見出し画像

不安な時に備えて、定型文をたずさえる。

『不安を取り除くため、「記憶」を失うことにした。』と言う記事を修正、再掲します。有料にするのを止めました。誰かの目に留まり、不安を減らすお守りになったらいいなあと思います。


「そうだ、記憶を失ったことにしよう」、年末のある日に私は閃いた。

私が休職期間、最も不安に感じていたことは、勤めていた学校の生徒・保護者・教員に声をかけられることや現在の私の姿を見られること。なぜかというと、「病人らしくしていないといけない」と思っていたから。「休職中だから、元気な姿を社会へさらしてはいけない」と、なんとも悲しい思い込みに囚われていた。

今まで我慢してきた「やりたかったこと」をしているのに、職場での私を知っている人たちに、どうしても見られたくなかった。ネイルをしたり、髪を染めたり、ツヤツヤの肌、メイクをした姿、鮮やかな服を身にまとう姿(過去記事)。夫や友人と楽しげにカフェで過ごす姿。「あれ、元気じゃん。休んでるくせに。」そう思われるかもと思うとどうしても他人の目を気にしてしまう自分から逃れられなかった。

実際に休日の図書館である生徒にでくわした。その時は動揺で言葉が何も出ず、フリーズした。(その生徒は挨拶をして颯爽と立ち去ってくれたので助かった)

別日の図書館でも生徒らしき学生が私を見て友人とコソコソ話をしている気がして、逃げるように帰路へついた。そこまでは直接何かは無かったが、またとある日。
関わりのあった職員と町で偶然出会った時に「元気そうじゃん」と声をかけられた。この時、心がざわめいたのを感じた。

何を見て、彼らは私を「元気」「回復している」と判断しているんだろう。

他人の心中や体調具合なんて、目に見えないことは理解しているつもりだけど…やっぱり「いやだな」と思ったし、この不快な気持ちを心地よく暮らすために「手放したい」とずっとずっと悩んでいた。

たったそれだけのこと。だけど私は、とてもとても大きな不安を抱きながらこの1年間を過ごしてきた。そんな中でふと頭に降りて来たひらめきが、冒頭の言葉だった。

「そうだ、記憶を失ったことにしよう」

わたしは、「特定の人物(会うと動揺してしまう人)から話しかけられた時の定型文」を自分の中にたずさえることに決めた。

①生徒に出会った場合

「〇〇先生ですよね?」と問われたら。ちょっと困り顔で考えるフリをした後。

「ああ、ごめんなさい、ちょっとここ数年の記憶がなくて…。思い出せなくてごめんなさい。でも、どうかお元気でいてくださいね。」

上記を実際に口にする夢を見た。生徒は泣いていた。私はたんたんと決めた定型文を口にしていた。夢から覚めた時、そんな自分にちょっと驚いた。

きっと声をかけてくる生徒たちは「自分のことを先生は覚えてくれている」という気持ちをもって話しかけていると思う。(自分自身にも思い当たる)

だから、申し訳ないけれど、まず最初の一言で心折れてもらおう。相手がどんなにあきらめなくても、「ああ、どうにも。ごめんなさい。」を繰り返して、フェードアウトしようと決めた。決めてからというもの、ありがたいことにまだこれを発動する日はやって来ていない…(このまま無事に引っ越しの日を迎えたい…)

②知人に会って「元気そうじゃん」と言われた場合

「うーん(困惑する顔)。元気ではないけど、なんとかぼちぼち過ごしています。」

これは効果大でした。

定型文を決めてから、買い物中にばったり出会った人に返答してみた。相手はかなり面食らっていた。きっと「元気です」が返ってくるもんだと思っていたんだと思う。

彼女は少し虚空を見つめて「…少しは回復はしてきたのかな?」と言い直してくれた。それには心からうなづくことができた。心がキュッと痛んだけれど、モヤモヤは無かった。

今のところは、この2パターン。たった2つの定型文をつくっただけで、大きく分厚い盾を手に入れた気分になった。

きっとこれ以外にも、「不快・不安に感じる言葉」に出会うことがあると思う。そうなったときに大ダメージを受けないために…事前にできる対策をしておく。受けた傷はそのままにせず、未来の自分を守る糧にする。
試行錯誤しながら、定型文を増やして、自分の心身の安定を自分で守れるようにしていきたい。

毎日を生きていくにはいろんなしがらみがあります。それでも、しなやかに社会の波間をぬっていきたいですね。

定型文を事前にもっておくこと。それがだれかの心のお守りになりますように。