見出し画像

小論文は「学ぶ力」の差を如実に表す

日本ではペーパーテストでの学力信仰が強く、総合型選抜や推薦選抜の入試に関して否定的な声が根強いように思います。

実際、こうしたペーパーテストの無い形式が一部の私立大学の定員確保のためだけに利用されていた、ということは事実です。

しかし、そうした批判を受けて文科省からは面接だけではなく、学力試験を2020年度から義務化しています。

ここでは、小論文の入試は学力試験の一部と見なされていますが、一部の人からは「小論文では学力を測ることはできない」と批判を受けています。

文章を書けない高校生

私の勤務校では小論文対策の授業を行っており、高校1、2年生には読解から文章の書き方、論理展開までを解説し、実際に文章を書く訓練を行っています。

しかし、それでもまともな文章、高校生に期待されるであろうレベルの文章を書ける生徒は圧倒的に少数なのが現実です。

特に最近増えているのが、主観的な文章しか書けないケースです。

小論文は経済や福祉、医療など社会的な問題に関して述べる文章を書くことがほとんどです。

そうした文章を書くためには、社会の状況などを客観的に表現し、その問題点に関しても一般化、普遍化する必要があります。

しかし、文章を書けない生徒の多くは、小学生の夏休みの作文のような個人の体験や考えだけを並べているだけの文章を書いています。

そして、こうした小論文から読み取れる文章力は、文系の生徒の場合模擬試験の成績と極めて相関性が高い傾向にあります。

小論文の力は大学の学びと関連性が高い

文系の大学ではレポートによる評価が多いのが特徴です。

もちろん、語学やそれ以外の講義でも試験形式のものはあるようですが、文章を書いてまとめたり、本を読んで内容を理解するというプロセスを経ることが多いように思います。

そうした点からいえば、小論文を課している入試形式は極めて合理的と言えます。

小論文入試で合格点をとれるようならば、大学に入ってからの学びが十分に可能であるという指標になるからです。

そういった意味では英語の外部試験と小論文、面接を組み合わせた試験は、ペーパー型の試験、特に社会や古典を含むものよりも入学後の適性を見る上では合理性のある試験と言えるのではないでしょうか。

理系の場合は状況が異なる

一方で理系の大学の場合、どうしても理科、数学などの専門教科の学力を測るためのペーパー試験が必要だという印象があります。

大学で行われる講義の大半が、最低限の数学や物理などの知識や計算スキルを前提としているためです。

近年、私立大学では「リメディアル授業」という中学、高校の復習を開講しており、そこでのやり直しは可能とはいえ、数式の理解ができない学習は難しいでしょう。

学問分類として理系、文系と分けることは実際にはナンセンスです。

しかし、数学、物理や工学系統など自然科学の場合、高校までの計算をある程度できないと理解がままならないため、最低限のスクリーニングは必要でしょう。

受験指導の現場からの実感

基本的に学力が不足している生徒は、小論文をほとんど書けません。

言語能力だけでなく、テーマに沿った知識も乏しく、指定字数の半分程度でギブアップする場合もあります。

また、逆に小論文がある程度書けるが、ペーパーテストは今一つという生徒もいます。

ところが、そうした生徒は論理構成もしっかりしているし、大学へ進学しても困らないだけの素養を身に着けていることが多いのです。
(ここでは高々マーチクラスまでを想定していて超難関大学などは入っていません)

そして追跡調査をすると、彼らの多くはきちんと卒業して就職できています。彼らのように能力にむらのある生徒を大学進学へ繋げるためにも、総合型選抜や推薦型選抜は決して悪い制度ではありません。

高校卒業時点での記憶力や知識、応用力を人間の「学ぶ力」と日本ではとらえがちです。

たしかに、小論文は現時点でのそうした力を測ることは難しいでしょう。しかし、本当の「学ぶ力」は自分の言葉で思考し、表現する力、学ぼうとする意欲、そういったものを含んでいるはずです。

その定義に沿うならば、大学に入ってからの「学ぶ力」を測る意味で小論文は非常に優れた試験と言えるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?