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ビールと水〜⑦強い酸、弱い酸

前回からの続き
前回は醸造工程におけるpHの変化をざっくりと見てきました。醸造工程では酸の力でpHを下げていく操作をしていくことが肝要です。今回はその酸の強さ(戦闘力)について。

強い酸と弱い酸

「乳酸と酢酸はどっちが強い酸でしょうか?」と聞かれたらどう答えるか。味わいとしてはお酢(酢酸)とヨーグルト(乳酸)だと、お酢の酸味は強烈でむせるような感覚になるので、酢酸のほうが強そうと思うかもしれません。ところが実際には、pHへの影響においてどちらが強いのか数値化すると、乳酸のほうが強い酸ということになります。それを表すのが酸解離定数、pKaです。

酸解離定数、pKaとは

pKaは例えて言えば、ドラゴンボールの戦闘力みたいなものです。スカウターで図るやつですね。pKaは酸の強さを比較可能な形で示すことができます。戦闘力と違って、数値が小さくなるほど強い酸ということになります。冒頭に出した例でいうと酢酸のpKaは4.8、乳酸は3.9なので、乳酸のほうが強い酸ということになります。
なお、物理化学では活量をベースにして表すそうです。理科年表なんかに載っているpKaはたぶん活量ベースなんでしょうね。この投稿の説明では濃度に基づいたpKaで表しています。

以下、ざっくりと説明します。

酸をA、電離(解離)する水素イオンをHとすると下記の関係が成り立ちます。
AH ⇌ A- + H+
左辺が非解離状態、右辺が解離状態で、これは一定の条件下では定数となります。
Ka(酸解離定数) = [A-] [H+] / [AH]
数式にすると分かりづらいかもしれませんが、例えばH+がたくさんある水溶液中ではAHの解離は少なくなります。H+が少ないときはたくさん解離します。
Kaは有機酸などの弱酸の場合、10^-3〜10^-6程度ととても小さい値をとります。これだと分かりづらいので、pHでやったように、負の常用対数をとってpKaという値で表します。
pKaとpHが同じ値のとき、その酸はちょうど半数解離して、半数解離してない状態になります。

pKaとpHの関係

あくまでもイメージ図ですが、グラフにするとこんな感じになります。グラフ上ではpKaとpHの差が2を超えると100%とか0%に近づいているように見えますが、実際はごく僅かに非解離状態もしくは解離状態が存在しています。

乳酸の存在比のイメージ

乳酸でみると、上の図のようになります。pKaが3.9なのでpH3.9付近では半数存在します。pHが高い状態だとほとんどの分子がH+を吐き出して解離していますが、pHが低いと逆にほとんどの分子が解離せずに乳酸として存在します。
(ちなみにpKaとpHを結びつける理論をヘンダーソン・ハッセルバルヒの式と言うそうですが、導出の説明は割愛しますmm)

なぜ乳酸が選ばれるのか

仕込時のpH調整にはなぜ乳酸が選ばれることが多いのでしょうか。下の表を元に考えてみましょう。pKaはアジレントの資料から、官能閾値はBru'n Waterから引っ張ってきました。酸として強い順に並んでいます。

主な酸のpKaと官能閾値の比較

まず酢酸のpKa4.8を考えてみます。pHが5.3の時、酢酸は75%くらいしか解離しません。なのでpKaが低い酸(乳酸など)に比べて、多く投入しないと十分にpHが低下しないことになります。また官能閾値が175ppmというのもちょっと低すぎるように思います。ツンとした強烈な酸味があるし、ビールのフレーバーバランスを崩してしまうことが懸念されます。
硫酸、塩酸はpKaがマイナスになるくらい非常に強い酸です。いわゆる強酸と言われています。どんなpH下でもほぼすべて解離して、SO4 2-(硫酸イオン)やCl-(塩素イオン、塩化物イオン)が放出されます。SO4 2-やCl-はビールの味わいを形成するので、硫酸や塩酸を使うことは一見理にかなっているように見えます。でももちろん硫酸や塩酸を仕込に使うことはありません。気化物を人が吸い込んだり、配管などにダメージを与えたら危なくてしょうがないので。
クエン酸、リンゴ酸に関しては、十分なpKaがありますが、官能閾値が酢酸以上に低いのでフレーバーへの影響が懸念されます。酒石酸はワインに多く含まれる有機酸で、官能閾値は高いので使えそうに思えますが、固体なので使いにくいのかな。
残るはリン酸と乳酸ということになります。リン酸は麦芽が元々持っている酸なので、フレーバーへの影響が最も少なく、pKaもかなり低いので有効にpHを下げることができます。海外ではリン酸でpH調整をするブルワーも多いようです。ただpKa2.1というのはかなり低いので、取り扱いは注意が必要で、硫酸や塩酸ほどじゃないにしても気化物を吸い込んだり、設備にダメージを与えるリスクもありそうです。
というわけでビールの仕込みには、安全面、酸としての適度な強さ、フレーバーへの影響の少なさを考慮して乳酸が選ばれることが多いのだと思います。ちなみにコーラにはリン酸が使われているそうです。コーラのpHは2.2くらいなので、乳酸とか酢酸では戦闘力が全然足りません。

次回へと続く

今回はざっくりとpKaを解説して酸の強さについて見てきました。なぜ乳酸が選ばれるのかも酸としての適度な強さが大きな要因になっています。次回はそもそもなぜ酸がH+を放出する現象が起こるのかに触れたいと思います。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

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