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新卒海外・インド就職のすゝめ(2022年版)

自己紹介

皆様、改めまして。2017年3月に大学を卒業後、現在2022年に至るまで、新卒インドで就職をしましたしょーじと申します。
普段はTwitterで呟くのが主な発信源でしたが、今回3年ぶりに日本に一時帰国をして、その中で改めて日本とインドの対比をすることができ、コロナ後の日本の現状とこれからの将来性を考えた際に非常に懐疑的な状況が日本に置かれていると感じまして、日本でうずくまっていて、本来であれば海外の方が活躍できると思われるマイノリティの方々に少しでもお役に立てればと思い、本ノートを捧げたいと思います。

※本ノートは2022年9月時点での情報・経験を踏まえて執筆しています。

簡単に経歴を改めて紹介させていただくと、名古屋生まれで、大学卒業まで地元育ち、高校は商業科、名古屋にあるビジネス系の大学卒業後、インドのニューデリーにあるインド人がオーナーのローカル会計事務所に2年半ジャパンデスクとして勤務、そのインド国内転職をし、現在インドのバンガロールを拠点として大手会計事務所にて日系企業向けインド税務サービスに従事しています。
大学時代の海外経験としては、大学の夏休みにタイの日系製造業で短期インターンシップ、カンボジアでカレー屋をやるインターンシップ、東南アジア各国や、インド、イラン、エジプトをバックパッカーしたり、フィリピンで2回の語学留学、香港へ1年間の交換留学となっております。

以上を踏まえまして、これからインド就職・海外就職を志している方へ、自分自身の個人的な経験を踏まえた内容で本ノートでは時系列に沿ってトピックごとに色々お伝えしたいと思います。それでは参りましょう。

なぜ新卒海外就職、インド就職を目指そうと思ったのか

僕自身、大学1年生から海外就職を志していましたが、根本的な目指した理由を申し上げると「他者と差別化するしか選択肢がなかったから」と思ったからです。
当時進学した大学は自分がその時希望していた大学ではなかったですし、有名大学でもなかったので、その当時は大きなコンプレックスをかかえていました。その上、特質したスキルも有していなかったので、将来的な不安を常に抱えていました。ならば、戦略的に生きるしかないと考え、じゃあ差別化をして、他の人が誰も持っていないスキルを身につければ有利に人生を進められるじゃないかと思い、まずは日本人が大の苦手である英語に取り掛かることにしました。ちなみに初めて受けたTOEICの点数は280点と、見事な点数を叩き出しました。何を言っているのか書いてあるのか分からなかったので、基本、第六感を最大限生かしてマークを致しましたww
TOEICの結果を見た後にさすがにこれはやばいって思いまして、大学の先輩が「今フィリピン留学が熱い(2013年時点)」と教えてくれたので、早速申し込み、大学1年の春休みにフィリピン留学を1ヶ月ほどいきまして、なんとか旅行でサバイバルできる英語力を身に付けることができました。そのフィリピン留学中にたまたま、「サムライカレー」というカンボジアでカレー屋のインターンシップができるプログラムの説明会があり、海外就職体験ができるということで、面白そうだったのと、そこで自分が海外就職に向いているか否かを経験をもって判断しようという意図で2014年の夏に参加しました。カンボジアのプノンペンでカレー屋を立ち上げるっていうプロジェクトを経て、海外で働いている時がシンプルに生き生きできるなっていうのが肌で実感できまして、その時、もう日本で働くんじゃなくて、新卒から海外で働こうっていう決意をした次第です。

そのあとは、海外就職に必要なスキルを身に付けるべく、英語の勉強は欠かさず行い、たまたま香港への交換留学プログラムがあったので、海外の学生の考えを色々知りたいと思って参加、あと英語の発音が絶望的にやばかったので、フィリピンに再度留学して発音矯正を行い、とりあえず海外就職の面接はギリギリできるレベルまで何とか底上げをしました。いざ大学4年になり、就活の時期がやってきたので、一応、日本で就活もやってみて数社受けてみたものの、当時すでに海外での働き方を知っていたので、日本の面接官と色々話が噛み合わず、かつ総合職と呼ばれる職種も勤務地も選べないようなシステムが日本で横行していたので、そのようなガチャ要素が強く、運に左右されるようなシステム下では絶対働けないと強く感じ、改めて絶対海外就職を実現してやるという決意が確信できたので、日本での就活は諦め、英語の勉強と海外旅行に全リソースを割きまして、そして卒業半年前くらいから海外の人材会社へ登録を開始しました。

