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インクルーシブ哲学へ⑧:あなたの観点に間違いなどないーー檜原村Feel度Walk

▲前回


2024年2月28日

■イベント:Feel度Walk
■場所:檜原村
■ファシリテーター:渡部由佳さん(ちきゅうのがっこう)

「ボーダーレスてつがく」から2人と、友人5人の、あわせて7人で檜原村を訪れた。
ゆかさんが迎えてくれて、Feel度Walkを体験させてくれた。

Feel度Walkは、市川力さん発案のアクティヴィティだ。
みんなで歩いて、そのあと、それぞれの「知図」を描く。

「辻堂海岸ワンデイキャンプ」以来、自然の中での対話にますます関心が高まっていた。
自然の無限に、他者の無限に、対話をしながら向かっていきたい。

まずは、山の中を歩く。
ゆるやかな山を登っていく。

おもしろい木がある。
おもしろい石がある。
美しい場所がある。
気になったら写真を撮る。

ほら、こんなのあるよと、そばにいる人に声をかけたり、声をかけられて立ち止まったり。

いろんな木を見ながら、いろんな石を見ながら、ひたすら歩く。

無心になっている。
言葉で考えることはしていない。
次々に変化する足元に注意しながら、ひたすら見て感じて、歩く。

日のあたる頂上にたどりつき、すがすがしい景色を味わったあと、来た道を下りていく。
夢中になって、2時間ほど歩いた。

古民家に戻り、それぞれの「スケッ知図」を描く。
自分が撮った写真の中から、1枚を選んで、夢中になってスケッチを描く。

ゆかさんが囲炉裏に火をおこす。
みんなで囲炉裏を囲む。
ひとりずつ、自分のスケッチを発表する。
みんな一緒に歩いたのに、ぜんぜん違う絵を描いている。

最後の人がスケッチを発表して、Feel度Walkはおしまい。

ゆかさんが話していたように、歩きながらしていたことは、観察。
スケッチを描きながらしていたことは、さらなる観察。
それから、囲炉裏で明らかになったことは、みんなの観点の違い。

言葉で考えることはしていなかったのに、観察をしながら、頭と心はずっと存分にはたらいていた。
そんな感覚が不思議だった。

観察というものは、ものすごくアクティヴな行為なのかもしれない。
夢中になればなるほど。

そこで浮かび上がってきたのは、自分の観点。
言葉で考えることをしなくても、夢中になって観察をすれば、自分の観点が浮かび上がってくる。

そして、その観点から見えたものは、見えた本人にとっての真実だ。
客観的な事実がどうであろうと、本人には、たしかにそう見えたのだ。
そこに間違いなどけっしてない。
それは「ただの主観」などではけっしてない。
囲炉裏でほかの人のスケッチを見ながら、そう確信した。

だとすれば、インクルージョンとは、観点のインクルージョンではないだろうか。

他者の観点は、理解するというかたちでは、インクルージョンできないかもしれない。
でも、それぞれの観点は、同じ山を歩いて浮かび上がったのだ。
それぞれの観点は、山の中にたしかに存在する。
山の中にインクルージョンされている。
私は囲炉裏で、山の中に存在する他者の観点に向かおうとしたのだ。

言葉だけでは、何かが詰まってしまう。
Feel度Walkは、その詰まりを、素晴らしく豊かな刺激で、押し流してくれた。
そして、観点というものを浮かび上がらせた。

スケッチは、観点の表現だ。
そうだとしたら、表現の源泉になっている観点とは何だろうか。

あなたの観点をもっと知りたい。
そう思ったときに、言葉はどう役に立つだろうか。
言葉でないものは、どう役に立つだろうか。

▼次回


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