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大阪・大宮神社「伝 豊国大明神坐像」豊臣秀吉とされる木像

 大阪では親しみをこめて「太閤たいこうさん」。
豊臣秀吉とよとみひでよしとされる木像と、御神像群ごしんぞうぐんの一般公開。
大阪市旭区の大宮神社・社務所へまいりました。


大宮神社おおみやじんじゃ

大宮神社
大阪市旭区大宮3-1-37

もより駅は……
●Osaka Metro(大阪メトロ)谷町線・千林大宮せんばやしおおみや駅…徒歩約5分

●京阪電車・千林せんばやし駅…徒歩約15分

大宮神社 特別公開
伝豊国大明神坐像
会場内はすべて撮影不可です

 夏祭り・夜店も復活。大宮神社・社務所に鎮座するのは豊臣秀吉とされる木像です。伝豊国大明神坐像でんとよくにだいみょうじんざぞう


お盆も過ぎ、すこしは秋の気配が感じられるころの公開と予想しましたが。
わたしの予想は外れ、残暑きびしいなかでの特別公開・一般初公開となりました。



大宮神社の歴史

大宮神社の創建は1815年。
1583年・豊臣秀吉の大坂城築城にさいし、鬼門の方角(東北)の守護神社となりました。


「太閤さん」と親しまれた治世は大宮神社も栄えた時代でした。
1603年・秀吉の死後は豊国大明神とよくにだいみょうじんとして京都・長浜などで神様として信仰されるようになりました。

大宮神社 本殿

現在の壮麗な本殿の姿。なぜか大宮神社の敷地は四角ではありません。本殿のまわりを切り取ったような、いびつな形で違和感があるのです。

大宮神社 参拝入り口

神社の門や大鳥居はありません。ほそながい参道。となりの民家との境界があらわに。すこし殺風景な気もします。

小川が流れていたようで石橋がある
弘化年間(1845~1848)
天保の改革後あたり
小さめの鳥居はかなり奥に

江戸時代になると、秀吉ゆかりの「豊国神社」などは、廃止や荒廃の運命をたどります。
大坂城の外堀や石垣は埋められ「太閤さん」の面影はなくなりました。
豊臣秀吉は皆から忘れ去られられたのでしょうか。



神となった豊臣秀吉

受付は社務所で初穂料 500円を
(その年の初めての収穫物・稲など穀物を供えたので初穂といい、
神社に納める金銭のこと)
奥の展示会場にむかいます
本殿と社務所の奥の本堂に入ります
ビニール袋を渡され、
脱いだ靴をいれます(各自の管理)
撮影・録音・飲食は不可

江戸時代、ひそやかに信仰は続きました。
1785年・京都で、1792年・長浜で、豊臣秀吉の豊国神社を再興。さすがに幕府直轄地の大坂(いまは大阪)では、再興の記録はありません。
『絵本太閤記』がブームになり、京都・大坂では、浄瑠璃が上演されました。

基本的には自分のペースで観賞
大宮神社の作務衣のかたが
タイミングを見計らって
解説してくださいました

今回の「豊臣秀吉」とされる木像は、2020年に大宮神社で発見されました。公的にも発見場所の大宮神社にも記録はありません。
それゆえ製作年・作者などの詳しいことがわからないのです
豊国大明神座った像なので、名称は「伝豊国大明神坐像」です。


伝豊国大明神坐像でんとよくにだいみょうじんざぞう

パンフレットより

■ 全体像 ■
会場は畳の広間。ガラスケースのなかに座する等身大の木像です。
お顔と身体は丸く、全体的に柔和なお姿。
おおきくふくらむ木目が、モアレ模様のようで、とても立体感があります。
お顔の眉は半円形・瞳は柔和・目鼻立ちの彫りは、くっきり。


神様というよりは……高砂人形や、むかしばなしのおきなのよう。人間の普遍的な老相をしています。
そして耳が大きい、福耳です。

本像は束帯姿の坐像で、膝前に平緒を、背面に下襲の裾を有しています。
寄木造の木像で、彩色の痕跡があります。
冠を欠失した状態で像高が八十一・九センチメートルあり、全国に二十数例ある木造豊国大明神像の中で最大の大きさです。
令和三年に大阪市指定有形文化財に指定されました。

パンフレットより

背面のひみつ
特別公開では「伝豊国大明神坐像の」後ろ姿は壁で見えませんでした。
気になって、パンフレットをみたら、背面写真がありました。

背面「お太鼓(帯結び)」かと思いました
これは下襲しもかさねきょという長い帯のようなものを
たたんだもの
長いほど高貴とされました
束帯姿《そくたいすがた》は頭に冠は必須だが
徳川氏は豊国大明神の信仰を禁止して
坊主にしたそう


右手のひみつ

しゃくも欠失
右手は後補(後から交換)といわれる

手首より先は黒くて作風が違います。仏像のような手です。素人のわたしでも違うのがわかります。左手は内包スタイルで見えません。

それにしても、冠と笏を取りあげられ、失くなっているとは。太閤さんも、パワハラやモラハラを受けたのかと悲しくなりました……。

明治になり、豊国大明神の信仰は再興。大宮神社の高良社にて、太閤さんがご鎮座しているとの言い伝えがあったそうです。

大宮神社御祭神一覧

大宮神社は令和の大改修で、本殿や荒れていた境内神社の参道もきれいになりました。高良社から改修工事・遷座際がはじまり「伝豊国大明神坐像」が発見されました。


さいごに高良社の画像をどうぞ。



発見場所の高良社こうらしゃ

高良社
2020年(令和2)銅板葺き替え工事完了
本殿の裏側は整美され
とても歩きやすくなりました
こちらに伝豊国大明神坐像が
ご鎮座していました
1823年高良社 
伝豊国大明神坐像 御開帳
像の右手や修理の詳細など不明
高良社の背面
本殿の朱色も美しい
かつての境内敷地
小山があったところは公園に
休憩所でひと休み トイレあり
安政の文字
手水舎

厨子に納められた六体の御神像群も、ことしの2023年に大阪市指定有形文化財に指定されました。

伝豊国大明神坐像は御神像。
美術工芸品としてではなく神様です。今回の特別公開は一生に一度の貴いもの。ありがとうございます。


◆参考文献
「大宮神社 伝豊国大明神坐像 他 御神像群特別公開」大宮神社発行
引用をいたしました。


毎週水曜日は
「たてもの」の日

いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに

さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。

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