西本昌平@編集者

日本ジャーナリング研究所代表(https://www.jjri.jp/)|見えない生き…

西本昌平@編集者

日本ジャーナリング研究所代表(https://www.jjri.jp/)|見えない生きづらさと共生できる社会へ|本業の傍らジャーナリング(書く瞑想)と死生学の普及を目指して活動しています|日本尊厳死協会|IR支援←出版社←明大院←関大卒|HSP・ASD|長崎出身|個人的な発信です

マガジン

  • どう生きるか(人生学・死生学)

    「人生学」「死生学」について書いた記事をまとめます。

  • 書く習慣(ジャーナリング|書く瞑想|書思)

    「ジャーナリング」「書く瞑想」「書思」について書いた記事をまとめています。

  • 生きづらさ(HSP|発達障害)

    目に見えない「生きづらさ」に関する記事をまとめます。

  • 言葉(名言|格言)

    名言・格言について書いた記事をまとめます。

最近の記事

  • 固定された記事

「生きにくい」と思っていたらHSPだった。その①〜HSPとは〜

僕はHSPだ。それに気づき随分と心が楽になった気がする。なので今回HSPに関する記事を書くことにした。 実は以前から「どうも生きにくいなあ」と感じていた。常々色んなことが気になるし、周囲の人はそれを全く気にしていないようだし、「どうして自分はこんなに生きるのが下手なのだろう」と思い悩んでいた。そういう悩みを抱えている人は多いと思う。特に、顔を出さずに済み、自分の思いのままに投稿ができ、好きな記事を読むことができるnoteというプラットフォーム上には。 「HSP」とは?HS

    • 死を意識するとパフォーマンスが向上するという研究やエピソード

      個人的に、人生の早い段階で「死」に考えをめぐらすことは大切なことだと考えている。正確に言えば、そうした”きっかけ”に気づく経験が大事だと思っている。 自ら積極的に考えにいくというよりも、例えば日々のニュースを見て「どうして毎日どこのだれかもわからない人の死亡事故が報道されるのだろう」とか、家族に言われるがまま参列した遠い親戚の葬儀で「どうして普段は関わってなかったのに、死んだときはわざわざ集まってその人について語り合うんだろう」とか、純粋な疑問からでいい。 他にもきっかけ

      • 「自己を経営せよ」

        私が自らの人生に期待する成果は「見えない生きづらさと共生できる社会づくりに貢献すること」である。 と、突然己の志について記したが、その目的は自分語りにあらず。本記事は、サムネとして取り上げているように、「死生学」と「企業経営」から得た知見を「人生学」として発展させていく私の試みを記したものである。自らの試みを一例として開示しながら、人生学(或いはそれらしいもの)の必要性および有用性を説くのが、今回の狙いだ。 話は戻り先ほどの私の志、これは企業経営でいうところの「ミッション

        • Barソロデビューしたらすごい人たちに囲まれた

          昨日、人生で初めて一人でBarに行った。結論、最高だった。 あまりにも最高だったので、その最高さを最高に昂った気持ちのまま最高な文章にして最高な記事として残してしまおうという最高な思惑である。最高な自己満足だ。

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        「生きにくい」と思っていたらHSPだった。その①〜HSPとは〜

        マガジン

        • 生きづらさ(HSP|発達障害)
          12本
        • 書く習慣(ジャーナリング|書く瞑想|書思)
          7本
        • どう生きるか(人生学・死生学)
          11本
        • 言葉(名言|格言)
          4本

        記事

          人生学をつくりたいと考えて4年が経過したので一旦振り返る

          2020年の1月、私は、生きづらさを乗り越える術を身につけるための学問「人生学」をつくりたいという記事を書いた。あれから4年間、自分なりに色々行動した。全然まだまだ道半ばであり大きな成果はないが、一度振り返ってみようと思った次第。 この記事は、VUCA時代(物事の不確実性が高く、将来の予想が困難な時代)に個人が力強く生きていく術を養う学問の必要性を説いたものだ。そしてそれは、現代の企業経営(特に企業倫理やIRの観点)から波及して生み出せそうだという個人的な意見だ。 記事を

          人生学をつくりたいと考えて4年が経過したので一旦振り返る

          「生きること」へのスタンスが人生を左右する

          人生において、私たちはさまざまな選択を迫られます。その中でも最も基本的で重要な選択のひとつが、「生きること」に対する姿勢や意識です。私たちの生き方や生きる目的、価値観は、人生の方向性や幸福度に大きな影響を与えます。本稿では、「生きること」へのスタンス(積極性、意欲)が人生をどのように左右するかについて、会社経営と結びつけながら考察していきます。 生きることへのスタンスと人生の質 「生きること」に対するスタンスは、私たちの行動や態度に大きな影響を与えます。例えばポジティブな

          「生きること」へのスタンスが人生を左右する

          謙虚であるための魔法のひとこと

          「謙虚でありたい」と「堂々と意見を述べたい」が噛み合わない 自分で自分が偉そうだと思うことがある。あたかも色んなことを分かっているような顔で話してしまうときだ。 たしかに将来立派な大人になるべく、あらゆることに興味関心をもち、積極的に学んでいるものの、所詮は20代。社会的には未熟者である。 自分が偉そうだと感じるたびに反省をする一方、仕方ないとして自己を肯定したがる自分もいる。 もしかしたら、「上手な反省」をできていないのかもしれない。 それとも実際自分にはソコソコ語れ

