司法試験浪人生活中の胆振地震被害レポート~語り継ぐことの意義~

1 今回の投稿に思い至った契機~『すずめの戸締まり』を観て~


 自然災害はいつ起こるか分からない。特に日本という国は定期的にやって来る台風から突発的に生じる地震、津波、土砂崩れ、雪崩etc…とその種類も多種多様である。いつ起こるか分からないからこそ普段からの備えが重要となるのだが、実際に災害が起こるまでに備えをしようとするのは少数派ではないだろうか。あるいは災害の被害に遭ってもその程度が小さいものだと時間の経過とともにその脅威を忘れていってしまい次第に災害の対策も疎かになってしまいがちではないかと思われる。
 さて、私は司法試験浪人中の2018年9月6日に北海道で起こった胆振地震に遭遇した。大学進学に伴い一人暮らしをしてから初の比較的大きな地震だったので特に印象的に記憶に残っている。後述するが停電や物資不足の状況など色々語りたい・語るべきことがあったのだが、リアルタイムから語る時期を逸してしまい世間的にも一時的な混乱に良くも悪くも収まったせいか、自ら語ることもないまま時間だけが過ぎ去ってしまった。しかし、新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』を観てその考えを改めることにした。
 念のため『すずめの戸締まり』について簡単なあらすじを紹介する。『すずめの戸締まり』は九州に暮らす少女の岩戸鈴芽(いわとすずめ)が宗像草太(むなかたそうた)と出会うところから始まる。草太は災い=地震をもたらす「扉」を閉じる「閉じ師」として全国を旅している青年である。草太は鈴芽と出会った直後に謎のネコ(ダイジン)に椅子に変えられてしまう。草太は元の姿に戻るためにダイジンを追いかけ、鈴芽も彼らを追いかけて四国・関西・東京まで「扉」を閉じながら旅を続けることになる。この旅を通じて鈴芽はあることを思いだし東北へ向かうことに。彼らの旅の行く末に待つものとは…。といったロードムービーである。
 劇場パンフレットや新聞のインタビューを見ると新海誠監督は東日本大震災以来震災のことを考え続けていたようで『すずめの戸締まり』はダイレクトに「地震」が直接のテーマとして描かれている。ここ数年はコロナ禍が世界的に大きな出来事として記憶に新しい中東日本大震災を始め震災そのものの記憶が風化しているきらいがある。そのような中で正面から震災を(それもエンタメという形で)語るという新海誠監督の姿勢から「私自身もたとえ小さかったとしても自分が経験した災害の経験は語るべきではなかろうか」と思い至ったのである。
 なお、本筋とは関係ないが個人的に『すずめの戸締まり』は面白い作品だったので、そろそろ公開が終了する前に一度は劇場で見に行くことをオススメする。公開が終了したとしても何らかの手段で視聴することをオススメする。『すずめの戸締まり』はいいぞ。

2 胆振地震発生直後の様子


 胆振地震が発生した2018年9月6日午前3時当日、私は何をしていたのかというと大学院のパソコン室にいた。私は法科大学院は既に修了していたが、法科大学院修了生は「専門研究員」という身分で法学部・法科大学院の設備を利用できるので震災当日も大学院内のパソコン室で学習をしていたのだ。

※「専門研究員」というと肩書きだけは格好がいい気もするがその実態は法科大学院を修了した司法試験浪人生でしかないので社会的な意義はほぼない。何を「専門」に「研究」しているのかと言えば個人的には司法試験(の過去問)ということになるのだろうが、通常の大学院生と異なりこんなものは何年も研究するようなものではないと念のため忠告しておく。そもそも司法試験の受験資格は資格を有してから「5年5回以内」という縛りがある以上言うほど「研究」する余裕もないのである。

