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脳内の見える化 Vol.29(6月コーチング)

熱量が失われつつある自分

 脳内の見える化がすっかり疎かになってしまっていた。もはや自分の脳内に向き合うことすら後回しになってしまったかと思うと恐怖。もう少し分析してみると、負の感情が大きかったから「感情をアウトプットしてる場合なんかじゃない」と思ってたフシがある。
 別に誰かに見られるために書いているわけでもないのに、気持ちを整え、PCを開き、あったことを思い出し、自分の感情と向き合い、思ったことを言語化して、きれいな文章になるように修正していくというこの作業は、エネルギーがないとできない。書き始めるからには生半可な言語化では意味がないし気が済まない、という変な熱さも邪魔をする。

 最近仕事に、研鑽に熱くなれているのか。人に比べてマグロのように活き活きと動けているのか。否。そういえば大学生の時に「日本一になる」と目標を掲げながら、いつも試合中は他大学のエース級との直接の勝負を避けて安定的な順位を取ろうとしていたことを思い出した。練習だって、日本一になるための練習ができていたかどうか。練習量はストイックにこなしていたけど、上手い社会人や先輩に聞いたり乗ってもらったり手入れの仕方を超積極的に教わるでもなく、他の大学と交流するでもなく、自分で調べたり振り返ったりするでもなかった。日本一を目指しているということ自体に酔いしれて思考が停止していたし、本気で日本一を目指す覚悟もWillも特になかったような気がする。

 このように、自分には「まあまあ上位の集団にいられればそれでいいや」などと適度に手抜きするような悪癖があって、それが自分の成長を妨げているように思える。自分のやってることにmust感がない。「できたらいいな」のwantにとどまっているような感覚。

 今の仕事はどうか。会社を変えねばならないし、さらに言えば変えるだけでなく自社が今と未来の競争に勝利できるようリードしていかないといけない。果たしてGAFAMなどの超一流企業に本気で勝つような、もっというと競争相手である国内外の保険会社にすら本気で勝つような動きができているのだろうか?
 なんとなく7時40分に起きて、出なければいけないMTGに受け身で参加してはいないだろうか。督促されないからと言って自分のペースで仕事していないだろうか。Comfort Zoneを抜けられる努力をしているのか。このまま行って自分は何者かになれるのか。

物知りなだけで大して使えない人

 自己啓発本を読んでイケてるような気になることが嫌いだと前書いたが、最近は戦略本とか、イノベーション関連の考察本すらも読んでいる場合なのかと思うようになってきた。特に自分の会社の人たちはこの手の本が本当に好き(自分も大好き)なのだが、これらは思考のフレームワークや事業開発の方法論、大事な価値観は植え付けてくれるものの、肝心なアイディアやストーリーを思いつくための技術や事実(何が流行っていてそれがどういう仕組みかなど)を教えてくれるものではないので、いくら読んでも「こうしたらいいんじゃないの?」という小利口なだけの謎の評論家(自己啓発本もたくさん読んでいるから人間的にはナイスガイ)がただただ大量生産されていくだけ。難しい本をわかった気になって「この考え方は参考になる」と思うのは快感なので、さらに権威の本を読みあさり、視点はどんどん遠視的になっていく、ともはや麻薬に近い。そんなことよりも消費者に憑依して、同じことを試して、何と何を組み合わせればいいものが作れるか、という「具体的なこと」を考える時間を作らないといけない。

 これは今までの自分がなんとなく感じながら10年以上大して変えないできたことなのだが、いよいよこのままだと「物知りで最先端のビジネスの話題についていける、ちょっと論理的なやつ」になっていくんだろうと思っており、それは自分が掲げている理想像には遠い気がしている。そのためには意識的に「何かを作れる」「何かを切り開ける」みたいなことにカネと時間を投資していかないといけない。馬なりで仕事をしているとそういう思考にならず、時だけが過ぎていく。

6月のコーチング

最近思っていること

  • Comfort zoneの外に出られていない

    • 人脈も広がってないし、他流試合もできていない

    • 戦略を練るという仕事が思うように進んでおらず、周りからも「何やってるんだろう?」と思われていそう

    • ずっと自分の思考の枠の中にいるイメージ

  • 前年評価が悪くてかなりへこんだ

    • 先輩とはいえ自分にとってはライバル。その人より低い評価をつけられたということ

    • 自分は頑張って前を走ったと思っていたが、求められていなかった

    • スネる気持ちよりも、残念な気持ち

    • 会社に対する愛着は薄れた(かまちょで言ってるのかもしれない)

  • 感情の言語化を1ヶ月間できていない

  • 前回コーチングで約束したことを強くは意識できなかった、、

    • 寝る前に「ゲームと動画を削ってインプットに当てられた?」とLINEに毎日呟かせた

    • 動画はめっちゃ見た。すぐショート動画を見まくる癖が出てしまった

      • 無駄だなあと思いながらやめられず

    • 一方でゲームは結構やめられた。その間に本読んだりインプットを少しできた。

→全体的に「味わうよりも作る側になりたい」と言っている気がする

何が達成できていたら豊かな人生と言えるのか

メンター:○
Vodka:●

○寂しいところも含めて味わえているように見える。脇に奥でもなく、見ないでもなく、真正面から見て受け止めている

●外から見て、変化は感じる?

