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クラクラ日記(9/12の日記)

 日曜日。曇り。

 朝8時という尋常な時刻に起床。ただし、痛み止めを飲んでベッド上でしばらく煩悶。最近、足の脛が痛くなるので、椅子に座っていられない。
 昨夜の残り、「モモ」というネパールのギョウザがおいしい。

 『人間臨終図巻』の書評(誰に頼まれたわけでもないが)を書き上げ、ここ数日の日記の、書き残していた部分を埋める。
 ベッドに横になって書いていると、猫がやってきて、俺の腹の上で寝ようとする。暑苦しいことこの上ない。しかしちょっと、これが女だったらと愚にもつかないことを思ったりする。
 この猫、食卓に上ってくるのではたき落としたり、噛まれたら蹴飛ばしたりと、ずいぶん手荒な扱いをしてしまっている。それでも、こんなに懐いてくれるのだからありがたい。
 眠いときのボンヤリした頭でも文章は書けるが、ふつうは、それを目の覚めた状態で推敲しなくてはならない。ところが、目の覚めたシャキッとした状態というのが、このところ、いつになっても訪れないのである。

 読んだ本。
 坂口三千代『クラクラ日記』(ちくま文庫)。
 数年前のベストセラー『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り上げられていたのを覚えている。著者は坂口安吾の妻。
 安吾はアドルム中毒で暴れ出し、心中しようと言い出したり、ろくな人間ではない。よく言われることだが、武田泰淳、埴谷雄高、澁澤龍彦など、日本の作家にはずいぶん妻に堕胎させる男が多い。安吾も、自分は平気で浮気しながら、妻の浮気を執拗に疑い、子供を中絶させている。読んでいると、なんでこんな男と付き合っているのかと思ってしまうが、それは人が口を挟むことではないだろう。
 かなりの読書家だった彼女の文章は回想の甘やかさに満ちていて、2度目に妊娠した息子の綱男が生まれる場面では、ちょっと泣いてしまった。
 アドルムは睡眠薬だが、俺も最近は睡眠薬を飲まないと寝付けないので、気をつけようと思う。
 坂口安吾の「競輪事件」や税務署との戦いなど、奇行エピソードも書かれていて、安吾のエッセイ「負ケラレマセン勝ツマデハ」を読みたくなる。こういう、ナンセンスなタイトルが好きなのだ。これは全集にしか入っていないらしい。
 安吾の作品は久しく読んでいないが、ふと、さっき『人間臨終図巻』の書評で書いたことは、安吾の「文学のふるさと」とほとんど同じではないかと思い当たる。

 いま『クラクラ日記』を読んだのは、大岡昇平の翻訳した小説に『クラクラの日記』という本があるから(大岡は名義を貸しただけとも言われる)。ただ、これはどうも偶然の一致らしい。
 「クラクラ」の意味は、坂口三千代のあとがきにこうある。

 クラクラというのは野雀のことで、フランス語です。そばかすだらけで、いくらでもその辺にいるような平凡なありふれた少女のことをいう綽名だそうです。
 クラクラというのは私の経営する店の名前で、獅子文六先生にお願いして、獅子先生が幾つかお考えくださった名前のうちのひとつです。

 獅子文六は坂口安吾のゴルフ友達だが、大岡昇平のゴルフ友達でもあった。

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