クリエイターで働く覚悟
今回はクリエイターとして働いていた人間の視点の話。
これまで働いてきてクリエイターは自分の価値観や人間性を商売道具に、働く仕事だと考えています。
唐突ですが自分の意見を言う事に抵抗はありますか?
指示通りに作ることを求められるデザイナーや、アイデアから求められるデザイナーがいるように
会社によってもちろんクリエイターの立ち位置は異なる。
例えば生活水を扱うインフラ事業があったとする
そのサービスや社会貢献度はパっと見で
素人が事業の内容や全体像を把握することは難しい。
この会社を紹介するときにどういった点をポイントにするだろうか
アプローチの方法はいろいろあると思う。
・水をキーワードにする方法
・インフラをキーワードにする方法
・生活になくてはならない存在だという方法 等。。。
他にもあると思うが、私が記載したお題からはそこまでかけ離れたアイデアは出てこないと思う。
ではここにダムの整備や、水力発電などまで賄っているという情報がきたらどうだろうか?
もう少しアプローチ方法は変わり、もしかしたら「街づくり」というキーワードがコアコンセプトになるかもしれないし、
「人の生活に寄り添う」というアプローチでもいいかもしれない。
「縁の下の力持ち」といった方向性もあるかもしれない。
十分でない情報。社内担当者の解釈による理解不足など。
こういった後出しじゃんけんの事象は実際現場ではよく起こる。
一先ずデザインを作成して社内展開した時に「これは無い」と言われたらどうだろうか?
大半の制作現場がこれに近いのではないかと感じている。
制作物にクオリティという考え方があるように、情報の整理や、仕事の管理にもクオリティというものがある。
100点満点中、60点しかない情報のクオリティを渡されてそこから100まで目指すためには想像以上の労力がかかってしまう。
そしてこの不足分を補うのが、クリエイターであり、アイデアの否定なども一身に受けるのがクリエイターという可笑しな話。
自分の価値観や人間性を商売道具とするクリエイター
生み出すクリエイティブの起源は自身が経験した、もしくは感じた。今までの人生の中から生まれてくるものです。
何を言いたいかというと「これは無い」「言いたいことがわからん」といったような評価を
自分の批判とも取れてしまい、身を削りながら皆耐えて作っているという話。
よく心を病むクリエイターの多くがこういった理由ではないだろうか。。。
この時に「少しでも決め手に何が足りていないのだろう。」「どんな情報を共有すればもっと良くなるだろう。」と
双方が考えられるチームにいなければその関係者のレベルはそこまでなので、心を無にして取り組むしかなくなってしまう。
最後にはなるがこういった環境で身を守る方法として、
「情報を追求する癖をつける」「信じるのは数字のみ」「人が介するほど情報の精度が落ちる」
これを徹底すると自走のできるクリエイターになるし、仕事においても気を付けるポイントが見えてくるわけだが、
それはまた次の機会に。
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