マガジンのカバー画像

どう生きるか(人生学・死生学)

13
「人生学」「死生学」について書いた記事をまとめます。
運営しているクリエイター

記事一覧

あらゆる悩みはジャーナリングで解決できる

私たちの生活には、様々な悩みや問題がつきものです。仕事のプレッシャー、人間関係の摩擦、将来への不安など、悩みの種類は多岐にわたります。これらの悩みを解決するためには、まず自分の心の中を整理し、問題の本質を理解することが重要です。 ジャーナリングは、そのための有効な手段の一つです。今回は、ジャーナリングがどのようにしてあらゆる悩みを解決するのに役立つのかを探ります。 自己理解の促進 悩みや問題を解決する第一歩は、自分自身の感情や思考を理解することです。ジャーナリングを通じて

WHO「2030年頃の人類 最大の敵は”うつ病”」

特に予定を入れなかったGW。家でビジネス系雑誌を読んでいると、「WHOは2030年ごろの人生の健康の最大の敵は”うつ病”と予想している」という一文が目に入った。 「うつ病」「発達障害」「いじめ」「自殺」等のキーワードに私は敏感に反応する。誰にとっても他人事ではないと思っているからだ。 なるべく周囲に迷惑をかけず、噓をつかず、誠実に働いている人がうつ病になる。他人にばかにされていた特性が実は発達障害だった。ちょっとしたイジりのつもりが自然といじめになっていた。自分には縁のな

死を意識するとパフォーマンスが向上するという研究やエピソード

個人的に、人生の早い段階で「死」に考えをめぐらすことは大切なことだと考えている。正確に言えば、そうした”きっかけ”に気づく経験が大事だと思っている。 自ら積極的に考えにいくというよりも、例えば日々のニュースを見て「どうして毎日どこのだれかもわからない人の死亡事故が報道されるのだろう」とか、家族に言われるがまま参列した遠い親戚の葬儀で「どうして普段は関わってなかったのに、死んだときはわざわざ集まってその人について語り合うんだろう」とか、純粋な疑問からでいい。 他にもきっかけ

「自己を経営せよ」

私が自らの人生に期待する成果は「見えない生きづらさと共生できる社会づくりに貢献すること」である。 と、突然己の志について記したが、その目的は自分語りにあらず。本記事は、サムネとして取り上げているように、「死生学」と「企業経営」から得た知見を「人生学」として発展させていく私の試みを記したものである。自らの試みを一例として開示しながら、人生学(或いはそれらしいもの)の必要性および有用性を説くのが、今回の狙いだ。 話は戻り先ほどの私の志、これは企業経営でいうところの「ミッション

人生学をつくりたいと考えて4年が経過したので一旦振り返る

2020年の1月、私は、生きづらさを乗り越える術を身につけるための学問「人生学」をつくりたいという記事を書いた。あれから4年間、自分なりに色々行動した。全然まだまだ道半ばであり大きな成果はないが、一度振り返ってみようと思った次第。 この記事は、VUCA時代(物事の不確実性が高く、将来の予想が困難な時代)に個人が力強く生きていく術を養う学問の必要性を説いたものだ。そしてそれは、現代の企業経営(特に企業倫理やIRの観点)から波及して生み出せそうだという個人的な意見だ。 記事を

「生きること」へのスタンスが人生を左右する

人生において、私たちはさまざまな選択を迫られます。その中でも最も基本的で重要な選択のひとつが、「生きること」に対する姿勢や意識です。私たちの生き方や生きる目的、価値観は、人生の方向性や幸福度に大きな影響を与えます。本稿では、「生きること」へのスタンス(積極性、意欲)が人生をどのように左右するかについて、会社経営と結びつけながら考察していきます。 生きることへのスタンスと人生の質 「生きること」に対するスタンスは、私たちの行動や態度に大きな影響を与えます。例えばポジティブな

