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AIで描く4コマ漫画織田信長第二話「桶狭間の合戦」

今回はAIで描く4コマ漫画、織田信長の第二話「桶狭間の合戦」です。

読むのが面倒な方は動画でどうぞ。
もともと、織田信長のライバルとなる今川家というのは足利家の親族。つまり源氏の家系ということになります。

今川義元

一般的に今川義元は、堕落した京風の公家大名的な書かれ方をしていますが、さにあらず、結構やりてです。というのも家督相続争い「花倉の乱」に勝ち、駿河の大名としての地位を確立させると、他の小豪族を滅ぼし駿河を統一します。
さらに、三河に圧力をかけたり、武田信玄、北条家とも甲相駿同盟を結び今川家の地位を安定させます。

西三河侵攻

今川義元は、桶狭間の合戦の前に、織田家の城であった愛知県の大高城を攻略するなど着々と三河侵攻の準備をします。
織田家としても、西三河を抑えられると海上貿易で利を得ていた関係で放置的ないということになる。
なので、桶狭間の合戦というのは今川義元の上京というよりは、西三河争奪戦の様相が強い、織田家はここで負けると海上貿易の力がそがれてしまうという要素があった。

敦盛を舞う織田信長

今川軍2万人の来襲を知った織田信長は、軍議を開くが態度をあきらかにしない。でも、心は出撃と決めていたようです。籠城戦は援軍がないと勝ち目がないからです。
もうひとつ織田信長は手を打ってあった。それは、地域の農民に「今川義元を接待しなさい」と伝えてあった。1560年5月、暑い中、進軍する今川軍本体の前に農民たちが平伏する。酒肴を用意するので休んでゆけと。これが罠でした。
織田信長は情報を的確につかむと雨風にまぎれて城を抜けて熱田神宮で勝利のお神籤を引き、そっと今川軍に近づきます。

今川義元の最期

奇襲攻撃を受けて混乱する今川本体、今川義元は奮戦するも織田家家臣・毛利良勝に討たれてしまう、享年42歳。ここから徳川家康の独立がはじまるのです

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