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テレゴニー

 テレゴニー、という説がある。たまたま会社でかかっているFMラジオで聴いた。
 ある雌が以前ある雄と交わり、その後その雌と別の雄との間に生んだ子に前の雄の特徴が遺伝する、という理論。それがテレゴニー。つまり女の前の男に似た子どもが生まれる、そんな説。19世紀後半までは広く信じられてきたが立証はされていないらしい。現在では類似の現象がハエで発見されているそうだ。たしか猫も複数の父親の遺伝子が混ざって子どもが生まれるんじゃなかったっけ。だから兄弟で毛色が違ったり。なるほど、トンデモ理論なのかもしれない。でも広く信じられてきたということは経験則でもあるわけだ。猫やハエでそういうことがあるのなら、人間にあったってべつにおかしくはないと思う。科学の常識なんてすぐひっくり返って変わっていくんだ。地動説だって最初はトンデモ理論だったわけだし。


 俺は何となしに、帰宅後妻にこの話をしてみた。幼稚園年少さんの娘はあどけない顔でぐうすか寝ている。なかなか晩飯も一緒に食えないけど、土日は目一杯遊んでやるからな、よしよし。
 妻は言った。


「へえ、面白いね。それってさ、前の彼氏との浮気を隠すための方便なんじゃないの?」


 ああ、そういう見方もあるわけか。昔はDNA鑑定なんてなかったわけだしね。きっと不貞の子どもなんていっぱいいただろう。それは現代もそうなのかもしれないけど。


「うちは大丈夫だね。ほら、まどかの眉毛とか目、パパそっくり」


 娘って父親に似るもんなんだな。先月は幼稚園で父兄参観のイベントがあった。最近の写真はネット販売してるんだな。写真屋のサイトにアクセスして、写真を閲覧して選んで購入する。支払いはクレジットカードだ。あとはコンビニとか。もう時代は令和だもんね。俺らの生まれた昭和は遠くなりにけり、だ。あ、妻はぎりぎり平成生まれなんだけどね。俺とは5歳年が違う。で、そうそう、幼稚園での集合写真を見て笑ってしまった。見事に父親似の女の子達。なかにはちょっと失礼だが可哀想な子もいる。うちは結構可愛いほうだと思うがどうだろう。俺だって昔はわりと可愛かったと思うんだけど。


「まどかは可愛いよな、俺に似て」
「そうだね」


 妻は美人だ。細面のキツネ顔。体型も華奢だ。
娘は丸顔だし手とか足とかぷくぷくしてる。娘はあまり母親には似てないのかもな。まあ、確実に娘は妻の子どもではあるけど。母親はそういう確信があっていいよね。男側はやっぱりわからない。ただあのとき精液を出しただけの不確かな存在なんだ。だから妻達は言う。


「ほら、あなたにそっくりよ」


 って。夫と自分に言い聞かせるように。


 俺は先に寝た妻の顔をじっと見た。最近寝室も別にしている。ちょっとセックスも最近してなかったな。俺の帰りも遅いしね。
 高い鼻梁に形のいい唇。その傍らには丸い鼻とぷくぷくほっぺの娘。
 やっぱりこの二人は似てないね。でも言うほど娘と俺も似てるだろうか。
 まさかね。すこし昏い感情が頭をよぎる。そういえば娘が生まれる前に観た映画がある。


『そして父になる』


 福山雅治とリリー・フランキーが出ている映画だ。出生時に子どもが取り違えられてあとから判明する、そんな話。二人はその取り違えられた家庭の父親役なわけだ。実子でなくても愛せるのか、親になるとはどういうことか、そんなことをいろいろ考えさせられる映画だ。


 俺はまどかがーー娘が俺の子どもでないとしてもーー愛するだろう。まだ3年しか一緒にいないけど。いや、もう3年か。映画では6年の月日が流れていた。それともほかの男の血がはいっている、と忌み嫌うようになるのだろうか。ライオンはほかの雄の子どもは容赦なく殺す。自分だけの遺伝子を残すために。そんな動物はおおい。残念な話だが人間でもある。新しい父親が母親と共謀して前の夫との子どもを虐待死させるなんてよくある話だ。人間も所詮動物なんだ。理性のきかない奴もいる。
 俺はどうなんだろう。せっかく人間に生まれたんだ。動物と一緒じゃちょっと悲しいじゃないか。


 テレゴニーね。ちょっと興味深い説。そして、妻の持ってる本からはらり、と落ちたもう劣化したプリクラ。
 まだ若い妻と、ちょっと可愛い顔立ちをした若い男との画像。
 俺はたいしてそのとき気にもとめず、なんとなくゴミ箱に捨ててしまった。もう去年の話だ。だからもう手元にはないもの。記憶を探るけど、どんどん曖昧になっていく男の顔。
 でもそれでいいのかもしれない。いや、どうなんだろうな。


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