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木蓮Diary(2) 家の主は黒ネコ ノイチ

アリッサの愛猫は5歳ほどの黒い雄猫だ。名前はノイチという。
膝には決して乗って来ないし、椅子には頬擦りするのに人にはしない。びっくりするほどすぐキレるし、怒りに任せて噛んできた日には穴が開きそうな絶妙な力加減で歯形がつくのだ。けっこうコワイ。

私は猫を飼ったことがない。
飼ったことがない立場として推測すると、通常は猫と飼い主が出会ってからお互いに信頼関係を築くにあたって、飼い主はきっと猫の仕草や表情を観察しながら、「こいつはきっと今こんなことを考えているんだろう」とか「さっき俺がしてやったアレをあいつは喜んでくれたみたいだ」とあれこれ推測し、相手がどんな猫なのか知っていく段階があるのだと思う。
その工程は、2ヶ月やそこらではほんの初級レベルにしか到達できないものらしい。私は、ノイチの人格をどんなふうに捉えたらいいのか、今もいまいち分からないのだから。

それでも、最近少しだけ理解できたことがある。
どうも、彼は愛玩動物としてこの家にいるわけではないみたいだ。
アリッサに教えてもらったのだけど、ノイチにとっては私もアリッサもただの家来らしい。そしてこの家も、彼が管理していることになっているそうだ(あくまで彼目線の話)。
私も彼のことを「可愛がるべき存在」と当初みなしていたが、彼と関わるうちに、そういう解釈はあまりにも彼が持つ世界を簡略化しすぎていると思うようになった。
そもそも猫は人間のルールとは相淹れない本能を持っているし、飼い主が自分でも把握していないちょっとした法則性を理解する高い知能がある。だから、人に愛想を振りまく姿は所詮、その猫が見せるほんの一部の姿でしかないのだろう。

アリッサは人間より動物を尊敬するタイプ。彼女はノイチを猫として心から敬愛し、自分を信じてくれることへの感謝を絶やさない。美しい生き物だと毎日賛辞を送っている。
一方のノイチも、人間から「カワイイ」と言われるより、「かっこいい」と言われる方が嬉しいようだ。特に、隙あらば可愛がろうとする私の前では、甘える姿ではなく凛々しい姿を見せつけてくるのだ。それも高い食器棚の上から堂々と私を見下ろして。「今日の俺も、かっこいいだろ?」と言っているようだ。


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