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冒険てつがく対話をふりかえり,言葉にしてみる:3月-A.【美しさ】

気になるけど,ひとりでは全然考えられないことについて考えるために,オンラインで哲学対話をやらせてもらっている。対話はひさしぶりで嬉しかった。けれども,今日は自分がなんだかどこか落ち着かない状態でいるような感じがしていた。それは放射線治療も終盤で身体が疲れやすくなっているせいかもしれないし,脱毛後,はじめて帽子やかつらを脱いだ状態で人前に出た(画面越しだけど)せいかもしれない。

ひとり1個ずつ問いを出してもらって,9個の問いが得られた。

1. 人はなぜ美しさを求めるのか?
2. 「美しい」の反対はなに?
3. 「美しい人は好きになれない」と言ったら美しい人は傷つくかしら?
4. 美しさに感動することも多いのになぜ忘れてしまうんだろう?
5. 美しいアングルがあると思っているが、美しいもの、人はどんなアングルでも美しいのだろうか?
6. 「真善美」という言葉があるが、真だけど美しくない/善だけど美しくない、ということは成り立つか?
7. 美しさより強いものはあるか?
8. 誰かを美しいと思うときの一番の要素は何か?
9. 生涯で最も美しさを感じた対象はいつの何だったか?その対象の何に対して美しさを感じたのか?

最初の問いは,
3.「美しい人は好きになれない」と言ったら美しい人は傷つくかしら?
になった。

もともとは健康なものが美しいとされている・・・美しいという字も,羊に大きいと書いて,豊穣なものが美しいという風に言われていたのではないかという話があった。

「美しい人」については「自分を美しいと思っている人」の美意識には賛成できない,というようなことだったかもしれない。面白かったのは「自分を美しいと思っている女性」にはあまり魅力を感じないが,「自分を美しいと思っている男性」はバカみたいで好きだという意見。

「自分を美しいと思っている女性」はバカみたいではないのだが,魅力的ではないという意味か?とにかく性的な魅力を感じない,というようなことが話された。

話をききながら,
いままで自分がもっとも美しさを感じた対象ってなにかなと考えて,
いちばん「美しい」と強く感じたものって音楽,メロディかも。
ダニーボーイの旋律。へんに思われるかもしれないけど,それは自分で歌ってみて,その旋律が美しく感じられ,同時に悲しくて仕方がなくなるという体験だった。心が揺さぶられるというのか。

別の観点から,
傷がついてないもの,誰かが使ってないもの,つまり新品ということ?そういうのが美しいのか?という考察が出た。その人は話しながら,いや,傷が美しいということはある・・・。と訂正していた。

私は,哲学対話のとき,基本的には焦らないんだが,今日は焦った。美しさについて話していて感じること,それは,「美しさ」という言葉は全然軸がなくて,本当につかみどころがない言葉だということ,もぐらたたきみたいに出て来ては引っ込んで,なにを考えていいのだか分からなくて,焦るのだった。

「美しい人」に性欲を感じない,という発言を受けて,その反対の意見,つまり「美しい人」にも性欲を感じることはある,という意見も出た。

そういう意見もありつつ,流れとしては,美しさを感じるということと,恋愛対象として「刺さる」とか,魅力を感じるというのは別のような気がする。という話になってきていた。

長身のモデルさんとつき合ったことがある方が話した。
その人とつき合っていたのは,その人がきれいだからとかじゃなくて,一晩中でも話していられるのが良かったんだ。って。

なんだかそれをきいていて思い出したことがある。
それは,私の好きな主治医を自分が好きだと思うのは,
自分にとって大切な話がちゃんと通じた瞬間があったからだと思ってて,
だから,ああ,こんな感じに皺があるんだなとか,履きやすそうな靴をはいているなあとか,そういうところを眺めているのが好き,という感じの好きさがあるんだけど,
主治医としては,私が「最高の医療を求めている」と思っていたということがこの間わかって,それはなぜだったのかなと思うという話をした。

そして,自分が仕事で出会う人たちについても連想した。なんとなく「頭の良さ」を自慢するような,頭の良さを競り合うような感覚を私が持ってしまっていること,それが「美しさ」に関して自分が感じている小競り合いと,同種のような気がしてきていた。

"beautiful"の語源は「素晴らしい」という意味だという話も出た。神がつくった世界の,宇宙の理(ことわり),それを美しいというのでは,と。
それは,よく分かるような気がするし
そう言ってしまっても,結局なにも分からないような気がすることでもある。

また,イケメンから話をきくという仕事を経験されている方の話があった。
イケメンは目の前にするとやはり美しいとのこと。
しかし,魅力を感じるポイントはそこではなく
「そんな苦労があったのか」
「それを見せないようにしてたのか」
など,自分も体験したことがあるようなでこぼこのある道を歩んできた体験について語られるときに,共振するように魅力を感じ始める,という話だった。

