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分かろうとするときに

相手の話を聴こうと思う。
相手の気持ちをわかりたいと思う。

ここでいう相手は、自分の子ども。

どんな思いなのか知りたい、分かりたい。
でもそんなに簡単なことじゃない。

相手が話してくれたらいいな。

話せる相手じゃないと話さない、よね。
話しても大丈夫だと思えないと話したくない、よね。
無理やり話をさせられたとしたら、二度と話したくないと思うだろう。

そう思うと、
分かろうなんて偉そうなこという前に
自分が話しても大丈夫という存在にならないとダメなんだろうなと思った。

それはただただ優しければいいというものではないだろうし、
子どももそんなことは望んでいないだろうから
そんなことする必要はない。

揺るがぬ存在
随分高尚な・・・
うちの子たちはそんなお題を仕向けてくれているのかもしれない。
母、全くレベル追いついていまへん!

きびしいですなー 
ありがたいなー

思い出すんだよね。
昔、
子どもが赤ちゃんでことばを発し始めたころ
周りの大人は誰一人わからない発したことばが
私にはわかったときのこと。

分かろう分かろうと、もにゃもにゃ発する音に耳を傾け、
絶対的な信頼感で、こちらに向かって、投げかけてくれたもにゃもにゃが
分かって!! 通じ合った!!
そのときの喜びと感動を。

話すスキルをお互いに身に着けた今
そこには見えない壁ができてしまった。

それ越えて話を聴けるようになるには
自分が変わることがまだまだ必要なんだと思う。

がんばりなはれ!わたし。

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