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湿気の悪魔。

「……釘バット」

 妖しく光る自動販売機の前で、長に従い、私達は各々が持つ釘バットを構えた。紫色のコートを着た私達は、1人の「非魔女」を囲む。
 私達は年中湿度の高いこの街で、魔女をやっている。
 深夜に行われる魔女の集会に遅刻した者は、非魔女と認定され、「非魔女狩り」の対象となる。
 非魔女は恐怖に震え、腰を抜かした。
 同情なんてものはない。「湿気の魔女」になったからには、「湿気の魔女協会」の掟を破ることは許されない。
 長が釘バットを非魔女に振り下ろす。釘が非魔女の頭頂部を躊躇なく抉った。

「ん、ぎぃっ」
 それに続き、私達も釘バットを彼女に振り下ろす。何度も何度も。
 非魔女が生きることは許されない。
 手に硬い何かを打ち付ける振動が伝わる度、脳裏にある記憶が蘇る。
 オレンジ色に灯る寝室。柔らかなベッドの上でラベンダーアッシュ色の髪をした悪魔が私に優しくキスをする。初めは軽く、時間をかけて舌を絡み付かせ、濃厚に。脳内を優しく掻き回されるような気持ちよさに蕩けてしまいそうになる。緊張して固くなっていた身体が徐々に解れ始める。服と下着を脱がされ、全身をねっとりと舐められる。散々焦らされて、やっとのことで悪魔の凶器を濡れそぼった肉の深海へ挿入される。彼はゆっくり腰を動かし出す。段々と速くなり、激しくなっていく。ぬっちゃぬっちゃという滑り気のある音は、気が付くと、ぱっぱっぱっという肉が肉を打つ音へ。ピストン運動による快感と彼氏への罪悪感と魔女になれることへの喜びがぐちゃぐちゃに混ざって、絶頂への一本道を突き進んでいく。情けない喘ぎ声を上げ、私は果てた。
 湿気の魔女になるには、湿気の魔女協会から認められた「湿気の悪魔」と性行為をしなければならない。
 そうしてあの夜、パートナーとなった悪魔とセックスをしたことで、私は晴れて魔女になった。
 気が付くと、非魔女は動かなくなっていた。
 自動販売機の光に照らされ、赤黒い液体がぬらぬらと輝いていた。

*

 午前2時。
 自宅へ帰る気は起きなかった。
 感情は極力捨てたが、いつの日からか非魔女狩りを行った夜は、悪魔が棲む家へ向かうようになった。彼氏の「今日帰る?」というLINEのメッセージは未読無視。
 合鍵で玄関のドアを開ける。
 リビングのドアに嵌められた硝子は、オレンジ色に染まっていた。
 紫色のブーツを脱ぎ、リビングへ。
「お帰りぃー」
 缶酎ハイを片手に、ラベンダーアッシュ色の髪の悪魔が甘い笑みを浮かべた。可愛らしい八重歯が私の荒んだ心を優しく撫でる。
 彼はソファーから立ち上がると、私の左手にある釘バットに目をやった。非魔女の血と肉片で赤黒く汚れている。
「んー……今日もよく暴れたね」
 嬉しそうに笑う、ラベンダーアッシュ色の髪の悪魔。通称、ラベンダーアッシュ君。その顔を見ていると、自分の凍り付いた芯の部分が温められ、溶けていくような感覚になる。
「ちょっと待ってね」
 彼は木製のテーブルの上に置いていたカメラを手に取って私に向け、撮影を始めた。
「もうちょっと、そう、上に向けて」

「ん、ん、いいね、次はまっすぐ構えてみよっか」
「非魔女を殺る直前みたいな感じで振り上げてみて」
 ラベンダーアッシュ君の指示に従い、ポーズを取る。彼は満足そうにシャッターを切る。

 かしゃ、かしゃ、かしゃ……。
 絶え間なく続く、乾いたシャッター音を聞いていた。
 がっ、ごっ、ぐぎっ、ぐちゅ、ねちゃ……。
 すると、釘バットを振り下ろした時の振動が両手に呼び起こされた。
 ぱっ、ぱっ、ぱっ、ねちっちゃ、ねっちょ……。
 続いて、太腿と太腿が激しく打ち付け合う音。魔女になったあの夜の音が、耳を心地よく蹂躙する。
 ラベンダーアッシュ君の甘い声とシャッター音が、記憶の粘液の中で泳ぐ音と混ざり合い、現実と幻聴の区別が付かなくなっていく。

「血塗れの女の写真を撮って興奮するなんて、趣味が悪過ぎる」
 私が冷たい目で批判した夜、彼は甘い笑みを浮かべて誤魔化した。
 あの時、私は呆れた顔をした。
 非魔女狩りで、ラベンダーアッシュ君から借りた釘バットを使って非魔女を殺して、彼の家に赴いて、彼に写真を撮られて、呆れて、彼と繋がって、一夜を明かして。
 本当は私だって分かっている筈だ。
 非魔女狩りと称したただの集団リンチを、ラベンダーアッシュ君が性欲として処理してくれるお陰で、未だに正気を保っていられるんだって。
 これは殺人じゃない。彼が興奮する為の、いやらしい下着選びと一緒なんだって。
 完全に心を氷にするだなんて、本当は出来っこないんだって。

*

 気が付くと、シャッター音は止んでいた。
 ラベンダーアッシュ君はカメラで撮った写真をスマホに転送し、微笑みながら画面をスクロールしていた。
 彼がソファーに座りながら写真を観賞するのは、勃起を隠す為であることを知ってはいるけど名誉の為に言わないであげている。
 不意に気になって、ちらっとラベンダーアッシュ君のスマホの画面を覗いてみた。
 違和感を覚えた。
 彼が画面をスクロールしていく。
 すぐに分かった。
 さっきから釘バットの写真しかない。血塗れの釘バットのアップの写真しか。
 そう言えば、釘バット以外の凶器で非魔女狩りを行った日は撮影しない。
 ……そうか。
 ラベンダーアッシュ君は、血塗れの私に興奮していたわけではない。自分の釘バットの赤黒く汚れた姿に勃っていたのだ。
 つまり、私には興味がないということ?
 気付くと同時に、何かがぞくぞくと全身を駆け巡った。
 ぶぶ、とスマホが振動する。
 きっと彼氏からのメッセージだろうがどうでもいい。無視されようが慣れっこだろう。そんなことより……。
 私は相手にされていない。彼は私に興味がない。私が非魔女を殺す為に使用した釘バットに性的興奮を覚えている。
 彼は、私を見ていない。
「……んん、んっ」
 その事実に、思わず声が漏れた。
 身体をくねらしてしまうぐらい、病み付きになりそうな、擽ったい感覚の正体に気が付くのは、もう少し後のことだ。



【登場した湿気の街の住人】

・氷のように冷たい紫派魔女
・紫派魔女
・非魔女
・ラベンダーアッシュ君

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