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日本は私立大学が多いため貧しい人が大学に行けない、という大ウソ

先日、日本は私立大学が多いために貧しい人たちが大学に行けないのだという記事を見かけました。

記事の中身を見てみましたが、明らかに間違い、誤り、勘違い、あるいは意図的な誘導が目につくため、記事を読んでの私の個人的な考えや感想をまとめておきます。

日本は私立大学が多いという真実

まずは記事の中における正しい部分を確認していきます。

記事の主題である私立大学の数に関していえば、これは間違いなく諸外国と比較して日本国内における数は多いようです。

●大学や大学院、短期大学等の高等教育では、「日本」74.9%、「アメリカ」26.3%、「ドイツ」8.6%、「韓国」80.1%となっている。イギリスの割合表示がなかったのだが、オックスフォードやケンブリッジ等の有名校を含め、殆どが国公立大学と定義されているが、どうも特殊な制度の様だ。

記事中にもありますが、日本では全体の3/4が私立大学であり、その点においては諸外国を圧倒しています。

しかし、これ自体は決して批判されるべきものではありません。

大学という教育産業に関して、自由が約束されているということの裏返しでもあるからです。

むしろ新規参入に対して寛容過ぎたため、特定の宗教団体の進出を防げずに世論の批判を受けたぐらいなのです。

アメリカとの授業料の比較

こうしてみると、確かに元記事の筆者が書いているように、日本は私立大学が多すぎ、という主張は的を射ている側面はあります。

では各家庭が背負う実質的な負担金額はどうでしょうか。

アメリカとを比較していきます。

アメリカでは州立大学の場合、一般的に年間で9000$が授業料として必要になります。州外出身者の場合は約三倍程度となります。

私立大学の場合、36000$と言われており、公私の格差は四倍となっています。

1$120円で換算しても年間100万円以上、私立大学の場合400万円以上となれば、一般家庭の生徒は公的補助無しには大学へ行くことはほとんどできないということになります。

一方で日本の場合、国立大学は年間60万円、私立文系の場合100万円、理系でも120万円程度と言われています。

公私格差は2倍弱、しかも決して非現実的な金額ではありません。

日本の私立大学の場合、その運営や研究に対してかなりの国庫補助が行われており、実質的には国立と言ってもおかしくない金額が投入されています。

このことに関する是非はもちろん存在しますが、アメリカにおける公立大学の役割のある程度を日本では私立大学がまかなっているとも考えられるのです。

欧州との比較

欧州の場合は、大学自体が無料である場合があり、その点では日本では私的負担が多いという言い方は間違いではないでしょう。

しかし、北欧を中心に高福祉国家の場合は税率が高く、また財産に関する個人の自由の裁量が大きく制限されているため、個人的には比較すること自体が無意味であるように感じます。

また大学進学に関しても、10代前半で決めた進学ルートに乗らないと大学へ進学するのが難しいなど、エリートと非エリートを極端に差別化した制度であるために維持が可能となっている側面もあります。

もちろん、日本における奨学金制度の充実や、貸与ではなく給付を充実すべきであるという意見には賛成します。

とはいえ、大学の社会的意義や存在価値自体が北欧諸国とでは認識が異なりすぎるため議論が成立せず、日本にそうしたモデルを持ち込むこと自体が国家観の差異を無視した乱暴な議論にしかなり得ないのではないかと思います。

高等教育を広く遍く行う時代

個人的には、AIやICT機器の発達により人間の関わる必要のある分野は減少し、間違いなく人間のやることが減少する未来が訪れるのではないかと考えています。

そんな時代において人間のやることは学問ぐらいしかありません。これは古代ギリシャに学ぶまでもなく、暇な人間の行き着く先であり、人類の業のようなものでしょう。

そうであれば、高等教育をより広く、社会全体に遍く普及させることは決して誤った施策ではないと思います。

私立大学を減らす方向の議論ではなく、奨学金や大学の学びの充実に話が向くことを期待したいところです。

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