 さて、胆振地震の実際の揺れの様子はどうだったかといえば、明らかに体感でも通常の地震の規模ではないということが感じられた。スマホから地震警報もけたたましく鳴っていた。揺れは大きかったが移動が困難というほどではなく周囲に物が落ち怪我をする危険もなかった(腰の高さにパソコンが並べられている程度であった)ので、急いでパソコン室の入り口を椅子で固定して開けっぱなしにすることでいつでも逃げられるようにした。揺れが収まってから大学構内を少し散策した。普段閉じていることのない防火扉が地震の影響で勝手に閉まっているという貴重な光景を目の当たりにして、不謹慎ながら珍しいものを見れたことにテンションが少し上がっていた。一方で電源が落ちる前に自販機で飲み物を買っておくという冷静な判断も持ち合わせていた。地震の揺れ事態は一度で収まったので勉強を再開しても良いかとも思ったのだが、「この地震の規模だと自宅の部屋はどうなっているだろう」と思ったのでパソコン室での勉強は切り上げ帰宅することにした。異変に気付いたのは大学の施設から外へ出た時であった。深夜であることを差し引いても妙に暗い。暗すぎる。街灯が消えていたのだ。それだけなら「停電もまぁたまには地震の二次災害であることか」と思ったのだが信号機の明かりさえも消えてしまっていたのは初めてであった。自動車用の点灯も歩行者用の点灯もどちらも消えていたのだ。深夜だったので交通量は極めて少なく直ちに交通事故が発生するような状況ではなかったのだが、朝になるまでに復旧しなかったらどうなるのだろうとは思った。後に知ることになるのだが、この胆振地震によって北海道電力は北海道全土でブラックアウトを起こしていたのであった。私の震災体験は地震の揺れそのものによる影響よりも、ブラックアウトによる影響に苦しめられることになる。

3 ブラックアウトによる具体的悪影響


 ブラックアウトという未曾有の事態によってまず何が困ったかといえば、オートロックのマンションには入れなくなるということである。正面入口は当然電気を使ってドアを自動的に開け閉めしているのでブラックアウトが発生すればびくともしなくなる。また、エレベーターも当然動かない。おまけにエレベーターの前も地震対策の防火扉的なものが閉まっており使えなくなっていた。おかげでマンションの裏口から階段を上って自分の部屋に戻ることになった。自宅の部屋はそこまで階層が高いわけではなかったからそこまで階段の上り下りに苦労したわけではなかったが、もし階層の高い部屋だったらいざというときに不便なのだなあとしみじみ思った。
 階段を上りきり自分の部屋の玄関の鍵を開ける。いつもの癖で玄関の明かりをつけようとしたが、ブラックアウトなのだから全く部屋の明かりが付くことはなかった。とりあえずスマホの明かりを頼りに周囲を探ることにした。大雑把に部屋の様子を見ると本棚から多少本や雑貨が落ちていた。正直私の部屋は普段から汚いので地震が起きても大差がなかった。壊れたものがなかったのが不幸中の幸いであった。また、本棚は可能な限りギッチリ収納していたので本棚の中に収納していた本はそこまで多く落ちてきたわけではなく、本棚自体もそれなりの重量があったのか本棚が倒れることもなかった。直接の地震の被害がそこまでたいしたものではないことにとりあえずは安堵した。台所はIHではないのでコンロは使えた。また、奇跡的に水道は生きていた。トイレの水も問題なく流すことが出来た。当面の問題は電気が使えない状況をどう乗り切るかということであった。充電が出来ない以上スマホの明かりで部屋を照らし続けるのは危険だと判断した。何か点灯の代わりになるものが必要となる。また、情報収集方法も吟味する必要に迫られた。普段の地震程度であればすぐにテレビをつけて震度はいくつか、津波が来るか否かといった情報を即座に入手することが出来たのだが、今回のようにブラックアウトを伴う地震では情報を即座に入手することが困難である。夜が明けてから道外の友人にどうなっているか情報を聞くことにした。
 個人的にブラックアウトで一番大きな被害が出たのは浴室であった。自宅マンションは普段は電気によって温度管理がなされ24時間換気もなされているのだが、ブラックアウトによってこれらの機能が失われることで想像以上の不便と苦痛を強いられた。まず、お湯を出したくても出すことが出来ない。なので、入浴は出来ない。シャワーは使えても水しか出来ないので冷たいのを我慢して水浴びをすることになった。ただこれはまだマシな方だ。問題はブラックアウトから約12時間後に浴槽から異臭が発生したことである。普段は24時間換気が機能していることで全く意識することさえなかったのだが、実は排水溝の奥底に詰まった諸々の臭いは奥底に留まり続けていたのである。定期的に浴室の掃除はしていたのだが、目に見える範囲の掃除程度ではどうにも出来ない悪臭の根源が存在していたことさえ知らなかった。当時は強力な浴室用の洗剤なども無くコンビニで買える程度の洗剤しか無かったから偽りの快適さを享受していたにすぎなかったのだ。換気が止まるとやがて憩いの場であるはずの風呂場は地獄ーアビスーへと変貌することになった。悪臭で鼻がひん曲がり具合が悪くなるという光景を自宅で味わうのにこれ以上の場所はないだろう。こうして電気が復旧するまで浴室に入ることはためらわれることになったのである。

