒ドンガラガッシャンなみなさん。どうもこんばんは。無料パートの民です。悩んだ末にすごすごとすごってきた。円盤出るっぽいからその時までひとまず。Day1もまるっと見逃してるし。何の話か分からない人は「にじさんじ FANTASIA」で検索検索。

何故かこの一週間くらいライブをたくさん見ていた。ネットでではあるが。U-NEXTでいやまさか無いよなと思いつつ「GRAPEVINE」と検索してみたら映像コンテンツがいくつかあったのがきっかけだった。その中でもアルバム『真昼のストレンジランド』の初回特典だったらしいライブ映像は見たことがなかったので、迷わずそれを再生した。素晴らしかった。うっすら知っているのだが、確か映像に収められているライブは震災で中断か延期を余儀なくされたツアーからのものなのである。だから田中和将は開口一番「君たちの物語は続いています」と言った。そこに込められた思いの深さに打たれている中で「Silverado」のシンプルながら広がりのあるイントロを鳴らされては、どうしても強く感じ入らずにはいられなかった。

それからBUMP OF CHICKENのaurora arcリリース時のライブの映像も見た。知っていたことではあるが、彼等はGRAPEVINEとは真逆と言って良いほどライブにおける姿勢が違っていた。バインがまるでジャズバーでのバンドと客のような関係性をオーディエンスとの間に築いているのに対し、BUMPは、殊に藤原基央は、ひたすら観客に向けて歌っていた。どこまでも真摯にステージから歌を届けていた。その様に感動すると同時に、私は思い出していたことがあった。

私が初めて生で観たアーティストがBUMP OF CHICKENだった。高校一年生の頃のことである。正直言って、もちろん忘れられない最高の思い出ではあるのだが、その日のことを思う度、喜びと同時にとても複雑な気持ちも蘇ってきてしまう。何故と言って、一人で足を運んだわけではないのだ。同行者がいた。ある女の子に誘われて、私は彼等のライブを観に朱鷺メッセという新潟県下随一のアリーナへ赴いた。その女の子というのは高校の同級生で、クラスは違うが少しだけ関わりがある相手だった。しかし、変なことを言うようだが、その子とリアルでの関わりは一切無かった。

リアルではなくmixi上でだけつながりがあった。私は当時Twitterをしておらず、だがTwitter的な感覚でちょっとした独り言を主に放流する用途でmixiを利用していた。当時を知る人であれば分かると思うが、mixiはTwitterなどと比べて地域性というか、同地域の人々との交流がどちらかというと遠方の人々よりも多くなっていた(単に私がそういう使い方をしてしまっていただけかもしれないのは否めないといえば否めない)ので、そんな風にネットの片隅でブツブツよく分からないことをぼやいているだけの気でいても、ほとんどの場合同級生達に捕捉されていた。まさにそうしてよく私の投稿に反応していたのが、私をライブに誘ってくれた子なのである。そういったわけで、同じ高校に通う同級生でネットでのつながりはありながらリアルでの関わりは無いという奇妙な関係が出来上がっていたということだ。

その子がある日、一緒に行く予定だった相手がドタキャンしたとかで、私に一緒に行かないかと提案してきた。ライブなど画面上で見るだけのものとどこかで思っていた私にとって、自分が実際に現地へ足を運ぶというのは少し恐ろしくはあったが、この機会は逃してはいけないと思い、了承した。そして当日、私たちはともに朱鷺メッセまでのシャトルバスに乗った。その車内で相手は、我々と同じく会場へと向かっているのは明らかな、首にBUMP OF CHICKENのライブグッズらしきタオルをかけた人物を窓外に見つけては、興奮した様子で私に報告してきた。私はそれに対して胡乱な反応しか出来なかった。

何と言っても高校時代の私といえば、ネットでは今よりも何割か増しに若さ故の痛いテンションで色々と語っていたが、リアルでは人と会話することなどほぼなかったのである。完全に孤立し、昼には教室に居られず図書館の前の廊下に直で座って奇怪な本を読みつつ弁当を一人食らっていたような時代だ。そんな私がネット上のつながりこそあれど実際に会って話すのは初めての相手と楽しく交流するなどというのは土台無理であって、行きのバスの時点で既に申し訳なさでいっぱいになってしまった。

しかしBUMP OF CHICKENというのはえらいもので、アリーナというどでかい会場で彼等のライブを体験してしまうと、その場へ辿り着くまでに感じていた暗い感情など綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。ライブの間中、私は終始一生に一度の体験をしているという確かな実感を覚えて、これ以上無いほど楽しんでいた。だがそんな夢のような時間にももちろん終わりはやってくるのである。一万人にも及ぼうかという観客達から離れ、一対一で私を誘ってくれた相手ともう一度向き合わなければいけない時が来てしまった。

そこで私の採った行動について、私は未だに後悔している。何をしたかというと、至極単純だ。逃げた。ライブが終わると、相手と合流しようとはせず、私は一人でバスに乗り込んだ。きっとまた一対一になった途端に私は何も喋れなくなってしまうと思い、その辛さを想像して恐ろしさに震え、そんなことにならないように逃げてしまった。その方が相手にとっても良い。私のような何も話せないやつと帰り道をともにするより、一人で思い出にゆっくりと浸って欲しい、とかなんとか心の中で必死に自己弁護しながら見た夜の風景はもうただただ真っ暗で、真っ黒で、鈍重だった。

その後、相手の女の子が行きのバスの中で自分もライブというものに参加するのは初めてだと語っていたな、ということについて考えるにつけ、私は本当に大変な申し訳ないことをしてしまったという罪悪感でしおしおになっていたが、しばらくすると軽音楽部の恋人が出来たとかで、楽しそうに連れ立ってはしゃぐ姿を見かけるようになった。それは私にとって少しばかり救いになってくれた。人生初ライブの嫌な記憶などあっという間に薄れて無くなるくらい最高のライブをたくさん観られているだろうと想像出来たから。

今となっては相手はもう覚えてすらねえかもなとは思う。

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