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日本人が一人だけのアメリカのクラスで英語にしがみついた話 ② あと英語学習について


コミュニケーションやクリミナルジャスティスのクラスで打ちのめされた話をしましたが、その後の話です。


時間は飛び、それらのクラスから一年が経ち、まもなく卒業、という頃、一度は取ってみたかった哲学のクラスを取ることにしました。

色々なクラスを取り、修羅場を抜けてきた自分は戦闘力も少し上がり、調子に乗っていた部分があったと思います。日常会話もでき、パーティーにも行き、英語に関して慣れていると感じていました。

クラスが始まり、先生が話し始めると、いろいろな哲学者や論理についての話が繰り広げられました。

そのクラスでは、一人一つの意見を求められることはありませんでしたが、分からないことについては挙手して尋ねていました。

言っていることは理解できるのですが、内容が哲学。

日本語でも一度聞いただけで理解するのは難しく、何度か噛み砕いて理解しなければいけないのが哲学の分野かと思います。

それを、英語で聞いているので、なおさら理解するのに時間がかかります。

ほう、そういう難しさね、と理解しました。


1日目のクラスでは、アリストテレスの論理について。

必然的推論や、プラトンの論理との関係などについて語られました。久々に打ちのめされる感覚。忘れていた、必死になる感覚。それらを思い出し、また頑張らねば、と感じました。

次の日から、授業をスマホで録音することにしました。

家に帰り、聞き直し、次のクラス後に先生に聞きにいく。それでもまだまだ難しく、そこで、なるべく見るのを避けていた、日本語での解説サイトを頼ることにしました。

哲学はアメリカ人にとっても難しい分野であるので、先生がテスト前などに特別講義を授業後に展開し、そこで、分からない生徒に向けて細かく説明していました。わたしももちろん出席し、それも録音し、必死について行きました。

本当に何度も聞きに行き、毎回クラスが終わると先生のところにノートとペンを持って尋ねるようになりました。


その甲斐もあり、学期末テストでは100点近い点数を取ることができました。久々に時間のかかる努力をし、いい成績を収められたことで、強い充実感を得ました。



他にも努力したクラスの一つ、エッセイのクラスでは、先生にこんなことを言われました。

「席の前の方に座れば座るほどその生徒は優秀で、後ろの方の座席は、遅刻してきた生徒が座ったりするので、先生たちも一目でどんな生徒かわかる」

それは本当に的を射た意見で、実際に正しいと思います。

前に座る生徒は居眠りもせず、ノートにメモを取ったり、先生に質問をしたりします。後ろの方の生徒は携帯を触り、眠ってしまう者も。

日本でも見受けられる光景ですが、アメリカは10人以下のクラスから、ユニバーシティでは何百人単位のクラスもあり、それでもこの法則は通用すると思います。

それからわたしは自分を追い込むように、意識的に前のほうの席を取ることにしました。今もそうです。



ここまで、わたしがアメリカの大学でどう英語の授業や会話に立ち向かってきたのか綴ってきましたが、英語を学ぶということについて感じたことを記したいと思います。

わたしはアメリカに来てから一年をかけ、英語を集中的に学びました。いまでもわたしの英語は不完全だと思いますし、単語を忘れたり、この表現なんて言うんだろう?と言うことはとても多いです。まだまだ勉強が必要だと感じています。

そんな中で英語学習について、文法が全てで、イディオムも完璧にすべき、という方のコラムを読むことも多いですが、わたしはそれについては、そうではないんじゃないか、と思っています。

他の日本人留学生といるときに感じたのは、日本人が日本人の英語に厳しいのではないかということ。

わたしが他の国の方、たとえば中国から来た方と英語で会話しているとき、他の日本人留学生に、「英語うまいね」や、「文法はこうだよね」と、他の人の英語を査定されているように感じました。それは、自分の英語に自信がないから他人の英語を探っているのではないかと考えます。


また、他の日本人留学生と話していたとき、あの中国人の文法がハチャメチャだった、となんならからかっているように聞こえました。では、あなたの英語は完璧なのか?あなたは瞬時に自分の間違いに気づくことができるのか?と思いました。わたしは、その中国の子の肩を持つ、というわけでもないのですが、そう言っていた彼自身が彼の英語を棚に上げ、好き勝手言っているように感じたのです。

実際、そう言っていた彼よりも、中国人の男の子のほうがネイティブの人たちと、より親密にしていて友達も多くいました。

アメリカで育った人たちからすれば、周りに非ネイティブがいることが当たり前で、正しい英語はない、国の中でさえ地域によって使う英語は異なるのだから、と考えています。

小さなコミュニティの中で「あの人の英語はどうで〜」や、「文法はこれが正しくて〜」と気にするより、より一つでも面白いエピソードを共有するほうがコミュニケーションを取るうえで不可欠だと思います。


言語なんてただのコミュニケーションツールでしかない、とわたしは思います。日本人同士でもアメリカ人同士でも100%考えを伝えられるものではないし、その中でも気持ちをつなぐツール。そう気付き、わたしは英語を勉強することと同時に、日々の面白かった出来事をどう伝えようか、という考え方にシフトしました。


もちろん、正しい文法で、言葉遣いで、他人とコミュニケーションを取れることがベストだと思います。ですが、それだけに囚われて、話をしてもつまらない、ただの日常会話だけ、というのはどうか、という話です。


なにより、ここはアメリカで、おしゃべりをするのが大好きな人たちも多い。つい昨日も、ウーバーで一緒になった女性たちと車内で会話をし、これからロサンゼルスを観光よ、どこに行こうかしら、なんて会話をしました。そういった、ここぞ!という場面で会話を面白く展開できるかどうかが大きなカギなのかな、と思います。


英語学習について悩んでいる方がいたら、こういう考え方もあるのかと感じてくだされば幸いです。

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