4 ブラックアウト後の経過1日目


 とりあえず帰宅してから簡単に片付けをし終え数時間寝ることにした。運の良いことに余震で眠りが妨げられることは無かった。起きてからは道外にいる友人数人にLINEで連絡を取り北海道の地震や停電の状況がどう報道されているか確認を取ることにした。どうやら北海道全土が停電していること=ブラックアウトになっていることは友人の連絡で初めて知った。停電時のサバイバルについて数日分の食料の備蓄やら浴室に水を蓄えておくことなどといったことを教えてもらった。たまたま食料と飲み水については多少の余裕はあったのは不幸中の幸いであった。どうやら近場のコンビニなどでは既に品薄状態になっていたようなので、もし買い出しに出かけなければならないとしたらもっと大変なことになっていただろう。
 「浪人生は何があっても勉強すべし」と言うのは災害も病気も何も無い健康と便利が保障された平時だからこそ言えるのであって、緊急時にはまず自分(や周りの家族)の安全を確保することが優先事項となる。そんなわけで貴重な数日分の勉強時間は切り捨てて非常事態を乗り切ることと日常にスムーズに戻れることを最優先に行動することになった。
 専門研究員であった頃は大学の学部やロースクール生時代と同様に大学生協に加入し続けていたので大学生協食堂に食生活の大半を依存し続けていた。今回の地震とブラックアウトによって流石に通常の食堂運営は不可能となったので、しばらく食事は大学生協食堂以外でどうにか済ませる必要が出た。
 そんなわけで散歩がてら周囲の様子を観察してみると、ブラックアウトならではの交通模様を見ることが出来た。電気が復旧していないので信号機は全く点灯していないのだが、それでもまるでそんなことがないかのように自動車や歩行者は進み続けていた。絶妙に空気を読んで自動車や歩行者は移動すべきタイミングで移動し、停止すべきタイミングで停止をしていた。どこか数十年前の東南アジアあたりで見られそうな光景が広がっているのが信じられなかった。ところがどっこい、これが現実なのであった。
 そんなこんなで夕方になると大学が一部の施設(体育館)を避難場所として開放するという知らせが入ってきたのでそこに行くことにした。大学で自家発電をする設備があるようで充電も出来そうだったので充電器を持って行き体育館へ赴いた。体育館へ行くと非常時に保存の利く乾パンが支給された。充電場所を確保すると、LINEでロースクール時代の同期数人とやりとりして体育館で合流することにした。体育館で同期と色々と情報交換のやりとりをしたり、LINEで先に司法試験に合格したロースクールの同期や既に社会人になっている学部時代の同期の安否確認をしていたりした。私は普段滅多に他人と連絡を取り合ったりしない性分なので、ある意味近況報告をするには都合の良い言い訳が出来たといえる。私とやりとりをした人たちはそれぞれ進路は違えど無事で何よりであった。
 大学の体育館で2時間ほど経過したくらいの時間が過ぎたあたりで、大学の自家発電の機器に不具合か何かが生じたらしく避難所としての機能が十分に発揮されなくなったとの報告が出たので一時帰宅することにした。大学はやはり研究機関であって公共の避難場所ではないということを思い知った。
 深夜に地震が発生してから再び夜になると、徐々に電力が回復し街灯や室内灯が添加する光景がポツポツと見受けられるようになった。しかし、結局地震の発生したその日のうちに私の自宅の電力が回復することはなかった。

