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令和DINKs、迷いながら親になる。

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都内在住、IT業界でハードに働き続けた筆者(30歳)が20代後半から苦悩した「子供が欲しいのか分からない、というか考えたくない。」というひとつの本音をスタートラインに、仕事と家族… もっと読む
このマガジンは月1〜2本で追加され、出産予定日の2022年秋頃にかけて10本程度のマガジンになる予… もっと詳しく
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記事一覧

産後の仕事復帰で、無自覚にパンクしたことを振り返る。

31歳の秋、わたしは子を産んだ。 それは自身にとっては初の出産であり、第一子の男の子であった。つわりが地獄のようであったり、出産に伴う陣痛はこの世のものとは思えない痛みではあったが、幸いにも母子共に順調な毎日を過ごしていた。 実母も夫も産後はとても助けてくれて、一緒に子供を可愛がってくれた。私はそれがなんだかすごく嬉しくて、みんなで同じ気持ちで同じように彼を愛してくれているという事実がすごく身に染みて仕方なかったのを覚えている。育休中は本当に溶けるような毎日で、とにかく食

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子育てとは「孤独な推し活」なのかもしれない。

第一子が産まれ、早9ヶ月が過ぎた。 ひと月が光のような速さで過ぎていく体感に圧倒されながら、あうあう微かな声を出すことしかできなかった彼もハイハイの真似事を始めたり、いないいないばあで大笑いをするようになった。 うんこは漏らすし、ヨダレは垂らすし、最近は用意した離乳食をひっくり返された。夜に打ち合わせが入った日に限って寝付きが悪く、寝かしつけが間に合うかとチキンレースをした夜もある。そんな小さなハプニングに翻弄されながら、溺れながら泳ぐような毎日を過ごしている。 産前に

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マガジンの今後について

気がつけば、すでに第一子の産後から5ヶ月が経とうとしています。 ありがたいことに、不思議な確信を元に思いつきと勢いで始めたこのマガジン「令和DINKs、迷いながら親になる。」も開始からもうすぐ一年が経とうとしています。 ワンコインとはいえ、大部分は有料部分で占められているコンテンツがどこまで読んでもらえるのだろうか。とにかく不安に駆られていたのが今でも鮮明に思い出せるのですが、公開後はわたしの想定をはるかに超えて多くの方に読んで頂けました。 我ながらあまりに節操がない題

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いま、親になっている-DINKs思考だったわたしの出産レポート。

早朝、少しだけ肌寒さが落ち着いてきた寝室で目が覚めた。 毎朝スマホのけたたましいアラーム音がなければ、いつまでも死んだように昼近くまで寝ていた自分が、アラームが鳴る5分前に自然と目が覚めるようになるとは夢にも思っていなかったと物思いにふける。 爆睡しきっている相方を横目に、静かにベットを這い出てすぐ横に置かれている木製の、腰高なベビーベットを覗き込む。昨晩もせっかく布団をかけてやったというのに、小さくもたくましい足で全ての布団が足元に蹴散らされている。それどころか買い換え

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イメージとかけ離れた妊娠後期の実記録。

おい、うそだろう。 私はまるで工業製品のようにキツく張り詰めた自分の腹に触れながら、手越しに伝わってくる振動とその圧迫感にひとり唸っていた。 出産まであと2ヶ月弱、妊娠9ヶ月というラストスパートへ向かっている私の人体は想像を遥かに超える天変地異を起こしていた。そしてそれは、私が30年以上も認識していた「妊婦像」とは遠くかけ離れたものであったのだ。 出産を終えてはや3ヶ月、今のうちに忘備録としてわたしが妊娠後期に感じたギャップとその症状について書き留めておこうと思う。

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妊娠7ヶ月でコロナを罹い、想定外の「咳」に苦しめられた話。

かれこれこの2年ほど世間のあらゆる話題を掻っ攫っていたコロナウィルスの毒牙に、ついに私もやられてしまった。それは戻り梅雨も明け、肌を突き刺すような日差しが戻ってきた真夏の入り口にあたる2022年の7月末のことであった。 日曜の朝に目が覚めると、妙な悪寒がしたので「これは」と瞬間的に覚悟を決めた。熱を測るとまだ微熱程度ではあったが、この体の軋み方は間違いなく風邪の諸症状であった。そして今の時期、これがただの風邪である期待は非常に薄かった。 「残念ながら、陽性ですね」 かか

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一人目が「男の子で良かった」と感じた自分に、酷くガッカリした話。

「股の間からチョンって飛び出てるでしょ、男の子ですね。」 担当医に言われながら目線をやった先のモニター越しに、確かに朧げながら小さな息子の息子を視認した。本当にこれが?と思うぐらいのサイズではあったのだが、よくよく聞いてみるとほぼ間違いないらしい。 青天の霹靂とまではいかなかったものの、これで我が子孫の身体上の性別が「男の子」だということが発覚した決定的瞬間であった。それは妊娠6ヶ月をすぎた、梅雨入り前の季節であった。 (男の子、か。) どうにも全然実感が湧かなかった

