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世界も、自分も、ごまかし続けて。

 そうしてまた、眠りたくない夜が続くのだ。


 noteを離れてから随分と時間が経った。意図して離れたわけではない、ただ自分にって、書くことよりも気持ちを落ち着かせたり、浮き上がらせたりするようなことがあっただけだ。ただその間にも、何度か書きかけては、うまくいかずに、下書きにしまい込んでしまったものもある。

 書きたくなる時は、決まって気分が下降している時。いくら気分が浮き上がろうとも、その中で嫌なことや、落ち込むこと、嫉妬したり、寂しかったり、そういう日にはやっぱり書きたくなって。だけれどすぐに、書かなくてもいいようにもなって。ちょっとしたことで左右されるこの神経が、私はあまり好きではないし、何とかなればいいと思っている。何とかしようとは、思っていないから、多分ずっとこのままなのだけれど。

 ここ最近はまた仕事に気持ちが左右される日が続いている。どうにも上昇志向が持てず、壁に当たっては回り道をしようとして、また同じ壁にぶつかることを繰り返す。こういう時、必ず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という台詞を思い出す。そう、馬鹿だなと、自分でも思っている。

 なにをしても怒られるだとか、言うとへそを曲げて後の仕事がやりづらそうだとか、なんだかんだと理由をつけて、怒られて終わるならそれでいいかとどこかで思っているのだろう、永遠に同じ課題を目の前にして足踏みをしている。

 ただ生きていられればそれでいいはずだった。だけれど仕事は向上を求めてくる。当たり前だ、会社は利益を求めているのだ。それは金銭的なものだけではない、人の質であったり、新しいことであったり、生き残るためにあらゆる変化と上昇が必要になる。変わらないものなんてないし、変わらなければ淘汰される、永続するために常に変化が要求される。臨機応変という言葉に眩暈がしそうな私にとって、変わり続けていくことは苦痛でしかなかった。

 ただそのことが怖かろうと苦手であろうと、給料という形で報酬を得ている以上、当然対応すべきことだし、帰属意識はなくとも、会社が望むことを叶え続ける必要がある。私はそのことも十分に理解しているくせに、一向に前に進めないでいる。

 停滞すれば落ちていくだけだと知っている。穏やかな日々は成長をもたらさないし、静かに暮らしていればただ衰えていくだけで。なによりも報酬がなくなれば生活することが難しくなる。

 だけれど思うのだ。これほどまでにすり減らして働いて、たまの休みの大半を寝て過ごし、起きたら起きたで大してすることもなく、ただ飯を食い、一度消化した物語をまたなぞっていく。そこに生きている意味はあるのかと、どうしても、思ってしまうのだ。

 このひと時のために生きる、そのために働いている、もちろんそれで間違いないし、そう思える時がないでもない。だけれど、そんなことは本当にたまにしかなくて、大半は、次の仕事から意識をそらすためだけに時間を使っているという感覚。休みの日でも仕事のことを考えるようにも言われてはいるのだけれど、それをし始めるといよいよ死にたくなりそうで。

 そんな私でも、ハリがあると思える瞬間がある。生きていきたいと思う時がある。それは決まって、誰かを好きでいる時だった。好意を寄せる人がいれば、振り向いて笑ってもらうために。付き合っている人がいるなら、その人にふさわしいように、隣にいて恥ずかしくないように。相手の望む姿になりたいし、相手の望みをかなえてあげたい、そのために頑張っていたかった。

 自分に甘い私は、自分だけのためには頑張れないのだ。きれいな人になりたい。丁寧な暮らしをしたい。だけれど、自分だけのためなら、別に必要ないんじゃないか、そう思ってしまって。結局は、何もしないで、楽なほうばかり選んでしまう。

 誰かのために生きられる人になりたかった。だけれどそう思っているうちは、きっと誰かのせいにしてしまうのだろうとも思っていた。

 自分一人では立てないから、誰かに支えてほしかった。自分一人では生きられないから、誰かに寄り添っていたかった。そうして必要とされていることが、好きでいてくれる誰かがいてくれるということが、私を生かしてくれていた。だけれどそんな生き方をしていれば、何かあった時に、きっとその誰かを責めてしまうだろう、そう思うと、申し訳なくなってしまって。

 勝手に誰かを好きでいればいいのかとも思った。自分が想うだけならだれにも迷惑は掛かるまいと。でもそうするには、私はさみしがりで、欲しがりすぎて。自分がかけた分と同じだけの愛情が、どうしても欲しくなってしまう。

 恋ばかりしている私は、きっと人を愛することはできないのだろう。

 そうして愛を注いで、注ぎつかれて、一人になって。寂しくて苦しくてまた恋しくなって。そうしている間も働き続けて、ふと、生きている意味を問い、答えられなくて。意味が見いだせないのなら、いっそ死んでしまったほうが、何も考えずに済むんじゃないかと、夢想する。

 こうして吐き出したところで何が変わるわけでもないし、読んでもらいたくとも、気分を損ねるだけだろうから大手を振って読んでくださいとも言えない。そんな文章しか生み出せないこの間にも、明日は近づいてくる。

 一時期治った指の皮をめくる癖も、また始まって。ぼろぼろの手で、また明日も大好きなはずの本を触る。本当に好きなのかは、もうよくわからない。

 書きたいことは書けたのだろうか。今ももやもやは晴れないまま、時折動悸を感じる。冷めたコーヒーを流し込んで、明日への不安に包まれて眠る。どうせ明日も生きるのだろう。明後日も、その次も。




文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

本城 雫

いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。