(あとで考えると,この共振,という言葉が重要だったような気がする)

それは分かる。つまり,やはり「見た目の美しさ」と「人間的な魅力」は別のものではないかということになる。

自分は,このへんから,そもそも多くの人が共有しているようである「見た目の美しさ」というものを,自分が,多くの人と同じようには学習し損ねてきたのかもしれない,という気がしてきた。

また,全然違う角度から
「美しい」っていつ思うだろうか?という問いがあって
自分は,少し込み入った物事がバタバタと片付いたときとかに,そう思う気がした。

さっき自分が考えた,「かしこさ」と「美しさ」の持つ,自意識について,自分がどこか批判的に思っていることについて,別の方が話された。
与えられたもの,才能を自覚して,磨きをかけるみたいな人は,むしろ割とすきだ,と。日本では,その自覚みたいなのを出しちゃいけない雰囲気・・・でも,そんなに謙遜しないで「私は頑張ってるからね」「美しいんだからね」「賢いんだからね」というのは格好いいと思う。
それは自分の持っている財産なんだから。という話があった。

たしかに。たしかにそうだ,と思い
このへんから,自分の中の,ひがみ根性みたいなところが自覚されはじめてきて,少しくるしいような気持ちになった。

また次に,「美しさ」として絶対的なものはあるのか?
という問いがあった。
夜明けはどの文化でもいいものとされている,夜明けについて「美しさ」ではないものを感じている文化はないのでは?という意見があった。

太陽が出るというのは,生命力につながるからかもしれない
文化とか種族とか,産まれた地域とかにかかわらず
全員が美しいと思うことはあるのかもしれない。
ということだった。

私は,この「朝日=美しい」ということが共通である,ということも,実は少しピンときていなかった。
やはり,自分が,共通の「美しさ」を学習し損ねているような気がする。

ここで,最初の問いに戻り,
3. 「美しい人は好きになれない」と言ったら美しい人は傷つくかしら?
について,また考えはじめた。

自分なら,こう言われたら
「あなたは美しくないから」「好きです(というか,仲間です,みたいな?)」と言われているみたいに受け取ってしまい,「美しくないと思っているよ」というメッセージの方を適用して悲しくなりそう,と話した。

また別の人は
たしかに,「美しい」をどう定義しているのかな?とか,その人がこう話したことの真意がわからなくて,どういう意味で言われたかきいてみたくなります,と言っていた。

その人自身の価値観からみて「美しい」人は「好きになれない」と言っているのだとしたら,それは,「よきものから遠ざかろうとしているような感じ」がして,さみしくなるかも。という話があった。

これは,この時点で,よく分からなかったが
いま書いていて,どういうことか,理解できはじめた。
それは,率直にいく宣言をするか,ひねくれる宣言をするか,の違いのような気がする。

私はひねくれて考えますよ。と宣言されると,すこしさみしくなるということは,たしかに,あるかもしれない。コミュニケーションを拒絶されている感じがするということなのかもしれない。

つぎに,「美しさ」が持ってうまれたものか,後天的なものか?についての話があった。
例として田中みな実が出て来た。SNSの美容系アカウントをフォローしている,という方が,田中みな実について話されたことは,説得力があった。

「努力をすごいしてる」というイメージで,
たとえ「美しい人は好きではない」と言われても,反論もしないし,傷つきもしないのでは,とのことだった。

なぜかというと,この方が持っている「美しさ」は,日々のたんたんとした積み重ねでできているものであるから。
マラソンの練習を日々していて,フルマラソンを完走した人が,
マラソンに別に興味のない人から「マラソンなんて何がすごいの?」と言われたとしても,むかつかないと思う。反論もしないんじゃないかと思う,それと同じだ。という。

なるほど。

つまりそれは,その人の価値基準で,積み上げたものを
同じ価値観を持っていない人になんといわれても平気,ってこと
なんだかそれは,
お金持ちが,「お金のことばかり考えるなんてあさましい」と言われても,全然どうでもいい,お金のことを考えることのなにが悪いんだ,って考えるだろうな,ってのに似てる気がする。

努力することの,何が悪いの?
っていう話。

後で,別の人が,私の主治医の話と,このことをむすびつけてくれた。
つまり,私の主治医も,「最高の医療」を提供するということに関して,おそらく意識をして努力をしているから,それこそが自分の価値だと思うのであって,けれども,他者は,そこまでの魅力をそこに感じているわけではなく,もっと他のところに愛着を持っている場合というのはあるのでは,という話。