人材会社へ登録したが、基本相手にしてもらえない

まず、それまでの旅行やリサーチを踏まえて、ベトナム、タイ、シンガポールの人材会社へ登録しました。ただシンガポールは当時からVisa用件が厳しくなってきて、当時の自分のような職務経験ゼロの志だけの若造を相手にしてくれる要素は皆無で、シンガポールは諦めることに。その後、タイの人材会社からは返信があるものの、コテコテの日系製造業の求人はあるものの、自分にマッチしているとは到底思えず、その後ほとんど返信がなく、タイ語も話せないので、断念。そしてベトナムの人材会社からは割とポジティブなレスポンスがあり、色々と面接を組んでもらえるようになりました。例えば、日系のカーテン製造会社や、運送系会社のアシスタント、オフショア開発のプロジェクトマネジメント・営業系など、色々話が進み、内定が出る一歩手前まで漕ぎ着けたものの、やはり経験のない新卒を雇うのはリスキーだと判断され、結果落ち続けるハメになりましたが、ベトナムはまだ可能性があったので、その後も継続して面接を受け続けました。

仕切り直しとまさかのインド?

上記の状態を踏まえて、色々な人にどうしたらいいですかねーと相談していた所、各国向けの海外就職支援を行なっているGJJを紹介いただき、そこで色々お話させてもらい、「インド就職が今熱いんだけどどう?」っていうアドバイスをいただき、そこでついにこれまで一切考えていなかったインド就職というものがついに登場することになります。ちなみに、インドは大学3年の頃、バックパッカーでいったことはあるんですけど、色々ぼったくられ、環境的に超ハードであることを身をもって経験していないので、まずあり得ないと思っていたものの、改めて調べてみると、当時2016年頃には既に大手日系企業が進出していて、かつ英語圏であること、そして環境が超ハードであることから、日本人人材が割と不足しているという事実を知ることとなります。そこで、ちょっと確信が見えてきて、誰も行きたがらない国だけど、市場としては魅力的なインドで数年働けば、自分の市場価値が生まれるんじゃないかと思い、それまで目指していた東南アジア就職から一転、インド就職に全力投球することとなりました。さらにインドは就労経験もない新卒にも寛容で、アジア各国は最低3年の就労経験がないとVisaが出ないケースが多かったんですけど、インドの場合、就労Visaは会社側が年間USD 25,000の給与を保証することで大抵取得が可能という、他の国と比較しても就労経験を問われない寛容さに惹かれたのもあります。

インド就職活動開始

2017年3月に大学卒業を控えていて、当時インド就職活動に決心したのは同年1月、卒業まで3ヶ月を切っており、時間的なタイムリミットも迫っていたので、内心かなり焦りもありましたが、まずGJJと相談してアドバイスいただいたのが「しっかりとした職務経歴書の作成とキャリアの棚卸しを行うこと」でした。もちろん、当時は学生だったので、職務と呼ばれるものはなかったのですけど、それでも「これまでやってきたアルバイトやインターンシップの経験を踏まえて、企業側が求めるスキルを踏まえて実績を可視化すること」でした。ということで、これまでのバイト経験から実務経験と実績の棚卸しを行い、当時以下のような内容で文書へ落とし込みをしました。

アルバイト1社目(某レンタル・ゲームショップ)
アルバイト2社目(某お値段以上)
インターンシップ1社目(タイ:日系製造業)
インターンシップ2社目(カンボジア:カレー屋)

