見出し画像

昔の恋人とすれ違ったらどうするか問題〜B'zとASKAの曲を添えて。

昔の恋人に偶然すれ違った、という類の話を聞くのが、私は大好きである。
だって、ドラマティックじゃないですか。
どこで、どんな感じで?
相手はどんな風に変わってた?変わってなかった?
そんな具体的な描写も聞きたいが、一番私が気になるのは、それを話している相手の様子だ。

現在ママとして幸せいっぱいな友人は、元カレとの遭遇はそのままやんちゃだった時代の回顧になっている。
一方でソウルメイトだった元カレと止むを得ない理由で別れた友人は、今の自分を肯定する合間に昔の悲しみや怒りも、やっぱり顔を覗かせる。

そうなのだ。こんな、日常に滅多にないドラマティックな場面に突然放り込まれたこと、そしてそれをどう受け取るかという姿勢には、その人となりがどうしようもなく表れてしまう


ところで世の中に、「昔の恋人とのすれ違いソング」はどれだけあるのだろう。
J-POPマニアでないのでよくわからないが、こんなドラマティックなシチュエーションだもの、おそらく数多くありそうな気配である。

私の知る中で2曲、大好きな「すれ違いソング」がある。
それは、B’zの「今では…今なら…今も」(’90)。
そして、ASKAの「SCENE」(’88)である。
二人とも稀代のヒットメーカーであるが、両者が同じ情景を描いた時に違いはあるのだろうか?


B’zは日本の音楽界で数少ない、安定したビッグアーティストである。
音楽性やビジュアル、ライブパフォーマンスもさることながら、やはり詞の魅力もあるのだと思う。
私は90年前後の一時期しかリアルタイムで聴いていないのであまり語れないが、その時期のB’zは大好きだった。
何より稲葉浩志が描く、男のオラオラとへなちょこという極端な二極の間をブンブン揺れる振り子が、たまらないのである。
それはまさに、男という名のジェットコースター。
そしてホロリといい事を言うのだから、長年ヒットし続けて当然である。

そんな稲葉の描く「すれ違いソング」はどんなものだろう。
<>書きで分析を付け足しながら、「今では…今なら…今も」の歌詞を見てみたいと思う。

<情景>
晴れた午後
埃っぽい風の吹く路の向こう側
信号を待つ君を見つけた

彼を見つめながら 話してる君は知らないね
もうすぐ昔の恋人 すれちがうこと


<今の心情>
優しくなれるよ いつしか熱い思いも
流れる月日に 冷めてく哀しいほど


<情景>
向かい合う雑踏は やがて急ぎ足で
二つの足音を包み 交わりはじめる

後悔したいくらい 綺麗になってる君の
聞き覚えのある 声だけ聞こえてくる


<今の心情>
優しくなれるよ いつしか熱い想いも
流れる月日に 冷めてく哀しいほど

もう一度呼び止め 口説ける気がするほど
別れは朧気 眠ってる記憶の中で



<今の心情>
こんなに誰かを激しく愛せないと
嘆いた夜さえ 不思議に愛しいよ


<今の心情>
優しくなれるよ いつしか熱い想いも
流れる月日に 冷めてく哀しいほど


<情景>
今はもう別々の人生を歩いている
二つの足音 街角に消えていくよ…


この<情景>と<今の心情>のみで構成された一曲のホロリな部分は、「優しくなれるよ いつしか熱い想いも 流れる月日に 冷めてく哀しいほど」という、”熱”と”冷”を対比させたリフレインだろう。

つまり男は、元カノへの未練は全くなく、あんなに熱く恋していた日々さえ、いつかは冷めていくものなんだなぁ、という自身の心境の変化を、感慨深く思っているのである。
まるで歌詠み人のような、老成した感覚。
散々<今の心情>を歌っておいて最後に<情景>で締めていくところも、万葉感覚としてはかなりの高得点である。

その一方で、この曲というよりむしろこの男には、<過去の記憶>が一切ない
「別れは朧気 眠ってる記憶の中で」とあるように、彼女と別れた理由やその情景すらさっぱり忘れているようだ。
なので、「もう一度呼び止め 口説ける気がする」と思う。
別れた彼女が他の男と歩いているのを見て、嫉妬を覚えることもなく純粋に「お、いい女だなぁ」と思ってしまうのである。
これ、本当だろうか?