自分が価値あると思うものを,コツコツ積み上げてる,たとえば「美しさ」とか「かしこさ」とか「最高の医療」とか。

それは強く自覚されているほどには,相手は見ていないということがあるのかもしれないという話。

それは逆に,相手が大事にしているものに,自分は充分に気づけていないという話でもあるような気がした。

その人は,今日の午後に甥っ子とあそんだ話をしてくれた。
先に下の子と遊んで,うまくバトンタッチして,上の子とゲームをした。下の子がちょろちょろ,邪魔したけど,うまく誘導した。上の子とのゲームも,最初はその子のやりたいようにさせてあげて,最後にいいやり方をおしえてあげて,勝って,大満足,とても「美しく」すべてがまとまった(この人は,そういう才覚があり,それを発揮したのだ)

そして,こう言う。
でもそれって自分で思ってるだけかも

つまりどういうことか,
「努力と自信」と,他の人の評価にはズレがある(可能性が高い)
ということだ。

次の問いとして
視覚を排除したところで,どういうときに人はうつくしさを感じるのか?
が出た。
ある人が,声はある。きれいな声だなとか,と言った。
たしかに。「美声」という言葉もよく使われるし。

それから,「自己犠牲の精神」は美しいと言われがちだ,という意見もあった。

これもまた,確かに。という感じ。「美談」っていう言葉もあるし。
ピタゴラスイッチも美しい。さっきの「甥っ子と,狙い通りに遊んで,時間内に,みんなを満足させた話」もピタゴラスイッチっぽい美しさかも。

それから,シンデレラとかでは,シンデレラだけ美しい人で,継母とか姉とかは醜いという感じで描かれているのはなんなんだと思っていたけど,大人になってからは一周まわって,シンデレラの美しさは見た目ではなくて,本質的な美しさだったのかもしれない,という意見が出た。

美しいとは,心身に快いということなのもしれない,と言った人がいた。

また次に,美術や音楽の授業では,何を習っているのだろうか?という話があった。音楽が「美しい」この絵が「美しい」なんて,教わらないと思えない気がする,という話だったように思う。

話をしながら,
いろんなものを美しいと言っていいのか?
「美しい」について考えていると,なんでもかんでも美しく思えてくる,「美しい」という言葉で,なんでもまるめこみたくなってくる
という意見があった。
(やはり今日の哲学対話の「わからなくなり方」は半端じゃないなと思った瞬間でもある)

美は快いものを求めているが,恋愛は不快なものを求めているのでは?という話もあった。
たとえば,先日ホラー映画を2本みたという人が,怖かったけど,感情の,ふだん動かないところをむりやり動かしたようで,ほぐれたみたいなすっきりした気持ちになったという。絶叫マシンとか,肝試しとか,不快な思いをわざわざしに行く人がいるのも,そんな感じなのかも。って。

この哲学対話が終わって,新しい発見としては
自分が「美しい」という言葉がしっくり来ると思うのは,ある種のメロディなんだけど,それを「美しい」と呼ぶものだと自分が信じているだけなのかも,という視点だった。

「美しい」という概念は社会的につくられるものだ(江戸時代の美人と現代の美人が全然ちがうみたいに),ということは分かっているつもりでいたが,自分が「美しい」と信じているメロディについては普遍的なものだと,思い上がっていたのではないかと考え始めた。

また,自分は「美しさ」「頭のよさ」「裕福さ」「有名であること」「業績」等々について,その人たちがそれらを価値あるものと信じており,努力して獲得してきたという側面を忘れがちになるばかりか,ひがみっぽい気持ちを持つ傾向があるのではと感じられてきた。そのような気持ちが醜いのではないかと思えてきた。

もうひとつ,これを書いていて気がつくことは,自分のセルフイメージがやはり低めであること,それは,多数の人が価値を置くものに自分も価値を感じているという自覚を持たず,それらを得るための努力をしてこなかったことと関係しているのではという気がしてきた。

「美しさ」に価値を置き,努力をしている人たちを批判するような姿勢で生きるのはやめようと思った。それは自分が治療で脱毛しても,皮膚や爪が黒くなっても,胸に傷ができて,乾燥肌になっても同じなのだ。という気がしてきた。

今日はなにを「美しい」と感じるか,という話ではなかった。
それは1)学習されるものという側面があるが,2)少数派は存在する,3)努力してその価値を得ていること,それを誇りに思うことは,批判されるようなことではないが,4)価値観が異なり,誇っていることをそれほど重視されていない場合もある(逆もあるかもしれない,つまり,誇ってないことを重視されている場合もあるということ)。

対話ではなんにも掴めなかったみたいでちょっと焦っていたけど,ふりかえって書いてみて,思ったよりかたちのあるものが掬えてたんだ,という気がした。


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