謙虚であるための魔法のひとこと

「謙虚でありたい」と「堂々と意見を述べたい」が噛み合わない 自分で自分が偉そうだと思うことがある。あたかも色んなことを分かっているような顔で話してしまうときだ。 たしかに将来立派な大人になるべく、あらゆることに興味関心をもち、積極的に学んでいるものの、所詮は20代。社会的には未熟者である。 自分が偉そうだと感じるたびに反省をする一方、仕方ないとして自己を肯定したがる自分もいる。 もしかしたら、「上手な反省」をできていないのかもしれない。 それとも実際自分にはソコソコ語れ

死の名言

生死について思案する友へ。今日、わたしの心に触れた言葉たちを送る。 いずれも引用であるが、発言者はあえて記載していない。自分の感情に刺さる言葉と出会った際、それを誰が発したかはさほど重要ではないからだ。 大切なのは「感動(感情の機微)」に自ら気づくことである。その衝動を言語化する必要はない。ただ味わえばよい。 わたしの記事が、皆が生きていることを噛みしめる一つの機会となれば幸いである。 ※記事の終わりに引用元の書籍を掲載しているので気になる方は参考に。 * * *

「死にたいと思う=不健康」ではないという考え

死にたいと思うことで得られる満足感がある 私は「死にたい(消えたい)」と思うことがある。 しかし、その思いを他人に話すことはほぼない。 理由はいくつかあって、例えば「話したところでその気持ちは変わらないし、変えたいわけでもない」「”病んでいる奴”や”かまってちゃん”というレッテルを貼られ、その後の社会生活に悪影響を及ぼしそう」「過剰に心配されるため、こちらも気を遣うことになる」などである。 こういう理由で、死にたいと思っても気軽く周囲には漏らさないわけだが、この本質は「死

「人生学」をつくりたい。

先日、旧友から「あなたは最終的に何になりたいのか。」という質問を受けた。 私はこう答えた。「何になりたいという答えは特にない。しかし、成し遂げたいことならある。」 「人生学」の確立私はその友人に、新しい学問分野を確立させたいという話をした。 「もしこれを実現できたら、社会が変わり、世界が変わる。いまを生きる人だけでなく、これから生まれてくる人たちの役に立つと信じている。」そう語った。 「人生学」から何が得られるか人生学は一体どういう学問か。 結論から述べると、「人生

(3)死生学という人生の戦略

「出口戦略」という言葉がある。「損失が大きいときに、いかに損失を少なく抑えながら撤退するか」という意味だ。日常的にはビジネスシーンで用いられるが、今回はこの言葉を人生に当てはめて考えていきたい。 これは、「人生という苦しみの連続の中で、いかにそれらと向き合い死を迎えるか」という問いかけである。即ち、人生に対する戦略的考察である。 *** そもそも人生は苦悩の連続なのかという疑問もあろう。それは「一切皆苦」という仏語の通りである。逆境時は困難であり、順境時はその後に訪れる

(2)死生学が必要な理由〜死生観の宗教からの独立〜

「死にたいように死なせてあげたい。ホスピスの医者としてはそう考えるのですがね。こういう死に方をしたいというイメージがない人ばかりなんです。生き方ばかりじゃ最後は役に立たないんですけれどね」(永六輔『大往生』) 現代における死に関する問題は、目に見えない形で生活の中に姿を現しているようだ。日頃から生死に関わっている人、関心を持つ人がそうした問題に気づき、声を上げている。死生学はそうした人たちによって、ようやく一つの学問分野として認知されつつある。 少し話は逸れるが、現代の日

(1)「死生学」とは〜人生を科学する〜

私はいま「死生学」という学問に関心があるが、比較的新しい学問分野であり未だ広く浸透しているとは言い難い。 そこで今回は、死生学という学問分野を紹介することしたい。死生学について調べてみると、以下のように説明されている。 一般に、死生学の起こりは、1967年にイギリスでシシリー・ソンダースがホスピスを設立したことにあると言われている。医療現場での死の看取りの実践を通じて、死と向き合う必要性が訴えられている。 また、死生に関わることは医療の領域にとどまらないことから、教育現