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数学教育界における「教科書原理主義」と「反教科書原理主義」の対立と「教科書回帰主義」の勃興

数学教員界隈においては、「教科書原理主義」が幅を効かせています。
一方で、塾・予備校業界においては「反教科書原理主義」者を見かけることは決して珍しくありません。

この対立は日本の近現代中等数学教育史を語る上で避けて通れない問題です。今日はこの対立構造の概観と私見を述べたいと思います。

「教科書原理主義」

「教科書原理主義」とは検定教科書を読むこと、解くこと、証明をなぞることこそが数学教育の真髄であると信じて疑わない宗派です。

共通テストも東京大学の入試問題も全て教科書から出題されている、だからまずは教科書を読み込むべきだし、問題集は教科書傍用のものを利用すべき、という主張を掲げています。

この宗派は主に公立学校教員を中心に広がっているようです。

彼らの主張には説得力があります。確かに、共通テストの範囲は教科書を逸脱した内容や定理は出てきません。

しかし、昨今の難化する共通テストを見る限りでは教科書のみを灯火とするにはいささか心許ないとも感じます。

また、東大、京大などの難関大学の入試問題を教科書だけで解けるというのは現実的には難しいのではないでしょうか。

教科書のみの知識と論理的思考力や発想力だけで完答できる問題とは到底思えません。(出来る人もいるとは思いますが、特殊な例でしょう)

「反教科書原理主義」

これと対立するのが「反教科書原理主義」です。

「反教科書原理主義」はチャート式派やFOCUS GOLD派などが存在し、主に網羅系参考書を信奉する宗派です。
(分派として問題精講派や総合的研究派、マセマ派などが存在します)

↑これが最大派閥、チャート式派の聖典、通称青チャートです。
(正式名称は「チャート式基礎からの数学〇」)

主張としては、受験数学の問題は参考書の問題の組み合わせから出来ているのだから、教科書はさらっと流して(あるいは無視して)すぐに網羅系の参考書で演習をするべきだ、というものです。

この宗派は主に塾業界や予備校業界に強い勢力を持つようです。

彼らの主張にも説得力があります。大学入試問題の大半は類型化された問題に過ぎないため、ある程度解法ストックがあれば対処が出来てしまう側面はあります。

難関大学の問題であっても、出題された全ての問題が独創的というわけではないため、解法暗記で攻略できるとも言えます。

個人的には…

私の個人的な立ち位置は、やや「反教科書原理主義」寄りの立場になると思います。

正直、教科書に大事なことは書いてありますがそれだけでは圧倒的に分量が少なすぎます。

そもそも、検定教科書を最初から自分で読んで学習を進めるのは至難の業です。

なぜならば、検定教科書は教師の説明ありきで書かれた内容だからです。

しかも、演習問題の解説が無い(解答は巻末に記載)状態で演習を行うのは不可能でしょう。

よほど論理的思考力や数学的センスに優れている人でなければ、教科書から難関大学の入試問題に繋げることは可能でしょう。

したがって、一般的な受験生に要求できる思考レベルとは到底思えず、やはり網羅系参考書の演習は必須だと考えます。

「教科書回帰主義」の提案

そこで、私は「教科書回帰主義」を提案します。

まずは、網羅系参考書やマセマ出版の「初めから始める数学」などで問題演習を進め、単元が終了した後に教科書を通して読んでいく、という学習方法です。

教科書に書いている定理の証明や問、例題は非常に有益です。

ただ、初学者がそこに気づくのは難しいのが実状です。

そこで、一旦問題を解けるように演習した後、自分のやっていることの意味を再確認するという学習スタイルを組み上げるのは効率的なのではないでしょうか。

あらゆる学習において効果が見られる

そして、これは資格取得など大人の学習にも効果が見られると考えられます。

実際、社会人で学習に励むには効率性が求められます。

業務上の要請により資格取得はもちろんのこと、自身のスキルアップの学習に関しても、日中の仕事に加えて行う学習では効率的であることが重要です。

そのようなときに、問題演習から定理確認、論理の整理の流れは極めて効率的な学習スタイルでしょう。

ということで、私は次年度から数学Ⅰや数学Bでカリキュラムに入ってくる統計関係の学習を「教科書回帰主義」的手法で取り組むことにします…

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