温度のない手
広島にてクリスマスを過ごした。
とは言っても、その意識は二人の歩く温度に容易く溶けていった。
別れ際、そういえばクリスマスだったねと思い出す。
綺麗に整えられたまえがみの方と待ち合わせをする。
僕も今朝に、長く伸びた触角が邪魔だったのでばっさりと切ってみたらこっちのほうがいいじゃん、と。
方向音痴なため、待ち合わせ場所のスターバックスに辿り着けず、迎えにきてもらうことに。
その間、焼き芋を購入して目印に"芋持ってます"と送信した。合流すると半分にして食べた。
二人の黒い格好は、灰色の曇り空の下では、より黒く目立っていた。
食べ歩きながら話をしていくうちに、整えられたまえがみの人と、乱雑に並べられたまえがみの僕は、根本に抱えるものは同じだと知る。
あなたのように話しやすいと、僕が言葉を選んでいるというより言葉側に選ばされている感覚に陥ると伝えると、その感覚がより日常を夢見心地にさせるのかもねと彼女は言った。
18時を過ぎると緞帳をおろすように空が暗くなった。街は極彩色をまとい輝いている。
彼女はどうやら、イルミネーションも、冬の寒さも、あまり得意ではないらしい。すれ違う人が自分に向かってきているみたいで怖いとも話してくれた。
「手、繋ぎますか?」
そう言うと、軽く人差し指をかけたあと、こっちのほうがいいと五本の指間同士をうめた。
握力のない僕の手を時々、強く握りしめる度に絡まる指の隙間からぼたぼたと幸福が溢れだしているみたいだった。手首から先だけが現実味を帯びながら、夢の中を歩いているような感覚。
小さな愛に傾く身体。
愛おしい揺らぎに身を任せる。
まるでくだらない映画のワンシーン。
イルミネーションも、身体も、心すらも、遠く眺めていたものが、今や近いところに存在してる。
「わぁ、月が綺麗」
比喩なのかとドキッとしたが、比喩を飾らなくても、確かに月はずっと、ずっと綺麗だった。
ひとつずつ夢から覚めていくような感覚。
同時に、人の海に飛ぶ込むと、忘れていた自身の体温を思い出せる。ような気がしている。
忘れてもいいと思えるから写真に残すという感覚で生きていたけれど、「消えてほしくないから」と写真を撮られたこと、それが縛り続ける言葉でも、爪で引っ掻くくらいのエゴが嬉しく思えてしまった。
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