眞の人生、眞の世界 〜今までと今から〜
魂が望む事は
現象として正にこの世界に表れています。
自分の《思考レベルの望み》では無く
【魂の望みが現実化する】のがこの世界です。
➖意味が在るから現実は在る➖
魂の望みが現実化するのがこの世界。
魂の望みとは魂の聖長です。
【その一念に全てが在る】のです。
➖世界は自分の為にこそ存在しているのです➖
ここから
この確信に至る僕の人生を通した実体験を用いて根拠をお話致しますね☺️✨
僕に在った人生のテーマは大きく二つ。
【無価値観】
【謙虚な心】
僕の父の家系の學び
【無価値観】
僕の母の家系の學び
【謙虚な心】
家系の因縁は
僕の魂の聖長に必要な學びの為に世界に表れている。
つまり
僕の魂が望む聖長に最適な両親を選んだのです。
家系から受け継ぐ因縁の話
や
自分が両親を選んで生まれてくる話。
この事も大変よく理解できたんですね☺️✨
つい先日、
僕は物を大切にしない自分に氣付いたんです。
・服も靴も氣に入って買っているのに大事にしていない。
・食品を買っても食べずに腐らせて処分。
・MacBookはローンを組んで手にしているのに全く使わずに放置している。
・・・『あれ❓🤔』って。
僕はこの時、
《物体では無く愛や希望や自由という見えない概念こそに価値を置いているからだ》と思いました。
だからこそ
魂(スピリット)や天国とか神樣など見えない世界を扱う
スピリチュアルに興味関心を持っていたのだなと。
そのように思いながら日常を過ごすある日、
いつものように母による父とその家系の悪口が始まりました。
母は僕が子供の頃から父とその家系の悪口を語り続けるのです。
僕が45歳になった今、
そして
離婚を遂げ20年が経った今でも、
母は同じく父とその家系の悪口を語り続けます。
僕はその日、母に問いました。
『お母さんって僕以外にも父とかの悪口を話すの❓』
母は答えました。
『いいや。お前にだけだよ。お前になら分かると思って。お前には伝えなきゃいけない氣がして話してる。自分でも愚痴るのは良く無いと思っていながら、話さなければいけないと思って話してる』
この僕の母への問いは45歳になった今、はじめて向けた質問なんです。
ですから母の回答もはじめて聞いたものになります。
僕にだけ❓
僕には伝えなきゃいけない❓
僕には話さなければいけない❓
母が罪悪感を感じながら❓
【使命感❓】【役割り❓】【つとめ❓】
僕の脳裏にそのようなものがよぎったのです。
それまでただの母のストレス発散としてやり過ごして來た母による父とその家系への悪口や愚痴を、この時、改めて注意深く振り返りました。
・父は『金が有れば幾らでもモテる』と言っていた。
・父は女遊びに夢中だから家に帰って來ない。
・父は物を直ぐに捨てる人。
・父は貯金しないし私の年金も払わなかった。
・父と結婚した私は不幸。
・父の姉は借りたお金を返さない恩知らずで有名。
・父の母は物置き小屋として部屋を何個も潰す人。
父の『金が有れば幾らでもモテる』という発言から読み解ける事は、
父は自分の《人間性・魅力》では無く、
《お金》に価値を置いたという事。
他者は自分そのものでは無く
《お金の魅力》に集まっていると思った。
そもそものところで、
父には自分の【無価値観】が在ったのだ
と僕は氣付きました。
それにより、
お金を手に入れる前の自分と結婚した妻(僕の母)に困惑していたのです。
その為、
『仕事が忙しいから』という理由で家に帰る日が少なかった過去が在る。
少し時が経ち、
自分がお金を稼げるようになった頃を堺にモテるようになった事から、
父は《お金に価値を見出した》のです。
【自分に価値(魅力)は無い】けれど
《お金には価値(魅力)が在る》のだ、と。
自分がお金を身にまとえば
人は集まって來るのだ、と。
➖今の自分には魅力がある➖
と思い込んだ。
根本には
自分への【無価値観】が在りますから
自分が氣に入り買って得た物にも価値は無いと認識。
お金は買う事で物に姿を変えてしまった。
物に価値は無いため直ぐに捨てる。
今の無価値な自分が生きる将來に価値は無い為、
貯金をしない。
どこかで聞いた未來の年金崩壊の話を建前にして年金を払わなかった。
未來の年金の価値では無く、自分の未來に価値を見出せなかったのです。
それはそもそも父自身の無価値観に由來しています。
そして、
そのような父と結婚した母は不幸になったと思っている。
母は先に挙げた話の他にも、
父から受けた暴言や冷たい態度、酷い仕打ちもよく語るのです。
これらは
父の《お試し行動》という役割りが在ったのです。
『こんな無価値な人間に
こんな酷い仕打ちを向けられる。
価値あるお金も君には渡さない。
なのに何でここに居る❓』
『無価値な俺(父)にそれでも貴女は付き合ってくれるのですか❓見捨てないで居てくれるのですか❓』
という自分の存在、生存意義の確認作業として、
父の母への全ての在り方はあったのです。
父の姉が借りたお金を返さないのは、
《自分のようなもの》が得たお金だから価値は無いという自分の【無価値観】から來ています。
自分が無価値で在れば、
そんな無価値な自分に関わる相手も等しく無価値になるのです。
自分の思いや氣持ちに価値を感じていない。
ですから相手の思いやりや氣持ちもやはり無価値になる為、恩情が持てない。
簡単にお金を無心し、お金を返さないという現象は
【彼女自身の無価値観】から起き、
人は【無価値と信じ込む彼女】から離れていった。
父の母(僕の祖母)も内面の構造は同じです。
【自身の無価値観】ゆえに
物に価値を感じられず、物を幾らでも買う。
どれだけ物を買って溜め込んでも自分は満たされない。
そもそも物を得る【自分自身に価値が無い】のですから、そこに氣付けるまで(最期の時まで)その行動と現象は起き続けたのです。
僕が小學3年生の時、
彼女は布団の上で首を吊り亡くなりました。
一時的に僕の母が彼女の介護をしておりました。
一年に満たない数ヶ月の間、僕は祖母と過ごしたんです。
その間に彼女は自ら命を絶って人生を終わらせました。
亡くなった時、
母が片しても片してもなくならぬ、増え続ける物に囲まれて、彼女はこの世を去りました。
僕が母から聞かされ続けて來た一連の事。
そして、僕自身が目の当たりにして來た現実。
そこには意味が在った。
意味が在るから全ては起きた。
45歳になる今なお、聞かされる父とその家系の悪口。
そして
母の『僕に話さなければいけない』という使命感。
➖祖母の最期➖
僕は僕の人生を照らし合わせ、
僕の【無価値観】に氣付かせる為に起きていた現象で在ったと確信したのです。
➖意味が在るから現実は在る➖
僕の《思考レベルの望み》では無く
【魂の望みが現実化する】のがこの世界です。
魂の望みとは魂の聖長。
その一念に全てが在るのです。
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