見出し画像

コロナ感染発覚で修学旅行引き返しへの批判に関する雑感

Twitterで子供や知人が修学旅行を引き返すことになった、という件に関して話題になっていました。

これ以外にも複数の同様のツイートが見られました。同じ学校なのか、あるいは別件で時期が同じなのかは不明ですが、こうした事案は全国で発生しているようです。

現実的な対応

数名のコロナ感染で一生に一度の修学旅行を中止するのは、子供たちが可哀想だ、という意見を書いている人も多いようです。

そうした批判に関して、当該事案に関わっていない同業者として実質的に旅行継続が不可能であることを述べていこうと思います。

こうした感染症の発生が起こった場合、基本的には保護者が現地に迎えに来ることが原則となります。

感染症発生が判明すると、直ちに保護者へ連絡をとります。しかし、遠方の場合はすぐに迎えに来ることができないことが多いでしょう。

その日の朝に判明したとして、大半の場合は早くとも当日の夕方がよいところでしょう。

そうすると、その間はホテルの予備部屋に隔離をし、また引率職員の一人は対応と付添い、保護者引き渡しのために残ることになります。

複数人発生した場合、職員も複数残る必要があります。また、男女でそれぞれ感染者が出た場合は職員も男女で対応する必要があります。
(トイレなどで倒れている場合もあるため)

インフルエンザで2、3名の場合はまだしも、コロナの場合は集団での感染リスクが高いため、10人単位で感染者が出る可能性もあるでしょう。

生徒数を100人程度としても、最低でも担任3人と副担任やその他を入れても5人〜6人です。

仮に、毎日宿泊場所を変える場合、その場所ごとに対応職員をおいていくことになり、どう考えても本隊の引率者の手が足りなくなるでしょう。

インフルエンザなどの従来型の感染症でも5名以下が限界でしょう。ましてコロナの場合、1名までなら様子見対応もできそうですが、複数発生すれば速やかに中止という判断は適切だと言えるでしょう。

「修学旅行は一生に一度の思い出」という妄想

修学旅行に関して、こうした引き返しやもともとから中止という事に対し極端に批判を受けることがあります。

この原因は、多くの人達が「修学旅行は一生に一度の思い出」という幻想、むしろ妄想に取り憑かれているからではないでしょうか。

こうした修学旅行に対する妄想は世間一般に広がっているようですが、本当にそれほど世の中の人達は修学旅行が一生に一度の一大イベントなのでしょうか。

個人的には修学旅行のことを大人になって思い出して、感動したり、辛いことがあったときの支えになった記憶は全くありません。

そもそも、ただ住んでいる地域が近い、学力が似ているというだけで同じ学校に通っている集団でしかない人達と旅行することは、人生の中で大きなイベントなわけがないのです。

それほど大事な友人ならば、修学旅行ではなく、個人で行くべきです。実際、そういったことをしている人は多いようで、卒業後も続いている関係の友人と旅行している様子を卒業生のSNSで見かけることは少なくありません。

学校での生活に不満があり過ぎた老人たちが、少ない思い出を美化する道具としているだけなのではないでしょうか。

修学旅行はそれほど高い価値をもつか

もちろん、修学旅行は自分自身では行かないような場所に行ったりするケースも有り、知見を広げる効果などその教育的意義をすべて否定するものではありません。

しかし、この行事自体が個人で旅行に行くことができなかった貧しい時代の遺物であり、現代においては本来の目的や機能は失われています。

明らかに、かつてと比べて修学旅行はその価値を下げています。

その点から考えても、こうした修学旅行といった画一的な行事を見直す時期に来ているのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?