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私たちに花束を

私が18歳になった時、祖母が一抱えほどもある大きさの、赤いバラの花束をくれた。まだ成人してないのにな、という私の思いを知ってか知らずか、「18歳なのがいいの」と言って、やけに大きなケーキと共に盛大にお祝いしてくれた。
 実際、私は次の年から進学のために一人暮らしを始めたから、それが直接祖母に祝ってもらった最後の誕生日となった。今思えば、祖母はそのあたりのことも考えていたのかもしれない。

今日、娘が18歳になった。時代は変わるというが、今はなんと法律の方が変わって、成人のゴールラインが二年こちらに近づいてきた。18歳。娘は今日、成人した。

先月あたり、ふと娘の誕生日を意識したときに、自分が大きな花束をもらったことを思い出した。親にしてもらったことをそのまま子にやらなければならないとは全く思わないが、何かお祝いをと思った時に、アイデアの一つとしては思いつくものである。しかも今回は成人である。そうだな、と思い、良さそうな店を調べてみる。

娘はおそらく、来年以降も一緒に暮らし続けるであろうし、あんまり花束、という感じでもない。なんなら花の世話は私がやるのだろう。でもなぜか、ここは花束だろうと思った。成長した娘に対してだけではなく、父となった夫に、そして私に、娘が生まれてから今日までみんな頑張ったという、その健闘を称える花束を贈ろうと思った。

大きな赤いバラの花、というのはさすがに気恥ずかしかったので、小さめの、シックな色合いの花束を作ってもらった。

娘が、今日のこの花束のことを忘れてしまっても全く構わない。でも、私はきっと覚えている。祖母の赤いバラの花束と共に、このピンクの小さな花束を、一つの流れとして覚えているだろう。自己満足といえば自己満足である。でもそれでいい。祝いたい気持ちはある意味自己満足なのだから。

今日の日を無事に迎えられたのは、娘一人の力だけでないことはもとより、私と夫だけの力でもない。生まれたときに奔走してくれた病院スタッフをはじめ、今日まで関わり、慈しんでくれた家族、友人たちのおかげに他ならない。本当に、感謝の気持ちでいっぱいである。
改めて皆様に厚く御礼を。ありがとうございました。  2023 4.14


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