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湘南ベルマーレに救われた22歳がアメリカの大学院に進学してスポーツマネジメントを学ぶことになった話🇺🇸✈️

こんにちは。2019年を最後に止まっていたnoteを久々に更新します。

タイトルにあるように、私は2022年の1月よりアメリカのカルフォルニア州サンフランシスコにあるUniversity of San FranciscoのM.A. in Sport Management(大学院修士課程/スポーツマネジメント)に進学することになりました。そして事前の準備も兼ねて、約2週間後に渡米します。

そこで今回のnoteでは、それを目指すことに至った経緯に触れていきたいと思います。

初めましての方もいるかもしれないので、軽く自己紹介をさせていただきます。

・児玉 昇太 (こだま しょうた)
・東京都生まれ、神奈川県二宮町育ちの22歳(21卒の代)
・Jリーグの湘南ベルマーレのサポーター
・現在は某Bリーグクラブにて動画SNSなどを担当
・中1までサッカー少年、中2から高校卒業までテニス部
・現在はどちらも趣味として楽しむ
・桐蔭学園高校→順天堂大学スポーツ健康科学部出身
・Marvel Cinematic Universeが大好き

見て分かるように、私はどこにでもいるスポーツが好きな22です。
競技者としてはむしろ全然ダメで、幼稚園から始めたサッカーは中1の冬に少し挫折したくらいで簡単に諦め、中高の残りのすべてを捧げたテニスは高3の最後の大会(ダブルス)でやっと県のベスト32にたどりついたくらいでした。ただ予選を勝ち抜いて本戦出場(県ベスト64)を決めたときはコートで恥ずかしいくらい泣き崩れました笑。平凡だった自分にとっては一生忘れられない輝かしい思い出です。


そんな私をずっと鼓舞し続けてくれた存在があります。それこそがJリーグクラブの湘南ベルマーレです。物心がついた頃からたびたび訪れていた平塚のスタジアムに、私はあるシーズンから毎試合足を運ぶようになります。

それが私がサッカーを辞めて1年くらい経った2013シーズンでした。このときの自分はとにかく大好きだったサッカーを簡単に諦めてしまった自分が嫌いで、これ以上自分を嫌いにならないように、後悔しないようにテニスに打ち込んでいました。また一方でサッカーに恋しさを感じていました。そんな自分を見かねた母親がシーズンチケットを買ってくれたことをきっかけに、自分はサッカーへの愛を応援することで消費するようになります。

ただ、湘南は全然勝てないんですよ 
(結局2013年は6勝しかできず1年で2部に降格)

でも、いくら勝てなくても、主力を引き抜かれても、何度J2に降格しても、湘南は何度でも立ち上がるんですよ。

その姿に鼓舞され、選手たちに自己投影をし、日々を乗り越えていました。母親がシーズンチケットを買ってくれなかったら自分は今どうなっていたんだろうと切実に思います。言葉通り湘南ベルマーレに救われました。

特に永木亮太選手(現鹿島)の溢れ出る闘志、キャプテンシーには本当に勇気をもらっていました。辛いことがあっても永木選手がピッチで闘う姿を見て『俺も頑張らなきゃ』と何度も思わされました。初めてユニホームを買った今でも大好きな選手です。

こんな風に人を勇気づけることができるJリーグって素晴らしいな、スポーツって素晴らしいな、スポーツに関する仕事に就いてもっと多くの人にこの魅力を知ってもらいたいなという思いから、私はスポーツ健康科学部がある順天堂大学に進学しました。

大学進学当初は、『自分を鼓舞してくれたアスリートを支えたい』という思いの方が強く、スポーツ科学科でトレーニングやスポーツ医科学などの領域を学んでいました。

しかし、大学2年生の夏休みに転機が訪れます。某プロ野球球団の1Dayインターンにて、スタジアムにいるお客さんにアンケートを取りながら色々話をしているうちに、『俺が価値を届けたい相手はこの人たちだ』とふと気が付いたんですね。その翌日には某Jリーグクラブのインターンにも参加したのですが、ここでもお客さんと話していて『この人たちに週末の楽しみを、日々を頑張るモチベーションを提供し続けたいな、もっと多くの人にスポーツ観戦を通じて元気になってもらいたいな』と思わされました。

大2の夏休みが終わり、自分は専攻をスポーツ科学からスポーツマネジメントに変更しました。変更したと言っても学科はスポーツ科学科のままなので、スポーツ科学科の必修を受けながらマネジメント系の科目を追加で履修したり、本を呼んだり、東京にセミナー(MARSCAMP)を受けに行ったり、インターンで実務から学んだりといろんな手段を通じて学んでいました。

