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勉強時間の見えない蓄積

成績の良い生徒の特長に関するまとめ記事は定期的見かけるものの一つで、おそらく世間の人の興味関心の高い内容なのだと思います。

この記事は「「超」勉強法」で有名な野口悠紀雄氏のものですが、ここでは成績が良い生徒は重要なことに集中する、という旨を述べています。

「重要なこと」はどう判断するか

この主張自体は間違いではないでしょう。しかし、問題は「重要なこと」と「重要でないこと」をどう判断するのでしょうか。

重要性の判断の基準の最も代表的なものは経験です。

勉強を繰り返す過程でのトライアンドエラーの繰りかえしで重要性の判断基準を磨きます。

学習体験を重ねることで、初めて「重要なこと」とそれ以外を分類できるようになるということです。

つまり、経験値が低い段階においては「重要なこと」を選別できず、「重要でないこと」にも時間を使ってしまうということになるわけです。

勉強時間の蓄積が不可欠

結局のところ、「重要なこと」に集中するためにはその前段階で大量の学習時間の投下が不可欠であり、勉強時間の蓄積が前提条件になっているということになります。

この点においていわゆる「エリート」と呼ばれる人たちが勘違いしやすい傾向が顕著に見られます。

それは彼らが勉強時間の蓄積に関してあまりにも無自覚である、ということです。

都会の文教地区や富裕層に生まれた人たちは勉強時間の蓄積が無意識になされています。

小さいころから塾に通うといった可視化された時間だけでなく、生活の内部に入り込んだ見えない学習時間が膨大に存在します。

例えばそれは読書であったり、親子の会話の中に含まれる語彙の習得など様々です。

玩具一つとっても知育性の高いものを一緒に利用する家庭と、子供の目を引きやすいものを与えっぱなしにするのでは全く異なる経験となります。

そうした勉強時間の蓄積が存在する前提で考えれば、確かに成績の良い生徒は「重要なこと」に時間を使っていると言えます。

しかし、多くの一般庶民の家庭においてはその前提となる時間が確保できていないのです。

蓄積が学習の持久力に繋がる

上位大学に進学する生徒たちの多くは休日に8時間勉強する、といったスケジュールを平気でこなします。

一方で学力の低い層は3時間でさえ難しいことがあります。

これは彼らの理解力や生まれ持っての忍耐力も関係していますが、もっとも大きい要因は勉強の持久力が育っていないことです。

小さいころから勉強時間の蓄積がある子供にとって、2、3時間の学習は負担にすらなりませんが、習慣の無い子供は30分でさえ集中力が持ちません。

これは小さいころからの日々の習慣づけが無ければそうそう身につくことでありません。

小さいころからの学習習慣を確立がすべての基礎になる

結局のところ、以下のような論理構成となります。

  1. 「重要なこと」に集中する

  2. 「重要なこと」を判別できる

  3. 判別するだけの勉強の蓄積が必要

  4. 蓄積するためには長時間の学習持久力が必要

  5. 持久力を高めるには 小さいころからの勉強の習慣づけが必要

今回の元記事でもそうですが、教育に関する内容にエリートからの分析には当然正しさも多いのですが、論理構成上の見落としが多いことも事実です。

それは彼らが当然と考えている環境があまりにも例外的な存在だからです。

近年の教育政策の失敗(不成功)もそうした文科省官僚というエリート達の見落としがあるのかもしれません。

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