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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇⑤

「07年9月12日」
(ボリシャル→クアカタ)

 この日、クアカタの夜。とんでもない緊張を強いられた。「津波が来るぞ。逃げろ!」という言葉を浴びせられたのは人生でこの夜だけだ。

■ナビゲーター

 予告通り、朝9時前にホテルにやって来たサジェーブに促されるように動き出した。なんか面倒くさいな、やっぱりダッカに戻ろうかなと今朝になって迷い始めていた私だが、「クアカタは良いところだよ」という彼の言葉に乗ることを決めた。バスでの移動になるが、それまでまた街を案内してくれるという。

 この国では少数派のキリシタンが通う小学校に入ると、子どもたちが卓球をやっていて、私も混ぜてもらった。教室で静かにしている子もいたし、ペットボトルをボールの代わりにサッカーをしている子らもいた。

けっこう上手

 小学校を離れ、今度は「独立戦争の碑」に立ち寄る。天に伸びるような碑の下で女性が眠り、幼な子が寄り添うようにしている。表現しにくい魅力を覚え、シャッターを切った。

 明るい中で街を歩くと、昨夜訪れた「ワールドプラネットパーク」が、思いのほか近いことに驚く。バスターミナルの「イスティマルガット」でサジェーブとのおしゃべりを続けた。

 広島・長崎の話を聞かれ、「アメリカのことは嫌いか?」という歴史的な問いかけを受ける。こちらが答える間もなく「俺の彼女と話さないか」と違う話に展開させられ、本当に電話で彼女(スボルナさん)と話をした(書いていて思ったのだが、どうやって会話をしたのだ。私はろくに英語ができない)。続いて、「日本の歌を歌ってほしい」と言われ、ブルーハーツの「ナビゲーター」を歌ってしまった。恥ずかしい。

 クアカタ行きのバスが来る。何かあったらすぐに電話をしろと散々言われ、うなずいてバスに乗った。サジェーブのおかげで、ボリシャルという街がとても良い思い出になった。思えば、彼こそボリシャルのナビゲーターだったとも言える。

■リゾート地、クアカタ着

 バスは10時40分発。7時間を予定する道中で、料金は100タカ(約160円)。異常な安さだ。窮屈なバスでの長時間移動だったが、景色を見たり、川で道が途切れるたびにバスごとフェリーに乗せて渡河したりと、退屈しなかった。外国人はおそらく私だけだから、フェリー待ちの時に水を飲んでいるだけで周りから注目された。

 身の危険を感じたのは、ぬかるんだ道なき道を行く際にバスが何度も横転しそうになることよりも、外にいた子どもが停車していたバスの車体に石を全力投球してきた時だ。窓は全開である。勘弁してほしい。

 こうしてバスでバングラ国内を移動するたびに思うのは、農村部の景色はカンボジアをイメージさせ、都市部はインドのカルカッタに似ているということ。しかし、これまで見てきた景色の中で、無意識に似ている物を頭に浮かべてしまうのは、どうにかならないものだろうか。何もかもを初めて見る赤ん坊のような気持ちで物を見るのは、もう不可能なのだろうか。

 16:30分、クアカタに到着。宿は「Hotel Sykat」に決めた。1泊500タカ(約800円)だ。リゾート地の宿だけあって開放的な造りで、廊下に植物なんかを置いちゃったりしている。開放的すぎて窓のガラスが隙間だらけで、虫がどんどん入ってくるのが玉にきずだった。

 宿のスタッフなのか、ここで暮らしている家族なのか、二人の少年が私の部屋にトイレットペーパーを持ってきたり、水はいらんかと言ってきたり、かいがいしい。もちろんチップがほしいのだ。いくらか渡して、ビーチへ向かった。

色合いがリゾートっぽい宿
頻繁に部屋にやって来た少年

 ビーチといえばのんびりリゾートを思うが、歩いているだけでバングラ人が寄ってきて話しかけてきたり、バイクのクラクションが鳴り止まなかったりと、リラックスできる雰囲気ではなかった。一方で、バングラに入ってから毎日見ていたリキシャが全く見当たらないのが新鮮だ。

天気がいまいちで
ピントもいまいちで

■異形の人形を入手

 海辺を歩きつつ、妙に心惹かれた人形をお土産に買った。繊維のような物を編み込んで作ったぶら下げるタイプの人形だ。私がこうした物を一人旅で買うのは極めて珍しい。よほど気になったのだと思う。紫色のワンピースのような服をデザインし、髪の毛をピンクで編んでいることから、「リゾート地でバカンスを楽しむ陽気な女性」をイメージしている人形だと推察される。

 しかし、瞳孔が開ききっているところや、ぶら下げ用の綱が首を吊っている様に見えるのが不気味だ。腕の脱力具合といい、絞首刑直後にも見える。帰国後、よく行っていた東京・中野のバー(AIR BAR)にお土産として渡すと、トイレに飾ってくれた。その異形さから「呪いの人形」のような位置づけになってしまったのは言うまでもない。ずっと飾ってくれていたので、良いアクセントにはなったのだろう…。

なぜこれを買った

■津波の警告「逃げる人、寝る人」

 さて、ぶらぶらしていると日本人を見かけた。なんと、例のナカイ君である。われわれはいつまで同じルートで旅をしているのだろうか。こんがり日焼けした彼はすっかり現地に溶け込んだ様子だった。ふたりで飯を食い、土産物屋を見て、替えがほしいと思っていたTシャツや予備用のボールペンを買う。

 一足先にクアカタに来ているだけあって、ナカイ君は街の様子に詳しかった。名所らしい「クアカタの井戸」にも案内してくれたが、どこをどう見てもただの井戸だった。

名所の所以が不明…

 暗くなるまで一緒に歩き、おのおの宿に戻った。この日のクライマックスはここからだ。

 シャワーを浴びて(停電が多くてシャワー中だと困る)洗濯もし(もちろん手洗い)、あとは寝るだけという時に、部屋の外から声を掛けられた。続いて強いノック。何事かと思えばナカイ君である。血相を変えて、息を切らしている様子から、ただ事でないことは一目でわかった。彼は言った。

「オーストラリアで大きな地震が起こり、津波が発生した。クアカタに30メートル急の津波が来ると聞いたが、情報を持っていないか」

 寝耳に水。確かに外では、慌てた様子のベンガル語が飛び交っている。サイレンも鳴っていた。ガラケーを海外でも使えるようにセッティングして持ち歩いていたのだが、こんなときに限ってろくにネットにつながらず、何が起こっているのか把握できない。

 どうしよう―。ナカイ君は住民と一緒に避難するそうだ。ここは海辺の町。大津波が来れば真っ先にアウトだろう。聞くと、避難希望者を乗せるバスが出ているという。事態は切迫しているようで、ただごとではないことは理解した。ホテルのスタッフも避難すると言った。

 どうしよう―。

 部屋に戻り、寝間着から外出着に着替え、荷物をパッキングした。

 そして、寝た。

 このときの自分がどういう感情だったのかわからない。きっと、避難するの面倒くさいな、という思いが強かったのだろう。最悪、死んじゃっても良いかなという思いもあったに違いない。この頃、生に対する執着心のようなものがあまりなかったからだ。

 そのくせ、何かあったらすぐに逃げられるようにと、着替えてバックパックを横に置き、靴まで履いて眠ったのだから、中途半端この上ない。私はいつも中途半端だ。記憶にある時間は23時ごろまでだから、割とあっさり寝たのだろう。

 消灯ですよ。

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