見出し画像

シンガポール紀行(2022.12)

 これから真夏の国に行くのに、ブルブル身を震わせながら電車を待つ。朝9時のフライトのため、ほぼ始発の電車に乗り、早朝6時の日暮里発のスカイライナーに乗り換えないと間に合わない。鈍行よりも1500円ほど課金しないといけないのは辛かったが、やむなく数日前にオンラインチケットをポチッと購入した次第である。

 成田空港に着くと、チェックインカウンターは既に20人くらいのキューを成しており、搭乗の2時間前に来たものの、間に合うのか心配になった。空港の職員もかなり慌てた様子で、我々搭乗者を捌くのに必死なようだ。この時から怪しいと思っていたが、保安検査を抜けた頃に出発時刻の遅延が知らされた。

 搭乗ゲートの待機席での時間が暇だったので、ちと早いが家族に送る土産を考えることにした。シンガポールと言ったらドリアンか。いや、あれは現地の公共交通機関でさえも持ち込めない上に、お菓子のドリアン味も不評に違いない。マーライオンを模ったキーホルダーやお菓子もいいが、送るならもっと Authentic なものがいい。

 いやはや、シンガポールらしさとは一体なんなのだろうか。淡路島ほどしかないこの小国には何があるのだろうか。早くこの疑問を晴らしたい気持ちと初めて一人で国際線に乗る不安でアドレナリンが過剰放出 したせいか、全く休めないまま、夕方六時前に予定の約二時間遅れでチャンギ国際空港に到着した。

 生暖かいもわっとした空気、謎の南国っぽい匂い、多様な人種、聞こえてくる言語 ...。何もかもが違う空間に放り出され、フライトの疲れが一気に飛ぶほど感覚が研ぎ澄まされる。シンガポール共和国。どうやら遠いところまで一人できてしまったようだ。

 これから一週間、シンガポール北東部の Kovan という居住区にある彼のお宅にお世話になる。着いて早々、お母さん特製チャーハンと野菜スープと、湯葉に包まれた棒状の茶色い揚げ物をいただいた。揚げ物の名前を聞いてみたが、家族みんな基本的に中国語を話すのでよく聞き取れなかった。中には肉や野菜が入っており、どこか懐かしい味がした。醤油ベースの(正確には dark soy sauce という異なる種類のソースでとろみがあり、塩味はほぼなく少し甘い)味付けがなされており、日本と近しい味になるのだと思われる。ただ、スープは薄味料理で育った私でさえかなり淡白に感じ、日本料理の奥深い味は塩分や出汁に支えられているのだと気付かされた。チ ャーハンには揚げた湯葉が添えられていて、パリパリとした食感を楽しめた。日本と違ってここでは揚げるのがメジャーなようだ。

 シンガポールでの初の家庭料理は大満足だったが、食事前に「いただきます」の一言もなく何の合図なしに皆が食べ始めるのには心底驚いた。世界中で「いただきます」を言うのはマイノリティであることは理解していたが、こんなにも衝撃を受けるとは思ってもみなかった。やや気まずかったが、何も言わずに食べ始めるのは真理に背く気がしたため、「いただきます。」と細々とした声とともに手を合わせた。

 翌日。

 本当に今日はクリスマスイブなのだろうか。つい昨日まで寒波のニュースで持ちきりだったのに、今はノースリーブで街を歩いている。全身の感覚が麻痺しそうになるほど異様である。朝ごはんには日本から持ってきた九州パンケーキの粉を使ってパンケーキを作った。おかずにハッシュブラウンとソーセージを焼き、その様子を見たAuntie(シンガポールでは年上の女性をauntie、男性をuncleと気軽に呼ぶので、彼のご両親のことも呼ぶことにした)がデザートにブルーベリーを用意してくれた。食べ慣れたものが並ぶご飯ほど胃が落ち着くものはなく、滞在中何回かはこのような料理をいただきたい、と心の中で呟いた。

 朝食を終えると、車で十五分ほどの距離にある近場のショッピングモールに連れて行ってもらった。中の様子は日本とさほど変わらないが、一つ挙げるとするならば、スーパーだろう。 店の外まで漂うドリアンの匂いに出迎えられるのだ。この刺激臭ときたら凄まじい。シンガポールや他の国で見たり食べたりしたことのある人なら話が早いが、ネギ系のツンとする匂いと果実の甘ったるい香りが絡み合い、見事な不協和音を成して嗅覚を襲う。この匂いを前にしてしかめ面を隠せないが、他国のスーパーほど面白い場所はない。いざ足を踏み入れると、⻘果が充実しており、日本ではみたことのない果物が彩り豊かに陳列されていた。キウイなど親しみのある果物も比較的安価で手に入るため、つい羨望の眼差しを向けてしまう。

 ぐるぐるとモール内を回っているうちに正午を回ったので、バクテーが人気のお店に入った。今まで生きてきた中で一番と言えるほど胡椒のパンチが効いたスープは夏バテしそうな体に沁みた。バクテーには大きく三種類あり、シンガポールで主流なのは色の薄い見た目に反してコショウやニンニクの効いた Teochew スタイルである。他はハーブと醤油がベースで茶色いHokkien スタイルと薬用ハーブが使われる Cantonese スタイルがある。

