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いつまで気を遣って生きる?

小さい頃から、優等生だった。
長女だからだろうか。わがままを言ったことはほとんどないと思う。
公園で、すべり台のそばにじっと立って、みんなが滑り終わるのをずっと待っていた、と母は言った。

4歳のとき、2か月ほど入院した。
毎日点滴を打たなければいけなかったけど、私は泣かなかった。
「痛い」「嫌だ」と言ったこともなかった。
一度だけ、看護師さんたちに「泣かなくって偉いね」「強いね」と声を掛けられて、「私、嫌なことを我慢してるんだ!」と我に返り、猛烈に泣いたことがあった。

決められたことはちゃんとやる。他人に迷惑は掛けない。
迷惑を掛けるくらいなら、自分が我慢すればいい。
そうやってずっと生きてきたような気がする。
辛いことを辛いと言わず、困ったときに助けてと言わず、
黙々と平気な振りをしてきた。

この前ふと、ママ友に送るLINEの文面を考えていて思った。
「いつまで人に気を遣って生きるのだろう?」と。
どう思われるか。どんな風に見られるか。
これってずっと続くのかなと考えると、気が遠くなる。

やりたい仕事を自分で選びたくて、フリーランスになった。
働く時間も決められるようになった。
でも未だに、仕事を断るときは胸が痛む。
2回続けて断ってしまうと、次は受けた方がいいかな、と思う。
自らの「受けたい」ではなくて、相手に気を遣っている。

前の会社で働いていた時短の社員さんは、定時になるといつも颯爽と帰っていった。間際に仕事を頼まれたときも「私、〇時までなんで!」と。
でも周りに嫌がられていたかと言うとそうではなく、みんな「しょうがないなー」という感じで笑っていた。
こんな風に自由に、おおらかに生きられたらなと、私は思った。
実際、その方がどんな思いを抱いていたのかは分からないけれど。

40になって、子を産んで、会社員辞めて、でもまだ気を遣っているんだなという現実に、我ながら呆れる。
もうそろそろ、わがままに生きてもいいんじゃないか。
じゃないと、人生終わってしまう。
自分の人生を生きないと。

別に誰かに迷惑をかけたいわけじゃない。
「迷惑かけるかも」の、予防線を張って生きるのをやめたい。
案外、周りはさらりと受け止めてくれるのかもな、と思ったりもする。
まだ時間はあるから、やってみないと。


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