5 ブラックアウト後の経過2日目


 自宅の最寄り駅の電気が復旧し一時的に避難所的な場所として機能しているという情報を得たので、最寄り駅まで行き改めて充電などをすることにした。震災発生から24時間が経過して自宅の隣の区画のマンションは電気が復旧していたりするのに自宅の電気は相変わらず復旧しなかった。どこから電気が復旧するかは完全な運任せなので文句を言っても仕方が無いのだが。最寄り駅に着きめぼしい場所を見つけてスマホなどを充電している間特にすることもないので周囲の様子を観察してみた。自分のように充電したりスマホで誰かとやりとりしたり何かを調べたりしている人もいれば、地面に寝っ転がって仮眠をとっている人もいた。普段の生活では絶対見られない光景である。しばらくすると観光客と思しき人から「ここで充電をさせてもらえないでしょうか」と声をかけられた。自分の充電はもう終わったので充電場所を譲った。何となく見知らぬ者同士でも非日常的な出来事に出くわすと不思議と会話が発生するらしい。どうやらその旅行客の人はかつて阪神淡路大震災を経験したことがあり、今回の地震被害にも遭ったそうなのである。そして、今回の胆振地震で宿泊先のホテルも退去することになったそうで右往左往していたとのことであった。「世の中にはなかなか大変な目に遭っていてもこうして生きている人もいるのだな」と内心思った。
 数時間最寄り駅で時間を潰した後、手持ち無沙汰となってきたので一度帰宅してみた。ブラックアウトが発生してから既に24時間は経過していたがそれでもまだ自宅の電力は復旧していなかった。おかげで昼間でありながら電気の付かない台所で調理するのには少し難儀した。後述するペンライトを片手に持ちながら台所で調理していたからだ。片手を塞がれた状態で料理するのはなかなか苦労したが非常時なので仕方ないと割り切ることにした。
 電気の通らない自宅にいてもできる行動が限られてくるので外出することにした。すると、自宅マンションの向かいにある美容院に充電と洗髪無料のサービスをしている旨の張り紙が貼ってあったのを発見した。今まで一度も行ったことはなかったが、未だ電気が復旧していない我が身としてはオアシスも同然だったのでありがたくご厚意に甘えることにした。停電でお湯が出ない中洗髪を我慢していたので久しぶりの温水による洗髪は気持ちが良かった。目先の利益だけに囚われない仁義万歳である。こうして美容室で過ごしている間にふと外を見ると自宅マンションの電気が回復しているのを発見した。地震発生から約40時間後の出来事であった。今回の地震(ブラックアウト)でお世話になったその美容院には後日もう一度来訪して普通に(通常料金で)散髪してもらった。ご縁は大切にすべきだと、そして恩返しは大事だと思ったからである。

6 ブラックアウト3日目以降の様子


 電気も復旧したからといって直ちに日常が帰ってくるわけではないのがこの胆振地震、というかブラックアウトの厄介なところであった。自宅そのものは電気が復旧したおかげですぐに日常生活を送れるようになったのだが、食料等の物資の買い出しをする際にしばらく難儀した記憶がある。特に食料品関係がブラックアウトの直接の被害を被ることになったのではないかと思われる。まず、メーカーの電機が落ちたことで製造ラインがストップし、冷蔵庫や冷凍庫の電源も落ちたので保存していた食品を廃棄しなければならなくなったことがうかがえる。そして、コンビニやスーパーといった小売店も冷蔵・保温が出来なくなった影響で品薄を余儀なくされた。さらに、メーカーが駄目になったので流通にもタイムラグが生じることになった。そういうわけで金があっても食料が買えないということが平成末期の日本の極一部で起こった。また、停電が復旧していない間は電子マネーもクレジットカードも使えないどころかATMで現金を引き下ろすことも出来ないので、普段現金以外を使っている人は一時的に現金に余裕のある人から借金する光景がみられた。そして、後日インターネットで調べたところによるとブラックアウト中にバーベキューをしている家庭もあったそうだ。中にはそのような行動に出る人に対して「不謹慎」というコメントもあったそうだが、バーベキューをしていた当人からすれば「冷蔵庫も使えない状態でこのまま放置すれば食品が駄目になるのだから食品を無駄にしないように電気に頼らない調理をするのが合理的」というもっともな理由があったのである。
 私の周囲の様子を観察した範囲では、地震及びブラックアウトが発生したからといって悲嘆に暮れている様子はそこまで見られず各々が出来ることを精一杯やっていた。何ならゲーセンで暇を潰す人さえいたようだった。意外と人間はたくましいようである。

7 個人的な思いがけない震災対策ーヲタ活の勧め(?)ー


 私は普段特別に地震を始め災害に対する備えというのはしていなかったのだが、思いがけず当時の何気なくやっていた行動が、言ってしまえばいわゆるヲタ活が災害対策になっていたことがあったのでいくつか紹介する。
 まず、いくつかの食料の備蓄である。地震及びブラックアウトが起こった時点でカップラーメンとチョコレート、いくらかのペットボトルの備蓄があった。これだけの備蓄が用意できたのは、コンビニで何かしらのアニメやゲームのコラボ展開に乗っていたからである。具体的には「○個以上購入すると△△グッズをプレゼント」だの「××円以上同時購入で■■グッズをプレゼント」といったタイアップ戦略にことごとく引っかかってしまうのである。そんなわけで普段の食事は大学生協食堂に依存していながら食料が余るという事態が発生するのである。それが、今回の震災で思いがけず役に立った。少なくとも、多少食料に余裕があると言うだけでも精神的な立ち回りがだいぶ変わってくるものだ。
 次に、非常灯やスマホのライト代わりにサイリウム・ペンライト類が役に立った。サイリウムやペンライトに馴染みの無い人向けに説明すると、これらのアイテムはコンサートやライブで使う光る棒である。何色か持ち合わせて歌っている人や曲のイメージカラーに合わせて点灯させるのである(場合によってはこれらのアイテムの使用を禁じていることもあるので事前にこれらのアイテムの使用が可能か否かチェックする必要はある)。ペンライトやサイリウムはアイドルや声優のコンサート・ライブに参加する人がグッズとして現地で購入することが多いと思われるが、ヨドバシカメラやドンキホーテなどでも購入できる。ペンライト(「××ブレード」と呼ばれることもある)はボタン電池で発光するものが多いので、いざという時に発光するか定期的に点検することをオススメする。
 …「遊んでばかりいるから浪人生活が長引いたのでは?」などと客観的事実を指摘するのは禁則事項とする(もう遅い)。
 とにかく、好きなことに夢中になっていれば意外といざという時役に立つこともあるというのが今回得た教訓の一つであった。

