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初めて睡眠導入剤が処方された話<#11>

睡眠薬を飲んでいることは、わたしは全然恥ずかしいことではないと思う。
だけど、だけどさ。

新聞記者1年目の6月末、過呼吸になり会社を早退した。
人事部から診断書を提出するように求められたため、土日を含めた4連休明けの朝、初めて心療内科を訪れた。
傷病名は「過換気症候群」。

慣れない環境で溜まったストレスや疲労があったにせよ、たった1回。たった1回、たまたま勤務中に起きてしまった過呼吸によって、始まったばかりの社会人人生が傾いていく。
そしてそのまま滑り落ちていった女の話。

初回の心療内科で薬も処方された。
…と言っても「ツムラ半夏厚朴湯」という漢方薬。1日3回×12日分。
ふりかけみたいな小袋に分包されていて、ミシン目でつながっているのを折りたたんで輪ゴムでまとめて渡された。分厚い銀色の塊。
もともと粉薬を飲むのが苦手なうえ、漢方薬独特の香りも相まってほとんど飲むことはなかった。

心療内科での受診を終えたのち、県警まで自転車で向かった。
その後出勤してきたデスクに呼ばれ、近くの喫茶店で面談をした。
心療内科でどんなことを言われたか、生活するうえで気をつけることは何かなどを聞かれた。

処方された「薬」の話になり、漢方薬の写真や用法用量が記載されているA4サイズの説明書をカバンから出した。

隣の窓際のテーブル席には、コーヒーを飲みながらスポーツ紙を読んでいる50~60歳ぐらいの男性が座っていた。
そのおじさんに話の内容を聞かれたり、料理を運んでいるマスターに説明書を見られたりするのがなんとなく恥ずかしくて、4つ折りの説明書を畳んだまま手渡した。

「デパス?」

私の反応を待たずデスクは続けた。

「眠剤出た?」


「…あ、いえ。漢方薬でした。」

そう聞いたデスクは折りたたんだ紙を一瞥すると、開くことなくそのまま私に返した。

この短いやり取りの間に、私は今私がいる世界の仄暗い闇を、ほんの一瞬だけ垣間見たような気がした。

聞き慣れない薬の名前と、「眠剤」という単語。

みんざい。

睡眠剤、または睡眠導入剤のことを略して「眠剤」と言うことなんて、“大人”の世界では常識なんだろう。
ただ、ほんの3、4ヶ月前までは親の庇護の下で生きていた22歳の脳みそは、ある危機を察していた。
大げさに表現すれば、覚醒剤のことを「シャブ」「スピード」と当たり前に言ってのける人と邂逅してしまったような、これまで私が生きてきた世界とは違う世界に踏み入れてしまったような感覚。

さらっと何の抵抗なく上司が口から発したその単語に、私は直感的に2つのことを感じ取った。
デスクも「眠剤」を飲んだことがあるのかもしれない、ということ。
そしてこの会社で「眠剤」を服用する人はさほど珍しくないのかもしれない、ということ。

「眠剤」という言葉から連想されていく様々な底知れぬ不安は、予感から実体験へとすぐ変わった。

この日から、私は定時退社・残業なし・突発事案対応なし、のゆるゆる記者生活を送り始める。

体力的にも精神的にも、負担は軽くなったはずだった。
それでも、なぜか元の自分が帰って来ることは永遠になかった。
当時の手帳には、日々の取材で感じた前向きな感想と反省文に混ざって、週1回のペースで「過呼吸」という単語が登場する。

診療科内科の初受診からひと月半後の、8月17日。
3回目の受診で、とうとう睡眠導入剤と抗不安薬が処方された。
「ゾルピデム」と「エチゾラム」。エチゾラムは、かの「デパス」のジェネリック医薬品。
(…ということは今調べて知った。)

晴れて、仲間入りした。


決して入社5カ月目で眠剤デビューしたことを自慢(自虐)したいわけではない。
オチはこの先にあるから、もう少しだけ付き合ってほしい。

少しだけ時が流れて、翌年2月末。社会人1年目も終わりに近づき、2年目の辞令にソワソワし始めていた時期のこと。

3期上の女性の先輩・Cさんに晩ごはんに誘われた。
場所は本社近くのおしゃれなカフェ。
ファイヤーキングの翡翠色のカップに並々と注がれたラテが、カラフルなゼリービーンズが4,5粒転がった同色の小皿ととともに運ばれてきた。

