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ずっと言いたいけど胸にしまっている話

 私にはずっと誰かに言いたいけど、胸にしまっている話がある。
言ったところで相手は共感もできず困惑してしまいそうだから、誰にも言えていないトピックスなのだ。
多分今後も一生言えないまま時が過ぎていく気がするので、日記という体は取りつつも不特定多数の人に見られている可能性のあるこの場で吐き出したいと思う。
あ、ただこの場で見ている不特定多数の人はこのことに対して、面白いものかとか不思議なものかとか何も期待しない方がいい。
いくつかそのトピックスはあるが、今日は一つだけにする。(文章を書いているうち、その多くがあまりにも独りよがりだと思い始めたから)

 蒟蒻畑の葡萄味を冷凍庫で凍らせると蓋を開いた時表面が夜の曇り空みたいだ、ということ。
読んで字の如くで、全く何の含みもない。
私が子供の頃から、私の家では何かしらを冷蔵庫ではなく、冷凍庫に放り投げるきらいがあった。
凍らせれば日持ちするからというのが表向きだが、別に日持ちを期待しなくてもすぐ消費するものや、そもそも通常の保存方法でもそこそこ日持ちするものも放り込まれていた。
この中に、お菓子も多分に含まれていた。
この場合、家にいた子供は私と、4つ歳の離れた兄で、日持ちなんか気にする間も無くあればあるほどお菓子は消えていくことになり、実質は日持ちなんて二の次だった。
ただ何となく、凍らせた方(物凄く冷やした方)が美味いかもしれないという家族の暗黙の期待があったように思う。
 チョコパイ、柿の種、コアラのマーチ、おせんべい、クッキーetc。好きでよく買ってもらっていた蒟蒻畑も例外ではなかった。
チョコパイとか蒟蒻畑を冷凍庫に入れるよね?という会話をそもそも友人としたことがないので、実際のところこの小さい常識がどの程度奇妙がられるかはわからないが、蒟蒻畑の葡萄味を、凍らせて、それが夜の曇り空に似ている、などということは、どんどん共感の幅を狭めているような気がしていたので、誰にも話せなかった。
 そもそも夜の曇り空とはどんなものなのかという話だが、神奈川の田舎とも言い切れず、しかしながら都会なんて口が裂けても言えないような場所で育った私の目から見た夜の空である。
この中途半端な場所から見る夜空は、塗り込めた深い藍色に星が瞬くわけではない。
晴れた日に見える星は2等星くらいが関の山で、等間隔に点く街灯と、賑やかし程度のコンビニや居酒屋などの光で空の色も、水を多分に含んだ太筆に藍色の絵の具を含ませて、さっと紙面を撫でたような色なのである。
そして曇りの日はどうなのかというと、その薄い藍色の下に濃淡のある雲がへばり付いていて、それが地上からの光を受けて、曇りの日の方が余計に変に明るい。
色で表すなら、藍色を雲で薄ませた紫色に、さらにその雲が地上の光を含んで彩度を落とさせ、全体に赤茶色がかった深い色になる。
雲の濃淡は無遠慮に空を装飾し、街の光は色気のない赤みを空へと照らし出している。
 都心と郊外の間に住んでいる人は、曇りの日の夜7時くらいに空を見上げてみて欲しい。
そして、是非、同じ印象を受けて欲しい。
そこで忘れかけた時に冷凍庫の蒟蒻畑葡萄味をを引っ張り出したら、あ、この表面は曇りの日の夜の空と同じだな、と思う。
濃い紫色のゼリーを凍らせるとすこし明るい紫色になって、よくわからない成分がゼリーの中で白濁色を作っているはずなのだ。
それはまるで、私が見た曇りの日の夜空なのである。
 長年しまいこんでいたどうともない感覚、吐き出したからには同じ思いをしてほしい、してほしいのだ、そのくらいの年月溜め込んだのだ…ぶつぶつ。

 おわり。

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