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病気がわかった日のm.へ1年目のお手紙

おつかれさま。
1年前の3月3日、金曜日、すこし仕事を早めに切り上げて、近所のクリニックに行ったな。

2月はじめに、右胸にしこりみたいなのがある?って思ったのがきっかけで、がん検診受けてみようかなと思ったんやったな。

でも本当は、自分ががんになるなんて思ってなくて、
「大丈夫です、なんでもありませんよ」
って言ってもらいに行く、くらいのつもりやった。

だからそんなに受診も急いでなくて、
子宮がんも一緒に調べるし、なんとなく女の先生のほうが気が楽と思って、わざわざ女の先生の予約枠があくの待ってたら、3月になった。

あれから1年が経ったから、いま分かってること書いてみるね。

やっぱりがんやったな。
大きいやつ。54mmとかそんなん。
リンパ節転移も2個あって、
右胸と右腕あたりのリンパ節を全部とる手術を受けたよ。

転移があったこと、大きさ、
閉経前だったこと、増殖スピードを示す指標の高さとかから、
5年無病生存率は約50%。
けっこうな確率で再発することが予測される。

Fasching PA, et al., Prognostic effect of Ki-67 in common clinical subgroups of patients with HER2-negative, hormone receptor-positive early breast cancer, Breast Cancer Research and Treatment, 巻 175, 号 3, (Jun 2019): 617-625. DOI:10.1007/s10549-019-05198-9

病理結果から、自分の無病生存率を知るための参考にした文献

だから予防のために、
手術のあとに化学療法して、放射線治療もして、
そのあと投薬が7年続くねんて
(5年と言われたり、10年と言われたり、このあたりは曖昧)。

手術も衝撃的だけど、やっぱり化学療法がすごく大変だったよ。
いろんな副作用があるけど、
いちばんきついのは、頭がうまくはたらかなくなることやった。

髪の毛が抜けるストレスも相当なものだけど、
それよりもなによりも、
あとで考えると一番つらかったのは、
考えをまとめる力がなくなること。
(ワーキング・メモリが落ちるみたい、なんでか分からんけど)

何にも決められなくなるねん。

それでも一生懸命やってたけど、
次第に自分を無能だ、申し訳ないと思うようになってしまって、
一時期は仕事をやめないといけないと思ってた。
でもそれは回復する。
信じてな。それは一時的なことやから。

かかりつけは職場と同じ敷地内にある病院にした。
(トップ画像は「病院➡職場」の抜け道)
最初はどうなることかと思ったけど、
結局、お世話になる先生方はあたたかかった。

ほどきつつ拾い合う関係

リハビリの夜 https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/81246

関係は、ほどきながら拾いながら,少しずつ育ってきたんやと思う。
(5月~8月頃に書いたnoteを読み返してみて、そう思った。)
(いまもまだ,育ててる途中や)

私がなにかひとつの考えに固執してしまって、
身動きが取れなくなったとき、
先生に話して、思いもよらない返答を聞くことで、
助けられることも多かった。
哲学対話で思いがけない考え方をきいて、
驚くと同時に、
自分のビューポイントからは見えてなかった景色が、見え始めるときの爽快感と似てた。
(だから何か分からんことあったら,「先生はどう思う?」とたずねたくなる。)

それにしても
こっちにきて3か月も経たないうちに、がんが分かって
一人で一年間、よく頑張ってきたな。
まあいろんな人から心配してもらって、助けてもらったな。
がんにならなかったら、ここまでこの土地で一人でがんばれたか?って、
逆に自信がないよ。

助けてもらわないとどうにもならない事態になったから、
人に頼るようになった。
そのおかげで繋がりができて、
ここに居ること自体が,自立がうまくいった。
なんかそんな感じがする。

最近、私はがんの治療と仕事を両立するために引っ越してきたんか?
って錯覚しそうになったりする
(もちろん、病気になるなんて予想もせずに来たんだけど)

病院の向いの職場に就職して,病院からまっすぐ歩いて10分のところに住んで。
治療費のために共済組合入ったんか?裁量労働制で時間の融通がきく仕事選んだんか?って思うくらい活用して。
最初から道が見えてたわけじゃないし,全然,楽だったわけじゃないけど,つまり,まあ,なんとかなる。

ずっと不安はつきまとうけど、
5月には、職場にも2人、おなじ病気を経験した人がいることがわかるよ。その2人は、困ったとき、迷ったとき、へこんだときに、病気の話ができる貴重な友達になる。

それから、5月には主治医のことも大好きになる。
mはやっぱり、ちょっと変わった子やな。
小さい子どもみたいな人格と、疑い深いおじさんみたいな人格と、それからフロント・パートのお姉さんの3人でやってるよな。
その中の、小さい子どもみたいな人格の子が、主治医のこと大好きになるねん。ピノコがブラック・ジャックにべたぼれしてるのとおんなじ感情や。

そのおかげで病院に行くのが楽しみになるねん。
手術も治療もその先生に言われたら納得するねん。すごいやろ。

家族も助けてくれる。友達も助けてくれる。
すごい助けてくれるで、びっくりするくらい、切実に。
ああ私はこのひとびとにとってこんなに大事な人やったんやなって思わされる。
いろんな方法で。いろんな出会い直しがある。一部,別れもある。

1年間、やれるだけのことはやったと思う。
運も良かったと思う。
次々と色んなことでめちゃくちゃ悩むけど、
1年後、
自分のことも、捨てたもんじゃないと思える。
そして、世界はいいところだと思える。

いっぱい採血されるし、待たされるし、緊張するし、
気分悪くなるし、恥ずかしい思いもする。
身体も大きな傷ができるし、お金もいっぱい払うし、
ほんまにたいへんやで。

たいへんやけど大丈夫やで。それもほんまに。不思議やな。

例えば、今日は今から論文のドラフト仕上げて、職場内の回覧に出す。
週末はポスター発表で鹿児島行く。色んなややこしい仕事も,全部できてるねん。(予想外にほめられたりもする。)
臨床も続けてる。それも楽しく。
同僚とも「ほどきつつ拾い合う関係」を育ててきたんやと思う。

11月頃は、色んなこと全部,もうあかんかと思ったけどな。

まだ平日は毎日,放射線治療に通ってるし、
4月からはまだ抗がん剤飲むねんて。
ホルモンバランスは全然変わってしまって、
薬飲まないと充分眠れないし腸も動かない。
肌も爪も、かさかさになってる。
これはもう、元には戻らんのかもな。

でもええわ。
薬も飲んでてもええやん。
病気になったことは変わらん。
それからどう生きていくか考えよう。

選べるもの、私の好きなもの、あいたい人、ワクワクすること。

1年経って、なんか、少しはコツがつかめてきたんじゃないかな。
今は、なんか自分がこの病気になって意味があったかもな,って思えるようなこと見つけたい、みたいな気持ちがあるよな。
なんかやっぱり、意味が欲しいんかな。
役に立ちたいんかな。

疫学と一緒で,世界を少しでも良くしたいという気持ちかもしれへんな。
海の水をティースプーンですくうみたいな小さいことでも、なんか、いい方向に動かしたいという気がするよな。

それが生きてるっていうことや、自由ということや。
みたいな感じ。

どんなこと見つけてくれてもいいで、応援する。
また1年、できるだけ悔いがないように生きてみてな。

#スキーマ療法
#セルフコンパッション
#お疲れ様!

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