自分は案外こういう180度の方向転換をしちゃうタイプの人間です。サッカーを辞めた翌月にはテニスを始めていたり、高3の1学期が終わったタイミングで理系コースから文系コースに移転したり、大2で専攻を変えたりと…

でも自分が納得していない目標に対して全力で頑張るのって難しいじゃないですか。後からタラレバを言うのもダサいし。大事なのは自分の選択に責任を持って、それを正解にするべく頑張ることなのかなと思っています。

そんな大学2年生の頃、私は少しずつアメリカの大学院を意識し始めるようになります。
きっかけは今でも大変お世話になっている大学の教授や、大学の講義のゲストスピーカーの方々の話だったのですが、当時はそんな選択肢があるんだ、行けたらカッコいいなという程度でした。
それを本気で目指すことに至ったのには2つの大きな要因がありました。

それが
Bリーグとの出会い
10日間のアメリカ研修
でした。

まずBリーグについて、私は大学2年の10月に某Bリーグクラブのインターンを通じて初めてBリーグの会場に行きました。バスケの試合自体を観たのもこの時が初めてでした。そしてそこには自分のスポーツ観戦の定義を覆すものがありました。光と炎の演出、プロジェクションマッピング、チアリーダー、音楽、試合中のイベントの数々、立ち見席まで完売という満員の会場は5000人のキャパとは思えないほどの熱気に包まれていました。
『バスケってすごいエンタメ性の高い競技なんだな』とBリーグに大きなポテンシャルを感じたのを覚えています。

そして、Bリーグのシーズンも終盤に差し掛かった大学2年の3月に私は大学を通じてアメリカを訪れ、10日間で様々な競技、様々なレベルのスポーツを観てきました。基本的に全てに対して度肝を抜かれていたのですが、中でも最も印象的だったのがNBAでした。

そこでシンプルに思ったことが
『あれ(市民体育館のBリーグ)がこうなるポテンシャルがあるのか』
『そんなこと起きたら最高じゃん、それに関わりたい』
でした。

帰国後もアメリカで見た光景が忘れられず、どうしてもまたアメリカに行ってスポーツマネジメントを勉強したい、アメリカのスポーツ観戦文化を深く知りたいという思いが芽生え、本気でアメリカの大学院に進学することを決めました。

そして、この目標がビックリするほど自分の中でしっくり来たんです。色々と方向転換を繰り返しながら悩んできた自分でしたが、『これは絶対に頑張れる』という妙な自信が湧きました。不思議と人にも宣言できました。会う人会う人に宣言することで意地にもなれました。コロナ渦に見舞われても揺るがなかったんだからよっぽど行きたかったんだなと自分でも思います。

世の中に色んな人がいる以上、批判的な意見はつきものです。目指している過程でも批判的な声はありましたし、そういう声に揺らぐこともありましたが、結局は自分の人生なので、自分の感性を信じて自分がワクワクすること自分が頑張りたいことをやり通せば良いと思います。

そして、絶対に応援してくれる人はいます
『何言ってんだこいつ』みたいな顔をする人もいますが、人数は多くなくても笑わずに真剣に話を聞いてくれる人はいます。そして、そういう人は必ずしも今いるコミュニティにいるとは限らないので色々な人、色々なコミュニティに足を運んでみることが大事だと思います。自分はスポーツビジネス系のコミュニティに加えて、LanCulという英会話カフェのコミュニティに本当に助けられていました。

自分は今後も英語力ゼロだった自分の話を真剣に聞いてくれた方々、過程で応援、サポートしてくれた方々、自分が思っていた以上のリアクションで自分の報告を喜んでくれた方々をこれからも大切にしていきたいと思います。

長くなってしまいましたがこれが私がアメリカの大学院を目指すに至った経緯です。ここからの教訓は『自分でしっくり来る目標の大切さ』と、『それを見つけるのは簡単じゃない』ということ、そして『応援してくれる人はどこかに必ずいて、その人たちは自分の足で探しに行くべき』ということです。

自分は少なくとも人の夢を笑ったりはしないので、何か悩んでいることがあったら気軽にお声がけください。

いざ決心してからの話はまた次のnoteで書けたらと思います。

最後まで読んで頂いた方がいましたら本当に嬉しい限りです。
また感想などがありましたらぜひどんな形でも大丈夫なのでいただけますと嬉しいです。

今回は皆様の貴重なお時間を割いて読んでいただきありがとうございました!

児玉 昇太

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