上記のような職務履歴書を踏まえて、それを英文にして英文履歴書も作成しまして、これで改めてインド就職活動に必要な書類を整えることができた次第です。そして、GJJからインドにある複数の人材紹介会社へ書類一式を送ってもらい、まずは人材紹介会社との面談を行うこととなります。
幸いにも、複数の人材紹介会社からレスポンスをもらうことができ、その場でいくつかの案件を紹介してもらうことができました。ちなみに当時はまだ業界を絞れていなく、海外就職できればどこでも良い状態だったので、とにかく今持っているスキルとマッチングしそうな案件を片っ端から紹介してもらい、とにかく面接を受けまくる方向性で進めました。紹介してもらったのは、不動産営業、物流会社のアシスタント、コンサル、会計事務所のジャパンデスク、総務・バックオフィス業務など、多岐に渡るものでしたが、この時、他の国だと割とドライな対応でしたが、新卒でのこんなに案件を紹介してもらえるインド就職という魅力を改めて感じていました。そして、面接を進めていく上で、最終的にインド人がオーナーのニューデリーにある地場会計事務所のジャパンデスクのトレーニーとしての内定を得ることができました。この時は大学卒業まで残り2週間を控えていたので、何とかギリギリ精神的にセーフでした。ちなみにその会社の面接は、日本人Directorの方との電話での一次面接、上司となる日本人の方との2次面接(スカイプ)、インド人CFOとの最終3次面接(スカイプ)という流れでしたので、全部オンラインで簡潔しています。

ちなみに、この時の就職活動で一番キツかったのが、周りの同級生との対比でした。その当時はほとんどの同級生が夏休み前後の8月には内定が出ていて、毎週のゼミでも、内定報告があったので、一人海外就職という実現可能性が絶対ともいえない不確実な状況かつ、周りは残りの大学生活をエンジョイしている雰囲気だったので、周りからの内定報告が都度心を抉っていたのを今でも覚えています。そう言った意味でも、卒業が近づく度に同級生の内定報告が増えていって、最後には自分だけみたいな状況になっていた時は、ホントに自分の選択肢は正しいのか、常に自問自答していて、非常に精神的に辛い日々でもありました。

ただ、その辛い日々にもようやく終わりが見え、高校も商業化で簿記を勉強していて、会計という領域にも興味があったので、その会計事務所に入ることを決めました。そして、人材会社経由で意思決定を行い、アポイントメントレターを発行してもらい、インドへの就労Visa手続きを進めました。ちなみにインドの就労Visaは在東京インド大使館で、申請から1−2週間で無事発行されました。そして、デリー行きのチケットを購入し、いよいよ2017年4月末にインドへ渡ることとなり、長かった就職活動に終わりを告げることとなりました。

インド初出勤

ニューデリー空港に深夜に着くと、湿気たっぷり暑い空気と共に、会社のインド人の総務の人が迎えにきれくれていて、連絡用の古いBlackBerryの携帯と、日本語で書かれたメモ用紙が渡されました。そこには「明日会社で開催するセミナーがあるので、そこに来てください」と書かれていた記憶があります。ちなみに初出勤の流れなどは一切事前説明がなかったので、基本直前に知らされるインド式が着いた瞬間に始まった感じです…
その後、家が決まるまでの一時滞在用のホテルまで送ってもらい、翌日スーツに着替え、ついに初出勤を迎えることとなります。初出勤がセミナーだったので最初は訳が分からなかったんですけど、それは当時インドではモノを買った時に発生するVATと、サービスを受けた際に発生するサービス税を一本化して、GST(物品・サービス税)というものに一本化しましょう、という税務大改革だ今まさに行われようとしていたので、その影響やどういう変更がなされるのかを各日系企業のインド人実務担当者へ説明をする英語セミナーだったので、基本我々日本人は聴講するだけでした。ただ、そこで話されるクセ強めのインド英語と、何にも知識がない状態で聞くインド税務での話はホントに訳が分からず、話の内容の5%も分からなかったこと今でも覚えています。そして、同じ会社で働くジャパンデスクの日本人の方々と初対面をし、その後、一緒にオフィスへ行くこととなります。
オフィスへ着くと、まず渡されたのが古のデスクトップPCでして、先代から受け継がれているものではありましたが、あまりにも起動時間が長く、メールの画面も立ち上がらなかったので、メモリーを見てみるとまさかの容量が1GBしかないことが判明….その後すぐにITスタッフの方を呼んでもらい、メモリー増設を依頼が最初の仕事でした…