 この日の夕方、彼の親戚宅でクリスマスパーティーがあるというので同行した。シンガポールでも信教に関わらずクリスマスを祝うようだ。親戚の家周辺は一軒家が ずらりと並ぶ閑静な住宅街で、似たような外観の家が建ち並ぶ日本と違い、個性豊かな造りの家々が隣り合っていた。道路にはすでに路駐の車がずらりと並んでおり、恒例の駐車場探しが始まる。恐らく狭い国土のせいだろう、大規模なパーキングでさえも駐車場所を見つけるのに苦労する。なんとか車一台分のスペースを見つけ、駐車することができた。

 親戚宅の広い玄関部には椅子と机がセッティングされ、食べ物が沢山並んでいた。三年ぶりのクリスマスパーティーということで二十人ほどが集まっていて、もはや誰が誰だかわからない。笑顔で迎えられたのは束の間、そこは英語と中国語が弾丸の如く飛び交う異世界だった。会話をほとんど理解できず一人取り残された気持ちになった。そそくさと料理を物色していると、ネットで見つけてからずっと気になっていた Hokkien mee があった。シーフード焼きそばのような料理で、麺を二種類使ってしていることと優しい味付けが気に入り、病みつきになった。料理主のUncle (名前は覚えられなかった)に一番美味しかったよとお礼を言ったら、とても誇らしそうに笑ってくれた。気持ちが通じ、やっと輪に入れた気がして心がポッとした。

 二、三日経過してわかったのは、観光地と居住区の棲み分けが見事だということである。 シンガポールの代名詞であるマリーナベイサンズやマーライオンの位置する南部のセントラルエリアは煌びやかで観光客で賑わう。対して郊外の居住エリアはゆったりとした時間の流れに包まれ、比較的落ち着いた雰囲気が漂う。このコントラストを車窓から楽しんでいると、ホテル滞在でMRT(地下鉄)を主な移動手段とする一般的な観光客とは違う景色を楽しめている、という謎の優越感が湧いてくる。ちょっとダサい Tシャツと日本では絶対履かない丈のショートパンツにビーサンを履いて夜散歩に行った時も、ローカルな目線で街を散策でき、地元に溶け込めた気がした。

 また、食事が旅の満足度を左右するといっても過言でもない。その観点からするとシンガポールグルメはパーフェクトだ。お金をかければホテルのダイニングや美味しいレストランで豪華な食事をとることができるし、お金をかけなくとも至る所にあるホーカーという屋台とフードコートの中間のような食事処で学食くらいの値段でバラエティに富んだローカルフードを美味しくいただける。

 四日目。

 彼にチャイナタウンにあるホーカーに案内してもらった。MRTで30分ほどの距離なのだが、地上に出た途端、混沌とした匂いと至る所にある赤色に感覚が奪われた。狭い敷地で鶏肉、カエル、栗などそれぞれ異なる食材を扱う屋台がひしめき合い、異なる香りを放ち、物販店には赤に染まった商品がずらりと並んでいた。建物内にも迷路のようにお店があり、来た道を一瞬で忘れてしまうほどだった。その上階にあるホーカーにやっとの思いで着くと、お目当ての一番人気のチキンライスのお店には⻑いキューができていた。泣く泣く断念し、代わりに別の店で買ったのだが、非常に美味しく、チキンライス経験値1の私が良し悪しを判断するに五年はかかるなと軽く悟った。チキンライスと一緒に購入した⻩緑のパステルカラーのサトウキビジュースも自然な甘さで美味しかった。

 五日目。

 彼の友人宅に遊びに行った。彼の友人はHDBという公共団地に暮らしている。シンガポールは狭い国土を有効に使うべく、政府が HDB という集合団地を建て、今や人口の八割がそこに住んでいる。

 エレベーターで上がっていって扉が開くと、エレベーターを乗り降りする空間にテーブルやテレビなどを置いてゲームやスポーツ観戦をして盛り上がっている人々が目の前にいきなり現れた。予想打にしない光景に思わず口を開けて固まってしまった。なんとかすぐに正気を取り戻し、邪魔にならないようカニ歩きでその場をすり抜けたが、ありえない光景すぎて危うく目玉が飛び出るところだった。これは彼曰く、カンポン文化の表れらしい。カンポンとは、まだ国自体が貧しかった時代に根強かった慣習で、人々は近隣の家々を行き来し常に助け合っていたそう。シンガポール人、特にセントラルエリアの方では皆せかせかとしていて人情を感じにくいと思っていたが、ここシンガポールにも日本の田舎のような、人の温かみを感じる空間があることを目の当たりにし、親近感が湧いた。


 日本との距離を体感し、何のデバイスも通さず自分の目で見て、直接会話をし、相手の人となりを理解する。現地の人が作った出来立ての料理をいただき、彼らの日常に染まっていく。シンガポール滞在を通して、生活空間にはない新たな空間に自身を没入させるという、旅の真髄を味わえた。そして、五感から得る情報の何千、何万通りもの組み合わせが、その国らしさを形成していると感じた。中華系、マレー系、インド系など、多くの⺠族と世界中からやってくる移⺠が暮らす都市国家、シンガポール共和国。⺠族の坩堝であるこの小さな島国を言葉で説明しようとすること自体がそもそもの過ちであったかもしれない。そんな葛藤と戦いつつ、土産話を沢山引っ提げて帰路につく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今まで記事にしてきた内容やそうでないことも色々盛り込んで、真面目に紀行文を書いてみました!
いつもと違うテイストですが、最後まで読んでくださりありがとうございました!

大好きなシンガポールの魅力がより多くの人に届きますように。

Amashiro

#わたしの旅行記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?