見出し画像

サッカー部落雷事故の再発予防は基準の設定ではなく、文科省が責任を持つという後ろ盾になる覚悟


宮崎県における落雷事故

先日、宮崎県の鵬翔高校において同高校と熊本県の高校生がサッカーの練習試合中に落雷によって病院には運ばれるという事故がありました。

事故当日の天候や状況に関しては記事内に以下のようにあります。

 宮崎地方気象台は2日夕、宮崎県内全域に3日明け方以降を対象とした雷注意報を発表。3日早朝には、局地的に積乱雲が発達して落雷などの恐れがあると発表し、落雷事故があった同日午後も注意報は継続されていた。現場近くにいた関係者は取材に対し、事故当時の天候について「雨が降っており、急に光って『ドン』と大きな音が鳴った」と話した。

どうやら雷注意報自体は午前、午後と継続して出されていたようです。

それに対して事故があった鵬翔高校の教頭は以下のように述べています。

鵬翔高の富山晃一教頭は、詳細は確認中とした上で、「学校には落雷の対応を定めたマニュアルがあるが、今回は雷の予兆はなく、退避を考えられる状況ではなかった」と述べた。

雷の予兆に関しては難しく、確かに突然の雷雨などと言う状況は決してないわけではありません。しかし、今回の件に関しては注意報が長時間出されていた状況でもあり、結局のところ事故の危険性を考慮して中止をすることで受ける批判から避けるために判断を先延ばしにしてしまった、という非難を免れることはできないでしょう。

文科省の取り繕い

この件に関して、文科省はさっそく責任逃れの取り繕いを見せています。

自分たちは中止をきちんと呼びかけていますよ、今後の同様の事故があった際には文科省の責任ではなく、この呼びかけに従わなかった現場の教員や指導者の責任ですよ、ということです。

もちろん事実として、今回の落雷事故の責任が現場の指導者や管理職にあることは全くもって否定できない、厳然たる事実です。落雷の危険性が予知された状況において継続する判断を下したという責任は確実に存在するでしょう。

しかしどうして彼らは継続という判断を下したのでしょうか。雷注意報が出ていたのに、です。

中止をできない理由と基準の設定

様々な可能性が考えられますが、最も大きいのは各所からの批判です。今回の場合、熊本県の北部から宮崎県まで遠征で練習試合に来ており、遠征費用なども掛かっているはずです。

この状況で安易に中止を行えば保護者などから批判を受けることは間違いありません。それ以外にもサッカー関係者、指導者などを外部から呼んでいればそこからの批判もあるかもしれません。

要は「危険性がある」というだけで中止を行えば、批判を受けてしまうために中止ができないということになるのです。

これに対し中止の基準を問題にする人がいます。

猛暑などの熱中症対策にしても基準が必要だ、ということのようです。

まず当然ながらこうした基準を作ったとしても、実際にその時点の状況がきっちり当てはまることばかりではないため、あくまでも基準に過ぎず、基準以下であっても事故は発生するでしょう。

勿論基準は必要ですが、結局のところ現場での柔軟な対応が最も重要なのです。

文科省が後ろ盾になる覚悟

結局のところ中止を決断したくともできないのは、基準の有無でもなければ危険性を予知できなかったわけでもなく、何もなかったときに中止という判断で批判を受けるのを避けたい心理が原因なのです。

したがって、こうした事故を最も効率よく防ぐ方策があるとすれば、「ためらわず」に中止をという安易、安直な呼びかけではなく、中止をした場合はいかなる批判を受けても文科省が後ろ盾になり、批判の弾除けとして学校、職員をかばうという姿勢なのです。

現状ではこうした姿勢が全く見られず、にも関わらず口先だけで号令をかける無責任な姿勢が多くの現場教員の反感を買っているのでしょう。

こうした問題は今回の落雷事故だけでなく、いじめ問題など様々な学校現場における問題の根幹に存在します。

不適切、不適格な教員が現場にはそれなりに存在します。しかしほとんどの教員はそれぞれの現場で生徒のことに真剣に向き合い、解決をしようとしています。

ところが、そうした現場の判断に対して、管理職が、教育委員会が、文科省がしっかりと後ろ盾になる覚悟が無いことで現場教員の心を折り、事なかれ主義が横行する原因になっているのではないか、と思うのです。

せめて文科大臣がしっかりとした政治判断や姿勢を見せてくれることを願いたいところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?