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誰かを救いたいのではなく、自分が救われたかった

久しぶりのnote更新となりました☺️

今年の秋にキャリアコーチングを学ぶ講座を受けたのですが、この講座を受けて考えたことがあったので備忘録として書きます✍🏻
キャリアコーチングそのものの話ではなく、学んでみて私の考えの違和感に気づいた、という話です。


コーチングを学ぼうと思ったきっかけ

そもそもコーチングとの出会いは1年前、自分のキャリアに悩んだ時にコーチングを受けたことがきっかけです。自分の本当の気持ちに向き合い、ありたい姿を言語化する時間が私のキャリアや人生に変化をもたらしてくれました。
キャリアコーチングを受けた後、未経験業種・職種にキャリアチェンジしました。転職をして良かったこともあれば、想像以上に大変で苦しい時もありました。

転職をして半年くらい経ったタイミングで、コーチングをもっと学んでみたい、ゆくゆくは副業として仕事にできたら・・と思うようになりました。
(実は1年前にコーチングを受けた時にも、コーチングを学んでみたいと思ったのですが、その当時は本業との両立が難しそうだと思い断念しました。)
学びたい気持ちがあるのにずっと出来ずに引きずっているな・・と思い、じゃあやってしまえ!という勢いに任せて学ぶことを決意しました。

学んでみて

1ヶ月間、毎週日曜日の朝から夕方まで座学とロールプレイングを行い、平日は出勤前や退勤後の時間がある時に、受講生とロールプレイングを行いました。
講座の内容は、キャリア支援者の基本姿勢(傾聴やコミュニケーションスタイル、質問スキル、反映スキルなど)から始まり、インナーチャイルドワーク、持ち味ヒアリング、仕事理解ワーク、4Lワークと盛り沢山でした。

結論、キャリアコーチングを学んで良かったなと思っています。
ロールプレイングではあるものの実践に近い形で学びを深められましたし、何よりもキャリア支援やコーチングに興味を持つ仲間と繋がれたことが嬉しかったです。受講生の年齢層は広く、キャリアも様々です。

コーチングで学んだことも書き留めておきたいのですが、長くなるので別のnoteに投稿します!

違和感に気付き始める

受講が終わり、翌月からは認定試験(合格すると業務委託でコーチが出来るもの)に向けてロールプレイングを継続的に行っていました。
当時、私はコーチングを学びながらも自分のキャリアや生き方を改めて見つめ直すようになりました。
ロールプレイングでは受講生同士で相談者役、支援者役を交互に行うため、自分の悩みを聞いてもらう時間も多くありました。

自然と自分の内省が深まる中で、ふと気付いたことがありました。
「キャリア支援者を目指すためにロールプレイングをしているのに、むしろ自分が救われている気がする・・」

この状況を違和感と思う必要はないかもしれません。自分の悩みも聞いてもらっているからこそ、救われていると感じるのは当然だと思うからです。
しかし、自分が支援者役をやっている時も、支援者である自分を肯定されることをどこかで求めているような感じがしました。

また、キャリア支援を学ぼうと思った理由を改めて振り返った時、「自分がキャリアコーチングを受けて良かったと思うから、今度は自分がコーチをする側に回ってみたい」というコインの裏返しのような動機がひっかかりました。

そして、あることを考えてこの違和感の正体に気づけました。

違和感の正体とは・・

「あることを考えた」と書きましたが、自分の好きなことを改めて考える機会がありました。
音楽を聴くこと、演奏すること、文章を書くこと、料理・・
また、時間がある時に学生時代の日記を読み返したのですが、中高時代、音楽をやっていた自分にエネルギーが満ち溢れていたのを思い出しました。(内容もそうですが、字の濃さや形で伝わるものもありました。殴り書きとか笑)
そこから、好きなことは内側から湧き上がる欲求(内的動機付け)で行うものだと気づきました。
そして、果たしてキャリア支援は内側から湧き上がる欲求なのか?と問うようになったのです。

腑に落ちた

結論、今の私にとってキャリア支援は喉から手が出るほどやりたいと思うことではない、と思っています。
しかし、自分自身が悩んだからこそキャリア支援にはこれからも興味を持ち続けるし、コーチングを学び続けたいと思っています。
決してキャリア支援・コーチングを学んだことを後悔している訳ではありません。

そして、まずは自分自身の欲求を満たしたいと考えるようになりました。(だから「書く」という欲求を満たすためにも今noteを書いています。笑)

最近読んだ本などから、他人に貢献するためには、まずは自分を満たすことが大事(そうしないと自己犠牲になってしまう)と知り、今回の気付きが確信に変わりました。

もちろん、バランスは大事です。自分の欲求を優先し過ぎてしまうのはよくない。他者から求められていることにも目を向ける必要があると思います。

終わりに

タイトルの通り、「誰かを救うことにチャレンジしようと思ったが、本当は自分が救われることを望んでいた」話を書いてみました。

最近ネットでメサイアコンプレックスという言葉を知り、わざわざ定義付ける必要はないかもしれないけれど、今回の気付きと似ているなと思ったので引用します。

「無意識のうちに誰かの救世主になろうとし、それによって自我を保とうとする」のが特徴。
「誰かを救いたい、という気持ちに自分が救われたいという気持ちが混ざっている状態」

https://comemo.nikkei.com/n/n3ba71c781adb

コーチングやキャリア支援の世界に一歩踏み入れたことは間違いなく私の財産になると思っています。そして、これからも細く長く学んでいきたいです。
(今回キャリアコーチングを学んだことで、違う分野のコーチングも学びたいと思い、先日新しい本を買いました!)

今回、違和感の正体を自分なりに解釈できたのはコーチングを通して内省を深められたからだと思います。そういう意味でも学んで良かったなと思っています。

また、気付きがあればnoteを更新します!
ここまで読んでいただきありがとうございました。



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