日々の勤務

とりあえずセットアップが完了したあとは、いよいよ会計事務所のジャパンデスクとしての実務を日本人の先輩の方々から教えてもらうこととなります。最初に行ったのがメールの下書き(ドラフト)作成です。例えば、日系企業クライアントから税務や会計についての質問が飛んでくるので、それをまず担当のインド人専門家チームに投げる作業から始まります。例えば、税務の質問であれば「XXのサービスをうちは提供しているのだが、GSTが施行されたら、どういう税率が適用されるのかね?」みたいな内容がくるので、それを英文に訳し、担当チームに投げます。(ちなみ、英語のライティングがかなり苦手だったかつ税務の知識ゼロだったので、まずは綺麗な日本語に直して、全部Google翻訳で対応…)
英文のドラフトが完成すると、それをインド人チームに展開する前に、そのドラフトを上司の方々がチェックしてくれました。特に日本語で書かれた文書は本当に聞きたいことが文書に現れておらず、行間を読むということも必要だと教えてもらい、メールにかかれていなくても必要と思われる情報は細くをし、かつインド人の場合、期限が書かれていないと後で返信すればいいやと優先順位が一気に下がってしまうので、いつまでに返信がほしいかなどを明記の上送るよう、などなど色々教えてもらい、英文ドラフトの修正を受けました。それをインド人チームに送信した後は、今度はそもそもインド人がメールを見ていない問題が発生するケースも多々あったので、自分の投げたメールが正しく伝わっているか、届いているかを重要案件の際は逐次内線をかけたりや直接デスクにいったりして、確認・フォローをする作業が日々ありました。インド人チームから返信・回答があると、今後はそれを日本語に訳す作業があります。辞書やGoogle翻訳に頼りながら、専門用語を色々調べつつ、日本語の返信ドラフトを作成します。ちなみにビジネスメールを書いた経験もほとんどなかったので、毎回書く日本語がおかしかったり、意味が通じていなかったりするケースもあったので、上司に色々修正をしてもらったり、さらに、インド人チームからもらう回答がそもそも意味不明だったり不足しているケースもあったので、クライアントの期待値とチームからの回答内容にギャップがある場合は再度チームへ英文メールを投げたり、ディスカッションをして、補足の説明をもらったりして、必要な情報や回答を集め、それを日本語に落とし込んでいきます。こうして、対日本人クライアントと、対インド人チームとのメールでの双方のコミュニケーションサポートを通じて、少しずつまずはメールベースで基礎を学んでいった次第です。

こうしてメールベースでの仕事を覚えていくと、今後は社内チームとの内部ディスカションを頻繁に行うようになります。例えば質問をインド人チームに投げたとして、どこまで詳細を書けば良いのか、もしくは追加で費用が発生する場合、無償でどこまでいけるか、有償の場合、いつ提案をするかなど、クライアントごとに反応も違うので、実際に過去のクライアントとのやり取りを踏まえた上で、期待値調整もチームと行います。その際に、内部でのディスカッションや内線で電話をすることが頻繁にあったのですが、やはり最初の段階は英語もまともに話せなかったですし、インド人が話している内容が20%も分からなかったので、日本人の上司や先輩の方々についてもらって、一緒に話をしたり、コミュニケーション方法が間違っていないか常にチェックしてもらっていました。

こうしてスピーキング・リスニング力を実務を通じて少しつづ学んでいき、入社して3ヶ月目くらいにはとりあえず何とか一人でインド人ともコミュニケーションが取れるようにはなってきましたが、まだ分からないことだらけです。そうしていると、例えば日本人上司が地方へ出張のため、その間のメール返信や電話対応を任せてもらえたり、クライアントミーティングにも参加させてもらえるようになってきました。少しずつ任されることが増えてくると当然緊張や不安もあったのですが、それでも何とか食らい付くようにし、小さな信頼を積み重ね、責任範囲を増やしてもらえるよう日々業務にあっていました。

そして、入社から6ヶ月には初めてクライアントを一社任せてもらえるようになり、少しずつ一人立ちができるようになっていきました。

1日の流れ

業務に慣れてくると、基本的な1日の流れとしては以下のような感じになりました。
朝9時半から10時前後に出勤をし、11時からクライアント先へ訪問。その後、オフィスへ戻り、メール返信やインド人専門家チームとの社内での打ち合わせや電話対応を行い、14時前後に昼食。ちなみに昼食はデリバリーでオーダーするか、時間があれば、近くのインド料理で食べてました。その後、オフィスへ戻り、再度メール返信や打ち合わせを行い、夕方頃に他のクライアント先での訪問、営業活動等を行い、帰宅という流れでした。
ただ訪問先はデリー・グルガオンから車で2−3時間の工業団地の場合も多々あったので、必要に応じては朝6時くらいに家を出ることもありましたし、ムンバイ、プネ、アーメダバード等の西インド地域も担当していたので、頻繁に他都市への出張もありました。

暗雲

入社して10ヶ月目くらいになり、ある朝出勤をしてみると、普段はいる日本人上司の方が席にいませんでした。そして、思い知ることになるのです。その会社がとても闇属性の会社であることを…..