失敗談から上司への愚痴、恋バナまで何でも笑って打ち明けてくれる彼女は信頼できる先輩の1人だった。
「この街には敵しかいない」「口は災いのもと」が口癖の私も、ついつい彼女の前では緊張が緩んでしまう。転職を考えていることも正直に打ち明けた。

そんな私に、彼女はある話をしてくれた。
それは「Xさんも睡眠薬を飲んでいた時期があった」ということ。

Xさんは、仕事で悩んで夜眠れなくなりそうなタイプとは到底思えない、完全無欠のスーパー記者のイメージしかない人。ついでに、私生活のほうも順調オブ順調な人。
そんなXさんも、入社1年目に仕事で大きなミスをしてしまい、しばらく睡眠薬に頼っていた時期があったというのだ。

彼女は「あれほど優秀な人でも闇の時期はある、だから獅子も大丈夫」とアドバイスしてくれた。

この会社で働く人は誰も弱みを見せないし、心が折れた経験があった素振りすら見せない。
新人全員がちゃんと乗り越えてきた“1年目サツ担”の負荷に耐えられない自分の方が異常だと思っていた。

だからこそ、Xさんの話を聞いて、ほんの少しだけ親近感と勇気が湧いたのも事実だった。


「完璧に見える人でもみんなそれぞれ悩みを抱えていて、苦しい時期を乗り越えて強くなっていくんだな。」

そう思ったあなたは、おそらく優秀な新聞記者さんでしょう。
マスコミ志望の学生さんなら、記者に向いていると思います。(私に言われたところで嬉しくないと思いますが。)

「いくら後輩を励ますためとはいえ、本人の許可もなく睡眠薬飲んでたことを言いふらすのってあり?」

そう思ったあなた。友達になれそうです。

あの夜、家に帰った私はひとり逡巡する。

――Xさんは、1年目に睡眠薬を飲むほど悩み苦しんでいた時期があったことを、後輩の私(獅子)が知っていることを、知らない。

本人が公言しているならともかく、デリケートなことだから「心を許した同僚にしか知られたくないこと」と思っているかもしれない。

XさんはCさんに全幅の信頼を寄せていて、Cさんが誰か私のような後輩に言たっとて、「過去のことだから」と気にしないタイプかもしれない。

もし万が一、そうだったとしても。


人の秘密を握ること。

それがこの会社で生き抜く術なんだと、私は入社早々身を以て知った。
社内の無意味な人狼ゲームで傷つきたくない私は、あの日以来、仕事の失敗、悩み、上司に言われたこと、プライベートのこと、すべてにおいてできる限り口をつぐむ努力をしてきた。

ただ、仕事の失敗は、同僚や上司に迷惑を掛けてしまう以上隠すことは不可能である。
信頼できる人にだけこっそり打ち明けたはずだった相談事でさえ、言った瞬間に主導権は向こう側に移る。守秘義務なんて口約束、あってないようなもの。

自分の失敗やコンプレックスは、知らず知らずのうちに、噂され、ネタにされ、誰かの自尊心を満たすための肴にされる。

そして私の“過呼吸救急車事件”も、まだ顔を合わせてすらいない、入社直後の後輩たちへすでに拡散されていることを知るのは、もう少し後のこと。
しかも、サツ担で迷惑を掛けた同期・先輩たちでもない、親身に相談に乗ってくれていたCさんですらない、私が過呼吸になったことすら知らない(教えていない)と思っていた、全然別の人の口からだった。

(本当にへこんだ。)


会社辞めた今なら、いくらでもネタにしてもらって全然良いんです。

過呼吸のことも、睡眠薬飲んでたことも、何もなし得なかったポンコツなサツ担1年目がいたことも。
だって、会うこともないし、関わりがないからね。
そして、私の中では「過去の話」になっているから。

でも、当時はまだ失敗やコンプレックスを自分自身で何にも昇華できていないし、ズルズルと引きずったまま闇の渦中であがいて呼吸困難になっている。
そんな状態なのに、本人の承諾もなく第三者に言いふらすというのがどうしても許せなかったんです。

そんなどうでもいいや、勝手にしやがれ、と達観するのにも若すぎました。

向いていないな、と感じることばかりが募っていった結果、私は逃げるように会社を辞めました。

「私の考え方のほうが正しいでしょ?」と問いたいわけではありません。
なぜなら、Cさんも、Xさんも、過呼吸エピソードを新卒に広めた人も、まだ働いているから。

順応することを拒んだ、私の負け。

<つづく>


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