ちょっと常人を超えてるような感覚が稲葉の持ち味「オラオラフレーバー」なのだが、その裏には彼女を忘れたかった、という心情だってきっとある。

強がりな姿勢の裏に透ける切なさに、世の人は共感を覚えるものである。
しかしまた、早くスッキリ忘れられる人は、恋も上手く渡り歩いていけるタフさがある。恋多き男とはきっと、忘れっぽい男なのであろう。


一方で、ASKAの描く「すれ違いソング」はどんなものなのか。
稲葉の曲で見た<情景><今の心情>の配分に注目して、「SCENE」の歌詞を見てみよう。

<情景>
雨のスクランブル 流れる人影
すれちがう視線に 君を見た
細い肩先を 守るように抱く男
言葉に出来ない 遠い記憶がよみがえる


<昔の記憶>
ひざまずいて 泣き続けて
僕の腕にしがみついていた
あの日の君 あの日の恋 


<今の心情>
なんとなく Lonely Feeling
どことなく Lonely One
いまさら辛い風景画さ



<昔の記憶>
包んであげていた 君の指先
いつだって冷たくしてたから
僕の中でしか 眠れなかった君
いま横をすり抜ける
君が知らない女に見えた


<今の心情>
はぐれたのは 君の方さ
とまどう胸に 季節を戻して
また消えてく また消えてく


<今の心情>
なんとなく Lonely Feeling
どことなく Lonely One
なくした愛が 色を変えてた

なんとなく Lonely Feeling
どことなく Lonely One
いまさら辛い風景画さ


たびたび人から昔の恋人とすれ違った話を聞いてきた私だが、実はこの曲に描かれているような感想を聞いたことがない。
なぜなら、これは一言でいえば「恥ずかしい心情」だからだ。

稲葉の曲と比較して浮かび上がるASKA曲の特徴とは、今の心情と同じウェイトで過去の詳細な記憶が語られている点だ

男は新しい恋人と歩く元カノの姿を見て、気持ちがスーッと引いてしまう。
「なんだよ…」という怒りまでいかないがイライラ、投げやりに近い感情が湧き上がり、そしてついうっかり彼女と過ごした時間、つまり過去の恋の総括を胸の内で始めてしまうのだ。

過去の恋をどうなぞっても辿り着くのが、「僕でしか満足させることのできなかった君」。
なのにその君が今、幸せそうに別の男と歩いている。
記憶の中に生き続けていた自分と現実とのギャップを思いがけず突きつけられた、この屈辱感、喪失感はどうしたものか。

さらにこのタイトな詞の分量でよく詰め込んだな、と感心するのが、「フッたのは君の方じゃないか!」という、ちょっと子供じみたかわいい情念である。
音源ではバックコーラスで重ねて「僕じゃない〜」と歌っているところからも、この「どっちがフッたか問題」は男の中でかなり重要なのだろう。

この曲を総括すれば、一人の男のこんな独り言だ。
「あんなに気遣って、あんなに大事にしてあげたのに…それなのに君から別れようって…受け入れるの、辛かったんだぞ!それでもいい思い出としてしまってたんだぞ…なのに、なんだよ!(怒)」ってことである。

こんな感情がなぜか素敵な詞に変わっているのだから、ASKAマジックはすごい。
ピアノとバイオリンのみで編曲されたこの美しい曲を、ぜひ一度、歌詞の黒さを念頭に置きつつ味わってほしい。


ところでだが、近頃めっきり、自分の記憶力の弱さを身にしみて感じてきている。
学生時代や過去の恋の記憶なんて、ほとんど残っていない。
さらに言えば子供が生まれる前の記憶すら、薄れかかってきている。
時にそんな自分が不安になる。

そんな時に元気付けてくれる曲があったりするが、それはASKAの曲ではない。
なぜなら彼の曲は、なかなかうまい事を言ってこちらを慰めたり励ましたりしてくれないから。
なんなら今まで一度も、ASKAの曲で励まされた!とスッキリ思ったことはない。
応援ソングの「YAH YAH YAH」ですら、特効薬ではない。
ASKAの曲は、人に簡単に元気や勇気や答えを、ちっとも与えてくれないのだ。

その代わりに、一人の一生懸命生きている人間の姿は見せてくれる。
そこには「SCENE」のようなちょっと恥ずかしい感情もあり、もがき苦しむ姿もある。
それを聴いて何を感じるかは、受け取る人の方でご勝手にどうぞ。
そんなスタンスや距離感が好きで、ずっと聴いてしまうのだと思う。
そう、まるで何度も読み返す小説のように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?