          謙虚であるための魔法のひとこと

          若いうちにぶつかって良かった壁

          読書で得た知見大学生のとき、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んだ。その中に今でも心に残っている話がある。 実力不足の自分に気づく この話に感銘を受けた私は、さっそく行動指針として自身の生活に取り入れることにした。すると一気に無口になることに気がつく。「買い物をしたお店の接客態度が悪かった」「アルバイト先の誰某の働きぶりが気に入らない」「政治家や著名人の言行不一致が気に障る」などの思いが頭をよぎると、「果たして自分はそれらを批判するに足る人間だろうか」と自問自答する。たどり

          若いうちにぶつかって良かった壁

          自分で自分を評価してもあまりいいことないんじゃないか。特にHSPとか発達障害とか

          昨年末にインスタグラムをアンインストールした。時間の浪費を減らすことで必然的に自己研鑽のウエイトを増やす狙いだが、これまで何度もアカウントを削除したり作ったりを繰り返しているので、気が向いたらまた浮上するのだと思う。完全にしないとか、絶対に継続するとか、0か100かのルールは自分に課さない。自分一人で完結する習慣ならいいかもしれないが、SNS等外部との接点に関しては極端な行動を取らないようにしている。なるべく自分の生活に不必要と思われる情報からは離れながらも、連絡が取れないな

          自分で自分を評価してもあまりいいことないんじゃないか。特にHSPとか発達障害とか

          変化する社会を変わらぬスタンスで生きる

          今日こんな動画(前編・後編あり)を見た。 私は以前からVTuberの活動に興味を持ち日常的にウォッチしているが、その理由は単なるコンテンツの面白さによるものだけではない。応援ビジネスいわゆる"推し活"×デジタルという現代ならではの事業形態の先進性に大きな可能性を感じている。最近は人類総クリエイター時代とも言われ、一人ひとりが創造力の源泉として再定義されているなかで、いったい自分に何ができるのか。どのような人生戦略を描くべきかということを考えている。特に私は20代でZ世代とい

          変化する社会を変わらぬスタンスで生きる

          2024年の抱負「万象感謝」

          皆さま、明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。身の回りの環境に変化があり、なかなか時間を確保できず停滞していた記事投稿を徐々に再開できた一年でした。今年も読者の方々に楽しんでいただけるような記事投稿をすべく、私自身もあらゆることに興味関心を持って、言葉だけでなく実際に色んなことに挑戦し、五感を使って成長していきたいと思っています。20代後半でまだまだ未熟な私ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 さて、年が明けたということで今回は所信表明を

          2024年の抱負「万象感謝」

          日曜の憂鬱と完全にお別れする方法

          日曜日の夜は気分が落ち込んで仕方がない(以降、「ニチ鬱」と表記)という話は、学生・社会人問わず多くの人が口にすることである。言うまでもなく、月曜から始まる授業や仕事がいやだという意味である。 もれなく私の周囲からもそんな声が聞こえてくるので、今回はその現象について私なりに分析したうえで解決策の提示を試みたい。 ちなみに私は心理学の専門家ではない。ゆえに、この記事に科学的信憑性や学術的価値はほぼない。一つ言えるとするならば、私には94冊の大学ノートがあることぐらいだ。これは

          日曜の憂鬱と完全にお別れする方法

          資本主義への漠然とした嫌悪感と資本市場と密接する仕事への情熱。自己におけるこのアンビバレンスをどうしたものか。まさに葛藤であり自由の証だが、こういうときは時間をかけてでもアウフヘーベンを試みるようにしている。2択の状態から3つ目の選択肢を生み出すのが、問題解決の突破口となる。

          資本主義への漠然とした嫌悪感と資本市場と密接する仕事への情熱。自己におけるこのアンビバレンスをどうしたものか。まさに葛藤であり自由の証だが、こういうときは時間をかけてでもアウフヘーベンを試みるようにしている。2択の状態から3つ目の選択肢を生み出すのが、問題解決の突破口となる。

          人は他人から貼られたレッテルに従う傾向があるらしい。だから私は、どれだけ意地悪な人がいても「この人は良い人だ」とレッテルを貼って接するようにしている。そうすると相手は警戒心を解いてくれる。ただ、どうしても無理そうな場合はタイミングを見計らって黙って離れるのが賢い選択。

          人は他人から貼られたレッテルに従う傾向があるらしい。だから私は、どれだけ意地悪な人がいても「この人は良い人だ」とレッテルを貼って接するようにしている。そうすると相手は警戒心を解いてくれる。ただ、どうしても無理そうな場合はタイミングを見計らって黙って離れるのが賢い選択。

          人の愚痴は二種類に分類できるかもしれない。一つは個人的な損得勘定によるもので、自身のマイナスに関すること(時間、お金、身体・精神的に傷つけられた)。もう一つは利他主義によるもので、他者のプラスに関すること(△△という理由で〇〇してあげられない、もしくはしてあげられなかった)。

          人の愚痴は二種類に分類できるかもしれない。一つは個人的な損得勘定によるもので、自身のマイナスに関すること(時間、お金、身体・精神的に傷つけられた)。もう一つは利他主義によるもので、他者のプラスに関すること(△△という理由で〇〇してあげられない、もしくはしてあげられなかった)。

          人は葛藤のなかで生きている。それは、自由だから。自分にはあらゆる選択肢があることを自覚しているからこそ、葛藤が生まれる。葛藤とは、自由の証であり、目に見えない贅沢品なのだ。味わわなければもったいない。

          人は葛藤のなかで生きている。それは、自由だから。自分にはあらゆる選択肢があることを自覚しているからこそ、葛藤が生まれる。葛藤とは、自由の証であり、目に見えない贅沢品なのだ。味わわなければもったいない。