8 胆振地震の教訓


 胆振地震は発生が9月と秋頃に発生したのが不幸中の幸いだったといえる。もしこの地震が真冬に発生した場合はもっと被害は甚大なものになっていたものと予想される。北海道をはじめ雪国は冬に暖房をつけるので、真冬に暖房が使えないとなると冗談抜きで凍死するリスクが急上昇する。凍死するとまではいかなくともまともな生活を送るのは困難となる。あるいは、本州以南の地方であれば夏場にエアコンやクーラー、扇風機がブラックアウトで使えなくなることを考えるとどれ程大変なことになるか想像してみて欲しい(近年は北海道でも本州などと変わらず暑くなってはいるのだが)。
 地震対策としては揺れに備えて棚を固定する、高い位置に物を置かない、食料などの備蓄の用意、災害用のキットを各家庭一つは用意するといったことが考えられるが、地震に伴う二次災害には津波だけで無く停電のリスクもあることも考えて対策を講じた方が良いと言うことが今回の胆振地震の教訓である。具体的には、非常時の光源の用意、充電機器の用意、非常時に備えていくらか現金を持ち歩く習慣をつける、といったことが考えられるだろうか。
 また、私個人は避難所に難儀したことは無かったが、いざという時の避難所生活についても対策を余裕のある時に考えておくことも大切だと考える。特に流行病が流行っている昨今においては、集団生活を強いられる避難所が新たなクラスター発生源となる可能性も十分に考えられる。行政には避難所に関するマニュアル更新を期待したいところであるが、個人でも可能な限りの出来ることを事前に準備しておくべきであろう。
 そして、人とのつながりが有事の際には一番大切ということを実感した。スマホやSNSによって四六時中友人・知人とやりとり出来るようになって久しいが、いざという時にでも連絡できる友人・知人を持つこと、そして初対面でも困ったときにはこちらから助けを求めるという広い意味でのコミュニケーション能力を持つことが大切である。意外と親切に対応してくれる人が多い事が実感できるものである。

9 おわりに


 タイトルは「地震」であったけれど内容の多くは「停電」に関することに言及していたのでいささかタイトル詐欺のような気がするのが申し訳ない気もするが、阪神淡路大震災や東日本大震災とは異なるリアリティのある内容になったのではないかと思う。これら二つの大震災と比べると地震としての規模や被害は小さかったのであまり語られることはないのかもしれないが、それでもこの地震と停電を経験した人はそれなりに大変な思いをしたことを忘れないで欲しいと思ったのである。
 個人で情報を発信できるようになったからこそ、改めて語り継ぐことの意義を考えさせられることになったのではないかとも思う。もちろん、例えば東日本大震災と言ったような歴史的に大きな事件ともなれば一個人が語らずともマス・メディアや職業作家などが代わりに語ってくれるのだろう。しかし、当事者でない者が語る物語は時間の経過につれてただの「過去にあった事実」「記号」と見なされるようになり、具体的に身に染みた教訓で無くなってしまうおそれがある。どんな歴史的な事件であっても「我が事」と思えなければ具体的な対策を講じようとは思われない。対岸の火事だと思っていたことが突然目の前に現れる可能性はゼロでは無い(現にコロナ禍がそれを物語っているといえよう)。他人が経験したことであっても「我が事」と思えるようになるには、その当事者が体験したことを生々しく語ることが欠かせないと思われる。そしてそれを語るのは一人でも多くいた方が良い。語る者が少なくなるほどそこにあった事実は忘れられていくからだ。この投稿が誰かにとっての忘れがたい「我が事」と思われてくれれば幸いである。そして、あらゆる人の貴重な経験が語られることによって多くの「我が事」が増えて欲しいと思う次第である。


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