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理解すること

先日たまたまこの国語教師オニギリさんのnoteを読ませていただいて、私が理解したと思ったことを書こうかなと思います🙏😊

この記事に、
「理解とは経験を通して信じるに至ること」

と、書いてありました。
なるほど、と納得。

火は熱い、ということを本当に理解するとは、実際に火を触ってみて熱いと知る(わかる)ことなんです。と、私はいつも言っていたのですが、、
理解するとは、経験して知るということ、と近いんだと思います。
綿密に言うと違うんだと思うのですが、ほぼ同義、みたいな。
でもなんとなく私たちは、理解は頭で理解する、経験は身体で知る、と思いがちなのかなあって。

本当に理解するとは、そのものを本当に知ることなのではと。

人が言っていることを理解する、となると、結局は自分自身の経験からしか理解できないので、今までの経験、は、頭で覚えていること、ですから、どうしても頭で理解する、と思っちゃうんだと思います。

実際にそのものを経験すれば、そのものを理解しているのではなくて、知っている、となるでしょうね。

ですから、、まわりくどい?

理解する、より、知っている、の方がより信頼できるんですね。

どうやって知るかと言えば、まさに経験すること。ですね。
ここでも注意することがあって、経験したから知っている、というのも、絶対ではないと思います。経験すればすべて知ることができるとも限らない。
例えば、心ここに在らず、このような状態であると、知ることができません。
面白いですよね。言葉の問題ですけど、経験する、も、そこに心身が伴ってこその経験ですもんね。

でもすべてのことを経験することって難しい(無理)ので、多くの人が多くのことを経験したことを本で読ませていただくことって、やっぱり、ありがたいことなんだなって、思いました🙏😊

あと、子どもを見ていて、口で説明することがなかなか伝わりにくいのは、やはり経験が大人に比べて少ないからなんだなって、改めて思いました。

動画や映像を見ることが私たちの子どもの頃と比べて、とても多いと思う今の子どもたち。
自分が経験してはいないけれども、疑似体験のように、動画や映像を見て、学ぶんだろうなあって思いますし、それは実際に経験することに比べたら、理解度としては低くなるんだろうなとも思ったり。

百聞は一見に如かず(聞くだけでなく、実際に見てみないとわからない。)
百見は一考に如かず(見るだけでなく、考えないと意味がない。)
百考は一行に如かず(考えるだけでなく、行動するべきである。)
百行は一果(効)に如かず(行動するだけでなく、成果を出さなければならない。)
百果(効)は一幸に如かず(成果をあげるだけでなく、それが幸せに繋がらなければならない。)
百幸は一皇に如かず(自分だけでなく、みんなの幸せを考えることが大事である。)

せっかく身体があるのだから、身体を使って、色々経験もしてほしいな、と思ってしまう親心もありますね。

もう1箇所

相手が経験していないことを理解してもらうための説明に、例えを使う。ここ面白かったです!
子どもが知ってる範囲の経験で、例えばこんな感じ、って、そお言えば説明したことあるかもと思いました。

だから相対性理論のところも面白くて、

「類似した経験を想起させる」

とありました。
なるほどな〜って。

と言われても、、
私が書くnoteにこんな感じのことってあるかな〜と。
。。。説明するときは、日常のありふれたことを書いていたりするので、想起させるように書いているかもですね。。
特にテクニックとして使ってはいなかったですが、このように話すとわかりやすいかな?とか、相手を想像しつつ書いてる気はします。

ここで、私なりに「理解する」ということを、考察してみますと、

noteなどの文章を読むことを理解することって、当たり前ですが記事を読んでる人の理解なのですから、そこは読んでいる人を想像しつつ、こう言うの理解できませんかね〜っていうのを説明していくんだと思います。
もし対面だったら相手がどのくらい理解しているかなっていうのを確かめつつになるんでしょうと思います。その方がより理解を深めやすいですよね。

そこには、「理解してほしい」
という意志はあると思います。

あと、人に理解される文章書くってやっぱり、自分のことを理解していることは重要なんですね〜。
と改めて🙏

そうだ、あともう一つ。

同じ本を何度も読んで思うのは、前回読んだ理解と今回読んだ理解は、違うということです。
理解ってその時の理解なんですよね。
同じ人って言ったって、その時その時で成長度合いも気分も違うので、理解はその時の理解でしかないので、以前理解できなかったことでも、そのうちに理解できていくとかは、たくさんあるんですよね!(誤解もいっぱいあると思いますが)
子どもを見ていても思います。
ですから、今理解できていなくても、次回は理解できるかもしれないです。
これが、教育とか成長の醍醐味的なところでもあるでしょうし、そうあってほしいところですね〜。

というとりとめのない記事にはなりましたが、
「理解する」
ということをちょっと考えてみました〜。

なかなか面白かったです!

こういうの考えるの好きなんですよね😂😅

なにはともあれ、国語教師オニギリさん、ありがとうございました🙏🙇‍♀️

生きとし生けるものが幸せでありますように

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