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初めまして。第2部

そんな転機を迎えた林少年。
ターンテーブルを買った勢いでCLUBでDJしてみたいと思ってそのまま友達と2人で地元のCLUBにアポ無しで行って突然やらせてくださいって交渉をしました。
見事に許可が降りて毎週月曜日にやることになりました。友達が来てくれたりして月曜日にも関わらず溜まり場みたいな感じで結構人が入ってきたことで地元の先輩方に注目してもらえるようになって地元で1番人気と勢いのあるCLUBで雇ってもらえるようになりました。
見習いって形で最初は先輩のDJをメモして色々な人に顔覚えてもらう為に話しかけに行ったり、その当時は目立ちたくて前頭アフロにしてましたね!笑
その時からアメリカへの憧れもありましたしアメリカ人が集まるCLUBでDJばかりしてたので必然的に沢山の影響を受けてました!
そこから、色々な土地でDJさせてもらって生活の中心にDJがありましたね!
起きたら新譜Checkして出勤のギリギリまでPCに曲入れて一通り家でかけて練習したりして本番で使えるか考えてましたね!
その時はDJだけでは食えなかったのでサッカーのコーチをしながらでしたね!
平日は夕方コーチしてそれ以外はDJのことやってましたね。週末が地獄でサッカーの試合が朝からあるから朝までDJしてそのまま寝ないでコーチして夕方に終わったら今度は夜のDJの準備してっていう週末を何年も過ごしていました。週末は本当に寝る時間1時間あったらいい方でしたね!笑
毎年インフルとかはちゃんと年2回ぐらいかかってましたね!涙
そんな生活でも好きなことに囲まれていると何も苦に感じなかったです!
少しづつ稼げるようになって生活も改善されていきここからどうなるのかなって自分でも次なるステップに行ってる感じがあったんですが同時に同年代とのギャップや収入の安定を求めるようになってきて中途半端な部分が出てきてしまっていました。サッカーのコーチも少しづつ減らしていてDJね専念でき始めていたのですがなかなか伸びない収入に不安な毎日でした!それでも好きなことでご飯が食べれることの素晴らしさを噛み締めながら前に進んでいました。そんな24歳ぐらいの時に実家の母親から珍しく連絡がきました。
その内容が実家の家業の植木屋のことでした。
まったく考えても無かったし、何も聞いてなかったので家業の現状を聞いて初めてそうなんだって知りました!
特に苦しいとかそう言う内容ではなかったんですが最初はバイトに来ないかって話でした。
兄貴とやっていたのですが親父とうまくいかず。。親父が1人になりつつあるって話でした。
1人だと仕事ができないからバイトでいいから来て欲しいって内容でした。
僕はその時真面目に聞いてなかったのでどこか他人事で断っていました。
なによりDJとして自分はやっていくって決めてたし家業をやることは嫌でしたし考えても無かったので。。
そんな24歳から25歳の時の話でした。
でも、なぜここから植木屋に自分がなったのか?
続きは第3部で話させてください。
続く。。

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