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【私の感傷的百物語】第二十話 ザトウムシ

これまでにも何度か、釣りにまつわる怖かった体験をご紹介しましたが、これも釣りの話です。ただ、今回は昼間に起こったことです。

大学生時代、静岡市は清水にある庵原川(いはらがわ)の河口に、友人と釣りに行きました。以前、夜釣りから逃げ帰った興津川の隣にある川です。両岸はなだらかな石垣の傾斜で、僕はそこに腰掛けてウキ釣りをしていました。クロダイの若魚や、ギンガメアジなどが釣れて、自分には珍しく、好釣果でした。

しばらくすると潮が満ち、足元まで水が迫ってきます。ふと足元を見ると、石垣の間から何かがはい出てきました。よく見てみると、それはザトウムシでした。米粒のような胴体から八本の糸のように細い脚が長く伸びている不思議な昆虫です。この足を、まるで座頭の杖のように動かしながら歩くために、この名がついたといいます。立ち止まって葉の上でユラユラと揺れていることもあり、「幽霊蜘蛛」という別名もあると、以前本で知りました。

僕は蜘蛛は大の苦手ですが、ザトウムシは平気です。動きもさして素早くはありませんし、痩身な特徴にも、親近感が湧きます。しかし、この時はちょっと様子が違いました。そのまま足元を見ていると、岩陰から次々とザトウムシが現れたのです。

ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ……。

周囲にある他の岩陰からも、同様にザトウムシが出てきます。

ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ……。

世に「蠢(うごめ)く」という漢字があります。春に虫、虫……。季節は秋でしたが、あの瞬間ほど、この言葉の意味をはっきり感じたことはありません。考案者は中国人か日本人か分かりませんが、いずれにせよ、そうとう気味の悪い体験をした人物に違いないでしょう。大群となったザトウムシたちの姿に、僕は怖気(おぞけ)立ってしまい、大急ぎで釣竿を担いで石垣を駆け上がったのでした。

ヒッチコック監督の「鳥」という映画があります。鳥が突然凶暴化して、集団で人を襲うのです。学校のジャングルジムに鳥が何匹か止まっていて、ちょっとカメラが視点を変えて戻ると、ものすごい数になっています。この一瞬に、肝がヒヤリとします。

鳥にせよ、虫にせよ、不意に群れた存在と出くわすと恐怖を感じるというのは、どういう訳でしょうか。思うに、人間の本能が自己防衛のために、「もし向かってきたら、手に負えない存在である。早く逃れよ」と、判断しているのではないでしょうか。脳は我々を危険から逃すために、過剰なまでにさまざまなイメージを送ってきます。数多くの生き物が自分の体をはい回る。耳や鼻の穴から入ってくる。脇や下腹部を刺してくる。等々。まして誇大妄想癖のある僕は、今でもあの光景を思い出すと、体のそこかしこをむず痒くなってくるのです。

ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ……。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「海座頭」。
こちらは座頭のお化け。

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