※この会社での続きはパブリックの場では書けないので、次回は有料ノートにするか閉鎖的なコミュニティの場でお伝えできればと思います。

時は飛び、入社して2年半がたち、当時4人いた日本人の先輩方は全員いなくなっていました。そして日本人トップの方と自分だけが最後まで残ることになり、当時先輩たちが持っていたクライアントをほぼ全て自分が引き継ぐことになり、結果として、2年半の間で大きな犠牲とハードワークとの引き換えに、強大な経験値を得ることができたのです。。

その後、会社が僕の給与から控除した源泉税が当局に収められておらず、会社が一時的にポケットに入れていたり、給与の遅延が1ヶ月以上発生し、払い戻しの未払いも起こり始めました。もうこの会社にはいれないと思いつつ、次の職を探していると、ちょうどインドにあるBig4の1つの大手会計事務所の面談を受ける機会があり、日系企業向けの税務サービス専門の日本人現地採用ポジションがあったので、給与遅延状態で当時苦しんでいたのもあり、藁にもすがる思いで受け、無事にオファーレターをもらうことができ、バンガロール勤務ということで、デリーからバンガロールへ引っ越しをし、就労Visaも取り直すことができ、無事今の職場に辿り着くことができたのです。
ちなみに、現職Big4での就労環境や詳しい内容は以前書いて頂いたインタビュー記事がありますので、もしよければ以下リンクもご参照ください。https://asianlifeblog.com/india-interview-6

おわりに

インドでの新卒海外就職は正直、ハイリスク・ハイリターンな世界だと言えます。環境や食事は勿論のこと、日々のインド人とのディスカッションや降りかかる問題への対処、従業員や上司が突然消える等など、ここでは書ききれないくらい、山ほど存在します。
ただ、問題が多いということはそれだけ自信を成長させてくれるチャンスも多いということですし、世の中には正負の法則が必ず存在します。何かを獲れば何かを失うと同時に、逆もしかりで、何かを失っていれば、必ず何かを得ていることとになります。インドのハードな環境で得られるものは上手く乗りこなせれば、それは誰にも得ることができない、大きな経験値を得ることができると言えるでしょう。そして、インドはアジアの中でも仕事においてはトップレベルでの英語環境でもあります。この優位性を生かして、インドで働いてみるのも、大いにありだと思います。

ちなみに2022年9月現在では、インドは一部の公共交通機関を除き、ほとんどマスクの規制や、コロナによる行動制限はありません。自由です。そしてインドでは何でもありの世界です。言語も、民族も、料理も、天候も、それぞれの地域にあった特色があり、一つ州や地域が変わるだけで別世界に入ることができる超多様な国家です。インドの魅力は文章ではお伝えできないですが、体力・気力に自信があってスパイシーな生活をしてみたい方、自信を成長させたい方、ローカル言語に興味がある方、インド料理を極めたい方、英語力を高めたい方、色々な目的にあったインド生活を送れると思います。ただ、インドは地域ごと、州ごとに全く特色が異なります。もし余裕がある方は、ぜひインドを周ってみて、自分にあった場所を見つけてみてはいかがでしょうか。そして、リスクを覚悟で自信を成長させたい方にはインド就職はある意味おすすめだと言えます。ただどんなハードな環境が待ち構えているかは、訪れるタイミングや地域、会社、出会う人達などで分岐していくので、正直僕でも分かりません。でも日本にうずくまっていても何も解決しないこともあります。もしチャレンジしてみたい方がいれば、インドで働くという選択肢も考えてみてはいかがでしょうか。

本ノートが少しでも皆様の一助になれたら幸いです。

しょーじ


















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