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眠くないわたしへ

 目を瞑って三十を数える。

 覚えたての数字を自慢げに読み上げ、三十とともにお風呂から飛び出す幼児を思い浮かべる。わたしにも確かにあったその光景に思いを馳せながら、幼いわたしと一緒に数えてみる。

 十まで数えた頃だろうか。あたたかな布団に潜るわたしの上に、重い何かが乗っていることに気付く。その正体は、わたしのため息。あれやらなきゃいけないんだった、これもやらなきゃいけないな、あぁ今日も一日無駄な時間を過ごしてしまった。そんな考えが重いかたまりとなってわたしの身にのしかかる。嫌な考えは追い払おうとすればするほど余計に纏わりついて、はぁ寝られない。数を数えていた十秒前のわたしはどこにいった。

 仕方がないから開き直って布団から這い出て、無意味に部屋の中を歩いてみる。勿論、さっき思いついたやらなきゃいけないことをやる気力はない。


 身体を動かせば眠れるだろうか。ラジオ体操もどきの動きを鏡に向かってやってみる。もこもこパジャマがいかにも滑稽。
 飲み物でも飲もうか。そう思い立ち、牛乳をあたためる。しっかり見張っているのに、毎回ちょっと噴き溢す。あったかいミルクに蜂蜜がとろっとスプーンから零れ落ちていくのを眺めるあの瞬間、消えたくてたまらなくなる。
意味なんてない、理由なんてないけれど、無性に。

 だいすきな音楽を聴いても、だいすきなエッセイを読んでも、わたしの心はそこになくて、不安になって目を閉じて、でも眠れない。

 スマホを眺めていると、楽しくもないのに時間は速く過ぎるものだ。空が明るくなり始めると、スマホを窓ガラスに向かってぶん投げたくなる。できないから、そこらに落ちているクッションに投げておく。


 そんな生活が一日、二日、三日と続き、それがひと月になって一年になって、そうして夜にしか生きられないわたしが完成する。嫌だ。嫌なのに。


拝啓、眠くないわたしへ

 眠くないあなたのために、今日からわたしはエッセイを書くことにしました。眠れないときに読んで、どんどんお話を書き足していってください。そう、小学生の時に流行った交換ノートみたいな要領で。

 そうしてできた文章が、いつか同じように寝られない夜を過ごす誰かの目に留まって、心を少しでも軽くすることができたらいいな。
 そして、これは夢のまた夢だけれど、わたしの文章を読んでくれるいつかの誰かの、一瞬のきらめきになる文章が書けたらいいな。わたしがあのエッセイを読んだとき、消えたくてたまらないほど憎かった日常が、少しきらきらして見えたみたいに。


 その日まで、言葉を紡ぎながらなんとか、生きていてくれ、わたしよ。
                                敬具


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