○感情を感情的に扱うか、大事に扱っているかの違いがある。決してポジティブって感情ではないけど、豊かさが全然違うと感じる。色彩の薄いテレビが色鮮やかなテレビになった。

○そんな自分をどんな風にひいて見ている?

●なんとなくいい兆候だとは思っている。大人になった?落ち着いた?豊かで賢くなった?受け止め力は上がったけど、ネガティブな感情自体はあまり減ってない。自分に足りないものとは?ただ考えるのが得意なだけの評論家になっていないか?

○いろんな感情が出てきているが、僕はいったい誰なんだろう?何者なんだろう?と言っているような気がする。
さらには、発言に大きな前提を感じる。Vodka憲法みたいな形になってないものは、もはや何者ともいえない。「形に作ること至上主義」みたいな世界において、特に何も形にしてない自分は、他で頑張っても認めてもらえないし価値がない、みたいに言ってる。

○「形にする」とは、こういうものであるべきだ、とも言ってる。「形にする」とはなんのことを言っているのか?

●社外・社内の人を説得して、自分のアイディアを盛り込んで、他の人ができなかったことで、みんなからいいねと言われて、今まで当社になかったものを、世の中に出すこと。「自分が手掛けたものによって消費者が喜び、だからお金を払ってくれる」という一連の流れを作ることで自己表現できる。それがビジネスパーソンの存在意義である。物事を構造化して戦略を描くしかできない自分は、誰かの、何かの役に立てているのだろうか。

○手触り感が好き、と言っているのはなんとなくわかった。呪文をかけているように思える。「戦略」というものにコンプレックスがあるようにも思える。

○改めて、Vodkaは何を望んでいるのか?いろんなもので覆い隠されていて、本心が見えていない。

●僕という人間に心酔してもらいたい 僕の周りに人が集まって欲しい。「能力高いよね」「お前がいてよかった」「うちのチームに来てくれ」「いやうちに来てくれ」と思われたい。話していて気づいたが、特段消費者の話や物作りの話は出てこなかった気もする。ただ自分が歩んできた開発畑では作ってヒットを飛ばした人が偉いから、自然とそういう思考(憲法)になっていたのかも。

○欲望の周りにあるものがきれいに剥ぎ取れた感じがする。それを感じてどう思うか?

●自分は今、心酔される理由がないことに悩み、それを必死で見つけようと焦っているのかもしれない。例えていうならば、日本の女の子にモテたいけどモテなくて、タイならモテると言われているようなイメージ。タイに行くのは逃亡していることになるから嫌だ。かと言って日本でモテようと努力しつつもかなわないことを悟ってウジウジしているような。

●さらに言えば、モテたいと思っているのに「まあモテなくても死なないしいいか」と言っているような気がする。「楽してモテたい」」と考えているのに近い(けれどモテずにモヤモヤしつつ、日々をのうのうと過ごしている)。

※モテモテ言ってるがあくまで例え話であり、本当に異性にモテたいと思っているわけではないので悪しからず

●Willとして掲げている「心酔」も「されればいいんですけどねえ」くらいに感じる。MustじゃなくWant。本当に何を望んでいるのか?と思う。

●自分から見て、本当に満足している時のVodkaはそんなエネルギーじゃない。目がいっているし、腕まくって「どんとこい!いくらでもやりますよ!」と言ってる。Vodkaは時々、目がいってない状態で「やってやりますわ」と言っており、その時は自分に嘘をついているように見える。

次回までの宿題

  • 目がいった状態にできるスイッチは?

  • 目がいっちゃってる時の自分って何が起きてるの?

  • 目がいってる時といってない時は、ちゃんと見定めてあげて欲しい

  • 目がいっている環境を作れるの?を探究する。意図して切り替えることができるのか

感想

 まずは率直に、救われたような気がした。というのも、目がいっている自分になれていないからモヤモヤしているのが実感を持って理解できたから。例えば最近、客先との議論で使うための収支計画書を作っているときにはどんどんアイディアが膨らんで手が進み、目がいっていたような気がするが、それを先方にきれいにプレゼンすることやそのための準備・コミュニケーションをすることを思い浮かべると急に目が閉じてしまった。この違いはなんなんだろう?と非常に気になったし、目がいった状態(超サイヤ人状態とでもいうべきか)を保てれば、自分はもっとやれるかもという希望を持つこともできた。

 人が欲しいものを考案して作成し、それによって今まで成し遂げられなかった大きな価値が社会や会社に生み出せそうなときには、超サイヤ人になれるのかもと思う。ざっくりこんなイメージ。

 今日はここまで!


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