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往復書簡 第8便「既知ベース・未知ベース/仲良くすること・親しくすること」(往信:タムラ)

このnoteでは、神戸女学院大学 内田ゼミ卒業生・タムラが、恩師・内田樹先生へ人生相談する様子を公開しております。
内田先生の学術的武道的な専門領域から遠く離れた、ごくごく普通の、市井のタムラへ、“教師としての仕事の1つ”と内田先生が位置付けていらっしゃる“卒後教育”をリアルタイムで更新中。
「ウチダせんせい、あの…」とやってくるタムラに、冬は「そこ寒いから、このおこたにでもに入って入って。」と、夏は「暑かったでしょ。とりあえず、麦茶でも。」と、内田先生がおっしゃる姿が目に浮かぶ、世界で(たぶん)いちばんほっこりする、往復書簡版『人生相談室』。
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・相談する人:タムラショウコ(神戸女学院大学 2007年度内田ゼミ卒業生)
・相談に乗る人:内田樹先生(凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授、仏文学者、思想家、武道家)

世界一ほっこりする人生相談室、の図。
(おこたもそろそろ、仕舞い時かな…)



内田先生

おはようございます。タムラです。
毎度毎度、わたしの大変わかりにくいメールにご返信をいただき、ありがとうございます。

今回の質問は「既知ベースと未知ベース/仲良くすること・親しくすること」についてです。
先般の「霊性について」のご返信を拝読しながら、「あ」と思い出したことがありました。

人前に出るときに、緊張をほぐすために「客席にいる人をジャガイモとかにんじんと思ってみる」という表現があると思うのですが、それに似た話を最近聞いたこと思い出したんです。
「人を石と思う」という話を聞いたんです、「ジャガイモとかにんじん」ではなく。
それは、「私は誰にも何も期待していないし、結構もうどうでもいいと思っていて、周りの人のことをその辺の石ころを思うようにしているんです」というような話でした(ちょっとデフォルメしていますが)。
私は、この話を聞いた直後、「あぁ、わたしって人に期待しすぎていたかもしれないなぁ…そうか、石ころと思う、ねぇ…なるほど。」と、勉強をさせてもらったな、という気持ちだったのですが、「石ころと思う」というところに、ほんのちょっと引っかかっていました(飲み下せそうなくらいちょっとだけなのですが)。

そして、内田先生から「霊性について」のご返信をいただいて、「鬼神の類に敬する」というところで、「あ」と思いました。

人のことを、ジャガイモとかにんじんとか石とかに置き換えることは「既知ベース(知った気になっている前提)」で、鬼神の類と思っていると「未知ベース(自分の理解も共感も絶している前提)」なんじゃないかな、と。

なんとなく、ジャガイモとかニンジンとか石として人を見るって、「敬されてない感じ」がするな、と感じたんです。
ジャガイモとかニンジンとか石と名付けていることで、「あなたたちは、そういうもんでしょ」とわかった気になっている感じというか。

でも、鬼神の類って、姿かたちの捉えどころがなくて、理解も共感も絶しているから、「敬す以外に、自分の存在を守る術がない感じ」だな、と思ったんです。
こう考えてみると、「よくわからないまま、コミュニケーションを試みる」って、結構命がけで、そこに「礼」を用いることで、距離感がとれて、自分で自分を守ることができるんですね。

逆に、「知った気で相手と接すること」は、自分で自分を結構厳しい状況に追いやっていることにもなるかも…とも思います。
鬼神の類の前で、「知った気でいる」と、たぶん命を落とすことになりそうなので。

「相手のことを知った気になること」って無自覚にやりがちなこと、多い気がします。
もちろん、関係性によっては「相手のことを知りたい」「親しくなりたい」「仲良くなりたい」という気持ちも生まれますが、「相手のことを知りたい」と思うことと、「相手のことを知った気になること」は、丁寧に選り分けていかないといけないな、と。

また、「未知ベース」で「あなたのことはよく知らないけれど、わたしはあなたに敬します」と人と接していくと、「何でこんなこともわかってくれないんだよ」とか、「どうしてこの人は、年を重ねていてもこんなことも感じないんだろう…」といった、「不愉快な思い」「不機嫌な自分」を生み出さないことにも、一役買ってくれるような気がしています。

内田先生は、小学校6年生以来仲良くされている平川さんのことも「よくわからないから、話をしたり、一緒にいたりする」ということをお話になっていた記憶があるのですが、そういう姿勢だからこそ、仲良くいられるんですよね、きっと(でもこういうことをする人は極めて稀)。

人類史的に「敬する」ということの有用性を教えていただいた流れで、もし内田先生が具体的に「敬する」ことの重要性を感じた具体的な場面があれば、差し支えない範囲で伺いたいです。

また、「親しくすること」と「仲良くすること」も、相手の捉え方が「未知ベース」か「既知ベース」か、という点にかかわってくる気がしています。
内田先生の中で、「親しくすること」「仲良くすること」について、どのようにお考えか、併せてお聞かせいただきたいです。

よろしくお願いいたします。


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