大阪・大宮神社「伝 豊国大明神坐像」豊臣秀吉とされる木像
大阪では親しみをこめて「太閤さん」。
豊臣秀吉とされる木像と、御神像群の一般公開。
大阪市旭区の大宮神社・社務所へまいりました。
大宮神社
もより駅は……
●Osaka Metro(大阪メトロ)谷町線・千林大宮駅…徒歩約5分
●京阪電車・千林駅…徒歩約15分
夏祭り・夜店も復活。大宮神社・社務所に鎮座するのは豊臣秀吉とされる木像です。伝豊国大明神坐像
お盆も過ぎ、すこしは秋の気配が感じられるころの公開と予想しましたが。
わたしの予想は外れ、残暑きびしいなかでの特別公開・一般初公開となりました。
大宮神社の歴史
大宮神社の創建は1815年。
1583年・豊臣秀吉の大坂城築城にさいし、鬼門の方角(東北)の守護神社となりました。
「太閤さん」と親しまれた治世は大宮神社も栄えた時代でした。
1603年・秀吉の死後は豊国大明神として京都・長浜などで神様として信仰されるようになりました。
現在の壮麗な本殿の姿。なぜか大宮神社の敷地は四角ではありません。本殿のまわりを切り取ったような、いびつな形で違和感があるのです。
神社の門や大鳥居はありません。ほそながい参道。となりの民家との境界があらわに。すこし殺風景な気もします。
江戸時代になると、秀吉ゆかりの「豊国神社」などは、廃止や荒廃の運命をたどります。
大坂城の外堀や石垣は埋められ「太閤さん」の面影はなくなりました。
豊臣秀吉は皆から忘れ去られられたのでしょうか。
神となった豊臣秀吉
江戸時代、ひそやかに信仰は続きました。
1785年・京都で、1792年・長浜で、豊臣秀吉の豊国神社を再興。さすがに幕府直轄地の大坂(いまは大阪)では、再興の記録はありません。
『絵本太閤記』がブームになり、京都・大坂では、浄瑠璃が上演されました。
今回の「豊臣秀吉」とされる木像は、2020年に大宮神社で発見されました。公的にも発見場所の大宮神社にも記録はありません。
それゆえ製作年・作者などの詳しいことがわからないのです。
豊国大明神が座った像なので、名称は「伝豊国大明神坐像」です。
伝豊国大明神坐像
■ 全体像 ■
会場は畳の広間。ガラスケースのなかに座する等身大の木像です。
お顔と身体は丸く、全体的に柔和なお姿。
おおきくふくらむ木目が、モアレ模様のようで、とても立体感があります。
お顔の眉は半円形・瞳は柔和・目鼻立ちの彫りは、くっきり。
神様というよりは……高砂人形や、むかしばなしの翁のよう。人間の普遍的な老相をしています。
そして耳が大きい、福耳です。
■ 背面のひみつ ■
特別公開では「伝豊国大明神坐像の」後ろ姿は壁で見えませんでした。
気になって、パンフレットをみたら、背面写真がありました。
■ 右手のひみつ ■
手首より先は黒くて作風が違います。仏像のような手です。素人のわたしでも違うのがわかります。左手は内包スタイルで見えません。
それにしても、冠と笏を取りあげられ、失くなっているとは。太閤さんも、パワハラやモラハラを受けたのかと悲しくなりました……。
明治になり、豊国大明神の信仰は再興。大宮神社の高良社にて、太閤さんがご鎮座しているとの言い伝えがあったそうです。
大宮神社は令和の大改修で、本殿や荒れていた境内神社の参道もきれいになりました。高良社から改修工事・遷座際がはじまり「伝豊国大明神坐像」が発見されました。
さいごに高良社の画像をどうぞ。
発見場所の高良社
厨子に納められた六体の御神像群も、ことしの2023年に大阪市指定有形文化財に指定されました。
伝豊国大明神坐像は御神像。
美術工芸品としてではなく神様です。今回の特別公開は一生に一度の貴いもの。ありがとうございます。
◆参考文献
「大宮神社 伝豊国大明神坐像 他 御神像群特別公開」大宮神社発行
引用をいたしました。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。
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