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地味な母性でもいいじゃないか、と思った話。

こいつ、いつ死ぬのかわからんのだよな。 不意に、不穏な言葉が脳裏をよぎる。自分の下腹部に目線を落としてそろりと自身のお腹を撫でてみるが、まだ膨らみもなければ大した動きもない。しかしそこに自分ではない「何か」が芽生えたということは科学が数値という記号を用いて、確かな現実を示していた。 当時のわたしはまだ妊娠5週目であった。 検査の結果、心拍を確認した担当医から「おめでとうございます」と告げられたのは良いものの、内心わたしは素直に喜べないでいた。それは事前にネット情報で知っ

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突然5児の母親に!デグーの出産珍事件から想う子育ての始まりと終わり。

私は絶句した、子供が生まれたのだ。 人はあまりにも驚くと、声が出なくなるということを学んだと同時に、今のわたしを正確に描写するなら漫画のように目玉がぼろりとこぼれ落ちる表現がピッタリのように思えた。日中は妊娠初期の地味な食べつわりでなかなかにグロッキーになっていたはずなのに、一瞬でドーパミンが噴水のように湧き上がったようで胃の気持ち悪さは一瞬で吹っ飛んでいった。 まず安心して欲しいのだが、今回生まれたのはわたしの子供ではない。 まだ妊娠7週目目前の初期段階で産まれてしま

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つわりがこんなに「孤独」で「過酷」だなんて、聞いてないんだが。

朝だ。 重い瞼が静かに膜を上げると、いつもの白い天井が視界に飛び込んでくる。頭上にある小窓から差し込む光の具合で、今日の天気が冴えない曇り模様だということがじんわりと脳内で理解されていった。時刻はまだ早朝の5時をすぎたところだった。 ああ、今日も、地獄という1日が始まる。 意識が戻った瞬間に、体の中心にもの暗い気持ちが押し寄せてくる。ただただ目が覚めたことに、これほど絶望したことが今までの人生であっただろうか。既にビンビンと感じる胃の壮絶な不快感と、いまにも脳が割れそう

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不妊症と診断されて、どこかホッとした自分がいた話。

まだ日の登り切らない早朝。 珍しく目が早く覚めてしまったわたしは、まだ横で寝息を立てている相方に目線を落とす。彼を起こさないように一人、そっとベットから起き上がって洗面所に向かい、バシャバシャと顔を洗った。初冬に足を踏み入れ始めた空気が肌にシンと伝わり、水の温度はあっという間に手の温度を奪っていく。 パジャマのままサンダルを履き、玄関の鍵を開けて階段を降りていく。軒先の郵便受けまでたどり着き、パカりと中身を確認するとチラシに紛れて見慣れない茶封筒がポストに投函されていた。

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マガジンのご案内。

この度、新しく書き始めることとした当マガジン令和DINKs、迷いながら親になる。は典型的な仕事大好き人間であった筆者(女)が「子供を産んで親になる」という不安から逃げ続け、葛藤し、その末に選択した妊娠出産までの過程を赤裸々に書き綴ったエッセイ集です。 当エッセイを読んでいただくにあたり、テーマとしてもセンシティブな内容が含まれることが多分にあるため、あえてこの場をお借りして読み手のみなさまへの「前置き」としてお読みいただければ幸いです。 また普段は下記の別マガジンにて、日

仕事と結婚と、子供について悩み始めた人に知ってほしい「ブライダルチェック」のススメ。

「子供、いつか産むのかなぁ」 当時20代半ば。定時をとっくに過ぎた薄暗い静かなオフィスで、わたしは不意に天井を見上げた。張り付いていたキーボードから手を離すと、仕事の締切に追われながら酷使し続けていた体がついにギシりと鈍い音を立て、いよいよ溜まった眼精疲労と肩こりがあまりに酷いことに気がついた。 手元のタンブラーに残っていたミネラルウォーターを手に取ると、それを一気に飲み干してそそくさと帰り支度を始めた。会社を出ると飲み会帰りのサラリーマンで街は賑やかだった。仕事脳のまま

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最適なタイミングも、納得も、覚悟すらないまま、ただ親になるということ。

「大丈夫よぉ、産めば分かるから!」 悪びれもなく、カラカラと明るい表情で誰かがわたしに言葉を投げる。一見するとフワッとした柔らかいボールのように見えるのだけれど、それはわたしの掌に落ちた瞬間、地獄の拷問器具の如く鋭利な針を突き出した。針は瞬間的にわたしの手に突き刺さり、血が溢れ出すようにわたしの心は酷い悲鳴をあげた。 ふざけん、な。 そんな科学的根拠もロジカルもクソもない理論を、このわたしに信じろというのか。痛みを通り越して、頭の中は煮えたぎるマグマのようにグラグラと怒

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