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往復書簡 第5便「社会的信頼について」(往信:タムラ)

このnoteでは、神戸女学院大学 内田ゼミ卒業生・タムラが、
恩師・内田樹先生へ人生相談する様子を公開しております。
内田先生の学術的武道的な専門領域から遠く離れた、
ごくごく普通の、市井のタムラへ、
“教師としての仕事の1つ”と内田先生が位置付けていらっしゃる
“卒後教育”をリアルタイムで更新中。
「ウチダせんせい、あの…」とやってくるタムラに、
冬は「そこ寒いから、このおこたにでもに入って入って。」と、
夏は「暑かったでしょ。とりあえず、麦茶でも。」と、
内田先生がおっしゃる姿が目に浮かぶ、
世界で(たぶん)一番ほっこりする『人生相談室』。
=====
・相談する人:タムラショウコ
 (神戸女学院大学 2007年度内田ゼミ卒業生)
・相談に乗る人:内田樹先生
 (凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授、仏文学者、思想家、武道家)

世界一ほっこりする人生相談室、の図。
(冬バージョン)

内田先生、こんにちは。
往復書簡を通しての卒後教育、ほんとうにありがとうございます。
あまり間を開けずに、わたしの思い付くペースでメールをお送りしており、お忙しい中恐れ入ります。

今回の質問は、「信頼」とくに「社会的信頼」についてです。

例えば、今組織で働いている人が、自分の資質や特性に気がついて、“どうやら組織に属さず、個人で仕事をする働き方のほうが自分に合っているようだ”と思い至ったとします。
そこから、将来を短期的に、あるいは長期的に、自分の視点で検証して、展望を描いて、“こんなふうに暮らしてこんな仕事をして、こんな働き方ができたらいいな”と、イメージが具体的になってきたころ、ふと思うことがありました。

“自分ひとりで仕事をして、果たして社会的な信頼って得られるんだろうか…?”
“やっぱり会社とか組織に属していないと、仕事をしていても、社会から信頼してもらえないかもしれない…”

そんなことが、頭の中をよぎったのです。

わたし自身に置き換えて考えると、組織以外で仕事をした経験がない身としては、似たようなことが頭をよぎり、心臓の裏あたりにうっすら冷ややかな風がすぅー…っと抜けるのを感じつつ、「そもそも、社会的な信頼って何だろう?」と思いました。

今のわたしが持っている「社会的な信頼」として、パッと頭に浮かぶイメージは、「世間に自分の所属を示したときに、ある程度の人が認知している状態」なのですが、それはなんとなく「信頼」とはちょっと違う気もしています。

それに加えて、じぶんの周りの人を思い起こしてみると、個人や数人のチームでお仕事や活動をしている人との関わりの密度が高いし、先に書いた「世間に自分の所属を示したときに、ある程度の人が認知している状態」との齟齬がある。

もう少し言えば、自分の中にある「世間に自分の所属を示したときに、ある程度の人が認知している状態」という「社会的な信頼」のイメージを、自分が信頼していないかもしれません。

そして、自分自身が心身をすこやかに、ごきげんに生きていくために、組織に属しているかや個人なのかどうかに拘わらず、「社会」という人間の集合体や共同体に信頼したいし、猜疑心や疑念の割合を減らしたいとも思っています。

こんなわたしに、これからの社会を生きていくヒントを、教えていただければありがたいです。
よろしくお願いいたします。

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